巻  頭  言

 

八千浦地区明るい町づくり協議会

                             会長 樋口 一夫

 

昨年度から各小中学校で「上越市教育ハンドブック」の作成が始まりました。これに合わせ、八千浦地区では、八千浦地区青少年育成会議として地域に資するハンドブックを作成することに致しました。

 《目的として》『学校の方針や教育活動などが分かり、家庭や地域が日常の中で教育の在り方を見直すとともに、困った時や分からない時に役立つ情報が入っている』教育ハンドブックを作成する。

 《有効性として》『保護者・地域住民・教職員などにとって学校の事や子育ての在り方が良く分かり、同じ見方、考え方に立つ事ができる。保護者・地域住民にとって知りたい情報が入っている』

 この様な観点から作成するからには、よりよく分かりやすい情報をと町内会長・地域の役職の方々や、小・中校長先生に執筆をお願いして8回に渡り会議・編集等の打ち合せを行いました。関係皆様方の努力によりすばらしい『ハンドブック』を作成できたことを誇りに思い感謝するとともに、関係者の皆様方にはお礼申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


   中部電力火力発電所上級から八千浦地区を望む (写真編集・提供 中部電力株式会社様)

 

 

 

八千浦地区教育ハンドブックの発刊に寄せて

 

 

 


      八千浦地区に期待する

 

                上越市長 村山 秀幸

 

 

このたび、八千浦地区明るい町づくり協議会が学校やPTAとともに明るい町づくりや子育てに資する「八千浦地区教育ハンドブック」を発刊されますことを心からお喜び申し上げます。

 

 上越市は、「上越市自治基本条例」の理念に基づき、住民自治を推進し、自主・自立のまちづくりにまい進しております。

八千浦地区におかれましては、「少年消防隊」に象徴されますように、住民が一丸となって地域の防災安全に取り組み、八千浦地区に暮らす人々を自ら守ろうとする伝統があります。また、中学生が地域の「海まつり」に企画段階から参加したり、スポーツイベントに大会役員として参加したりするなど、次代を担う子どもたちに、「ふるさと八千浦」への愛着や誇りをもたせ、自ら八千浦地区を盛り上げようとする意識をはぐくむ取組も行われています。学校・家庭・地域が一体となったこれらの特色ある八千浦地区の自治活動に、心から敬意を表します。

さて、この八千浦地区教育ハンドブックの発行は、「上越市地域活動支援事業」の予算を活用した積極的な取組であります。八千浦地区の文化・歴史遺産、地域行事、関連機関や団体の特色ある活動など、他に類を見ない分かりやすいものになっております。全戸配布することから、子どもから高齢者まで、改めて八千浦地区への誇りと愛着をもたれるに違いありません。小・中学生の学習資料としても有効です。また、子どもの健全育成に向けた専門家による子育てQ&A、保育園や学校の教育、PTA活動などの紹介も含まれ、まさに家庭・地域の教育力の向上にも資する意義ある内容であります。

 

この八千浦地区教育ハンドブックを地域の皆様が活用することを通して、優しさと潤いのある環境の中で、子どもたちが心身ともに健やかに育つとともに、大人も地域に誇りをもち、地域全体が活性化していくものと、心からご期待申し上げます。

 

最後になりましたが、この冊子の編集にご尽力いただきました関係者の皆様に感謝するとともに、厚くお礼申し上げます。

 

 

 

 

                 目  次               ページ

 巻頭言  明るい町づくり協議会長                      1

 地域に望むこと 上越市長                                                    2

グラビアページ                               4~ 7

第1章 八千浦の歴史                                                        8~ 13

  1 八千浦の由来

  2 八千浦村から直江津市へ

  3 ふるさとに寄せる(関東八千浦会)

 第2章 明るい町づくりを求めて                                             14~48

  1 明るい町づくり協議会

  2 各町内の活動

  3 住民の安全を目指して

   ・消防八千浦分団、少年消防隊 ・交通安全母の会 ・市交通安全指導員

   ・市交通安全協会八千浦支部  ・八千浦地区防犯組合

  4 美しい海岸と地域を守るために

   ・ハマグミ植樹   ・環境美化

  5 文化・福祉の向上を目指して

   ・はまぐみ公民館  ・サークル紹介 ・食生活改善推進委員 ・運動普及推進委員

 6 地域へ貢献する事業所の活動

   ・八千浦商工振興会

  7 青少年育成会議

 第3章 地域の学校、園                                                     49~66

  1 上越市教育委員会の願い

  2 八千浦小学校、八千浦小学校PTAの取組

  3 八千浦中学校、八千浦中学校PTAの取組

  4 八千浦保育園の取組

第4章 子育てQ&A                                                       68~72

 1 地域住民、保護者によるアドバイス

 2 教育カウンセラー、臨床心理士によるアドバイス

第5章 すてきな大人を目指して                                             73~78

 1 小学生の部

 2 中学生の部

 3 高校生の部

資料(夷浜米大舟、黒井米大舟、八千浦小120周年記念誌抜粋、関東八千浦会会報から、地区内エネルギー基地@中部電力(株)A国際石油開発帝石(株)、「考えよう!子どものケータイ」、八千浦小学校校歌、八千浦健男児の歌、八千浦中学校校歌、地域安全マップ、 )

編集後記  

海のまち 八千浦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

漁村時代の広い松浜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

漁に用いた舟

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

舟小屋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

旧八千浦村歌

(明治22年八千浦村が誕生)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

埋め立て前の八千浦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タコブネの殻

(昔から漂着する軟体動物 別名フネダコ)

 

昔の暮らしを想像しよう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

旧黒井校

(明治7年土底浜黒井分校、夷浜分校開校

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昭和30年代の八千浦小学校入学式

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

旧八千浦小学校校舎

(明治442校が統合し八千浦小学校へ)

竹行李

(柳行李の代用品 衣服などを収納)

 

婚礼用の朱塗りの杯

(7階重ねの大きいタイプ)

せいろ

(赤飯や笹だんご用の蒸し器)

 

 

地 域 は 子 ど も の 応 援 団

 

交通安全見守り隊

小学校体験活動 縄ない教室

小学校体験活動 畑の先生

小学校体験活動 米づくり

小学校体験活動 刈り上げ会

小学校体験活動 古民具紹介

市 民 の 背 中 を 見 て 育 て

 

中学校「先達の授業」 ゲートボール(荒浜)

海まつり浜汁用 豪華地魚(有志提供)

海まつりに駆け付けた地元フラダンスクラブ

海まつりをサポートする交通安全指導員

住民・保護者も参加「絆づくりスクール集会」

中学校 地域出前ボランティア(植樹の指導)

第1章 八千浦の歴史   1八千浦の由来  2八千浦村から直江津市へ

1 八千浦の由来

原始時代から弥生時代頃まで

この地域は今から約7万年位前の潟町砂丘の古砂丘砂層(いくじ)ができはじめてからできたようです。そのころ、海面は今よりも100mも低くなっていました。

2万年位前には関川と保倉川は海岸近くで合流し、夷

浜と西ヶ窪浜の間から海に流れていました。現在でも西

ヶ窪浜の諏訪神社のあたりが低くなっているのは、その

名残りでしょうか。

18千年位前には地球が最も寒くなり、平均気温で

7〜8度位低くなり降り積もった雪が氷となって夏でも

溶けず、海面は今より120mも低下しました。ですか

ら、波打ち際はずっと北の方にあったことになります。

その時の波打ち際から、今の波打ち際までの比較的平ら

な部分が大陸棚です。

6千年位前になると地球が段々温かくなり、凍って

いた氷が溶け出したため、水位が上がり逆に今よりも2

mも高くなりました(「縄文海進」と呼ぶ)。JRの線路

の南側に広がる田圃は満々と水をたくわえ湖のようにな

っていました(「古高田湖」と呼ぶ)。そんな頃に、この    (約2万年前の地形 上越市史)

海岸に人が住み着いて生活を始めたようです。それは縄文

式土器が夷浜から出土したことでわかります。川が上流から運んできた土砂で、湖のようになっていた所に段々堆積し、また、海岸にも新しい砂丘ができ始めました(「新砂丘」という)。この砂丘は川が運んできた土砂が、西北の風で吹き飛ばされてできたものであります。

4600年位前に地殻変動が起こり、北に流れていた保倉川が西に向きを変え、それまでの保倉川には水が流れなくなりました。その川跡は、百間町新田あたりから松橋あたりまで、サンベ(「サンベイ」ともいう)と呼ばれ、航空写真や地形図からはっきりとその姿を確認することができます。これが古保倉川と呼ばれ、川の蛇行の様子が今でもよくわかります。同時に関川も流れを変え、南から真っ直ぐに北へ流れるようになりました。夷浜と西ヶ窪浜の間にあった川は、海から吹きつける砂で埋まりました。

紀元前3400年位前には地球が少し寒くなり、水が凍り海面が今より3mも低くなりました。この頃が弥生時代です。この頃海岸近くに住んでいた人々は海の幸を主に食料にしていたものと思われます。西北から吹き付ける強い風で砂が飛んでくるため、生活するには大変な苦労があったものと思われます。

平安時代以降

平安時代には、3mも低下した海面が徐々に上昇し(「平安の小海進」という)、現在の地形がほぼできあがりました。この頃、頸城区の榎井には荘園がありました。当時は渺茫たる砂地で仁和(9世紀末)の頃人が移住し、開拓を始めたといいます。穴を掘り、砂の壁を作りその間に茅葺きの粗末な家を建てて住んでいました。もちろん生業は漁業と塩焼きです。生活ができるだけという極貧の状態でした。

親鸞上人が越後に流され居多が浜に上陸した時(1207)、塩焼きの煙がたなびいていました。1488年の「梅花無尽蔵」によれば、犀浜では塩焼く煙がかすみのようにたなびいていたとのことであり、このことからもこの辺一帯は漁業と塩焼きがずっと以前から行われていたことが分かります。

中世末期の上杉景勝の文禄検地(1595年)によれば八千浦村は次の表のとおりです。これを絵図に描いたものが慶長2年(1597)の越後国頸城郡絵図です。(表紙裏参照。)

左の表の家数はその土地の支配者がいくさや税金を集める時の基準としていたもので、そのまま住んでいた人の家の数を表すものではありません。ゑびすは海村が一番多くの年貢(税金)を納めていたようです。

 当時、黒井に大慈院(天文元年(1532)、夷浜に浄泉寺(明応5年(1496)、西ヶ窪浜に宝光寺(?)の各寺がありました。大慈院や浄泉寺は今もありますが、宝光寺(真言宗)の住職尊慶は上杉景勝が会津へ移った後支配者となった堀家の支配に反対し、一揆の主要な人物として活動しました。それが上杉遺民一揆です。堀家に破れ、尊慶が追放され寺は取り壊されました。尊慶を捕まえるために捕り手が潜んだ竹藪を「とりこの藪」と今でも一部の人が呼んでいます。

江戸時代の天和3年(1683)に検地が実施されました。次のとおりです。

 

4度竿入高帳より

村名

黒井村

上荒浜村

下荒浜村

遊光寺

夷浜村

西ヶ窪村

村高

98.992

14.742

12.465

4.978

25.140

11.186

田方

68.680

 

 

 

 

 

(反別)

4.8.5.07

 

 

 

 

 

畑方

9.786

0.040

1.350

0.338

2.613

1.952

(反別)

4.2.0.00

1.10

2.7.00

6.23

5.2.08

3.9.01

屋敷高

 

1.577

 

 

 

 

(反別)

 

3.1.16

 

 

 

 

塩高

18.426

23.125

11.115

4.640

22.527

9.234

(反別)

2.6.7.00

1.4.0.25

1.2.3.15

5.6.00

2.5.0.09

1.0.2.18

家数

86

13

13

4

22

14

人数

454

89

82

19

197

97

馬(匹)

41

5

4

2

13

8

舟(艘)

 

6

2

1

5

4

塩屋(軒)

 

10

9

2

14

5

 この表で、村高の98.99298992合で、反別4.8.5.07は4町857歩です。田圃は黒井にしかありません。田圃のない村に馬がいるのはなぜでしょうか。それは佐渡の金を運ぶためです。

 

 明治時代に入り、宗門人別改帳で把握していた人口を、戸籍でしっかりと把握することになりました。その仕事は各村々の戸長役場で行うため、かなりミスがあったようです。

 当時の各村々の名前は「越後国頸城郡西ヶ窪浜村」となっていました。明治7年(1874)村(現町内会)ごとに土地を測量し、その持ち主を特定することとなり、各村々は独自に村内(町内)の土地を測量し、その持ち主を定めました。これは明治政府が新しく安定した財源を求めるための第一歩です。それまで荒れ地として課税の対象外であった土地も全部所有者を特定し課税されることになりました。明治9年(1876)にその土地に対し、肥痩の程度をもとに収穫量を定めて税金を決めようとしました。税金の割合を決めるのに住民の意向とは大きくかけ離れている政府の案に対し、この地区では激しい反対運動が起こりました。でも結局わずかな譲歩を引き出しただけで政府の案に妥協することとなりました。

これが地租改正事業であります。

 また、明治7年には黒井と夷浜に学校がつくられ、有能な国民を育成することとなりました。貧乏な地区の人々にとって学校の財政負担は重いものでした。夷浜校を例にとると、月々の費用はほとんどが白墨・鞭と燃料費であり、たまに書籍の費用があるものの、大半は教員給料でした。

 当時の住民の生活は、それまでと変わらず漁業と塩採りで、黒井に田圃があった位です。貧しい住民は関東方面へ年間を通した出稼ぎにいき、それが各村々を支えていたようです。年間を通して出稼ぎに行けない人たちは秋から酒屋へ酒造りに行きました。これは大変な重労働でしたが、遊ぶ時間と場所がなかったため相当に大きな稼ぎとなったようです。

 ついで塩が政府の専売制となり、塩を作ることができなくなりました。なお一層貧しさがきびしくなりました。漁業では、政府の方針により、エンジンつきの漁船が入り、これがトロール漁法で根こそぎ魚を捕ってしまい、しかも魚のすみかとなる海岸地底を壊してしまいました。以後段々と魚が捕れなくなっていきました。

2 八千浦村から直江津市へ

 明治22年(1889)に黒井、上荒浜、下荒浜、遊光寺浜、石橋新田、夷浜、夷浜新田、西ヶ窪浜が一緒になって八千浦村ができました。「八千浦村」という名前はこの時付けられました。しかし貧しいことはいっこうに変わりありませんでした。

 そこで、生活の向上をめざして養蚕が入ってきました。これは短期間で現金収入が得られるので大いに広まりました。大正6年、西ヶ窪浜と夷浜では16軒の家で蚕を飼い始めました。2か月で2,380円の収入となり1軒あたり平均150円のお金になりました。150円は今のお金にすると約50万円位になります。当時田圃1反に2石(米5俵、300s)の米がとれ60sあたり6円でしたから1年間で30円にしかなりませんでした。一方蚕は1年間に4回から5回も繭を出荷できるので住民はこぞって養蚕に励みました。蚕の餌となる「桑」を育てるために原野を開墾し畑を作ってきました。養蚕の仕事はとてもつらいもので眠る時間がなかったのですが、がんばりとおしてきました。これで八千浦村の財政も持ち直し、以後ずっとこのままの生活が続くことになります。でも、いつまでも繭の値段が高かったわけではありません。世界の相場で上下に変動していました。改めて世界の中の八千浦村であったことに気付かされることになりました。

 この間、日清・日露の2度の戦争があり、村内でも多くの方々が従軍し、尊い命を落としてしまいました。それでも、戦勝したという勢いがあってか悲しいながらも張り合いをもって生きていました。

 昭和の初め頃からなんとなく不景気であったりして異様な雰囲気でありましたが、満州事変から戦争へ突入し昭和20年の敗戦を迎えるまで、村民はただじっと耐えて生きてきました。敗戦後はものすごい不況で食うや食わずの生活が何年も続きました。その間にそれまでの土地制度が根本から改められ(農地解放)、小作していた土地がお金で自分のものになりました。さらに学校制度も変わり、小学校・中学校までが義務教育になりました。八千浦村も乏しい財政の中から前身の中学校を建てましたが、運悪く強風に遭い建設途中で倒壊し、再度建設することになりました。他方、ものの考え方がいわゆる民主主義となり、それまでの家中心の考え方が否定され、個人が尊重されることになりました。大人は考え方の変化に戸惑い、しばらくその調整に時間がかかってしまいました。当時の子供達の服は汚れ放題で弁当を持って登校できる生徒は幸せで、ふかしたさつまいもを持ってきたりしていました。不潔でシラミが大量に発生したり、のみが蔓延したりしていました。今では恐ろしいことですが、女の子の髪にDDTをかけ風呂敷でしっかりと髪を被いシラミを駆除したりしていました。男の子は頭にがめ(腫物)ができ、とてもつらい時期を過ごしていました。それでも元気よく毎日を送っていました。

 昭和25年朝鮮に戦争が起こり、にわかに国内の景気がよくなりどんどんと明るくなっていきました。昭和29年に直江津町・八千浦村・有田村・諏訪村・保倉村が合併し、直江津市となり、八千浦村がなくなりました。

(参考文献) 上越市史、中頸城郡誌、頸城文化、八千浦村の歴史、渡邉晴明家文書、

        平野孝之家文書、直江津農商学校校友会報、越後風俗志、中世越後の旅

                              「唐箕(とうみ)(穀物からもみ殻などを除く農具)

(まゆ)のけば取り器

(渡邉 戈樹 記)

 

「八千浦の歴史」の参考資料として、八千浦小学校120周年記念誌に掲載された文章の一部を、当時の編集委員長の許可を得て本誌の巻末資料ページに添付させていただきました。合わせてお読みください。(編集委員会)

第1章 八千浦の歴史  5 ふるさとに寄せる

 

関東八千浦会

〜八千浦の健男児健在 関東八千浦会の活動と現況〜

 

昭和62310日、浅草に7名の望郷の念篤い有志が、笠原昌子さんの呼びかけに応え茨城県牛久市に集合、同年830日、同地において故浅野真一氏(黒井出身)を初代会長として「関東八千浦会」第1回総会を開催。以後毎年初夏には総会を、平成6年より新年会を故郷より町内会長協議会長、小・中校長、同窓会長、そしてJA上越副理事長、在京の友好郷士会代表をご招待し開催。お互いの息災を祝し1年の無事であることを願ってきましたが、これも年々会員の高齢化に伴い冬期の外出には危険が伴うと思われることで平成23年度以降中止と決定するも初夏に開催する定例の総会は前期の来賓を招待し賑々しく開催。予定した議題に従い粛々と議事を進行、お招きした来賓各位のご挨拶、そして毎回欠かさずお寄せいただく上越市長の祝電の披露と続き、運ばれる料理に舌鼓を打ちながらの談笑、この日のために役員一同練りに練ってきたアトラクションに大きな拍手、多くのアトラクションの中にあって「澄舞会琉球舞踏研究所」による沖縄民謡、「下三島神社五神太鼓保存会」による大小太鼓の大演奏、そして有名舞踊家が主宰するダンサー教室の舞踊家による本格的フラ、再演を望む声多く再演されたことを付記しておきます。

総会、新年会とは別に会員相互の親睦を図るため、平成7年、9年、12年、16年、21年と高田城址公園観桜会に合わせての」12日の故郷訪問、多くの故郷の人々と懇談会食、平成1811月には23日の沖縄旅行、東洋1を誇る美ら海水族館、首里城等々を観光、見学、南の島でのバカンス大いに楽しみました。その他鬼怒川温泉への紅葉狩りの1泊旅行、日蓮聖人誕生寺等を巡り日帰りではあるが温泉も満喫し房総への旅行、夏には隅田川での屋形船遊覧、そして平成221022/23日の両日1泊にて信州は白樺湖畔に宿をとり中秋の蓼科高原に遊ぶ。所を替え趣向を変えての親睦会、今後共役員が知恵を絞り工夫を重ね、より良い楽しい会になるようにと方法を模索しているところです。

また、平成12年より16年まで毎年、そして19年、八千浦小学校6年生の東京への修学旅行の半日を割きその都度テーマを決めての学習大いに参考になったと感謝されました。現在東京には昭和の市町村合併以前の市町村の数ほどの県の郷士会がある。中には会員の減少により休眠状態の会もある一方、市、または町が運営費用丸抱えの会もあります。しかし、関東八千浦会はいずれの会、団体、個人の支援を受けることなく設立以来年会費2,000円、そして新年会と総会の参加費、親睦会の実費で運営、年1回ないし2回発行する会報、高田雪の会、吉川、浦川原等々の友好交流会の総会への出席、故郷小学校の卒業式には招待を受け出席、小・中学校の同窓会にも会長が代表して出席、あらゆる機会を捉えできる限り故郷の人々との交流を図るよう努力しております。

「去る者は日々に疎し。」、20年前、30年前、それ以前に故郷を去った者が寄り集まって設立された「関東八千浦会」。望郷の念と言っても故郷ではすっかり世代が交替、私達を知る人年々少なくなってきています。かつて故郷は大企業と言えば日本ステンレス、信越化学、あとは中小の町工場と個人商店、子だくさんの家庭に次男、三男、女子として生まれ地域に働く所もなくそして自分の居場所もなくやむなく故郷を離れ上京、決して高い志あってのものではありません。上京し中小の企業、個人商店に職を得て身を粉にして働き今日の地位を得ています。私達はシベリア嵐にも負けず粗食に耐え幼少時を生き抜いてきた「浜っ子」としてしっかりと都会の雑踏の中に生き、根を張っています。「八千浦健男児」「八千浦貞淑女」ここにありです。

                             

平成22年10月信州白樺湖へ

平成19年7月 第21回総会

上野の東天紅にて

平成19年6月 6年生との交流

代々木オリンピック記念総合センターにて

平成22年1月24日 新年会

上野の精養軒にて

平成21年4月 

大河ドラマ「天地人」を機に故郷へ

上下浜マリンホテルハマナスにて

同じく、春日山へ 

謙信公像の前にて

(波多野 繁夫 記)

 

第2章 明るい町づくりを求めて     1 明るい町づくり協議会

八千浦地区明るい町づくり協議会

                          

発足発端について

昭和53年(1978)当時の八千浦地区選出の市議会議員 大島権十郎氏に市長より八千浦は地区としてまとまっているから、(明るい町づくり運動推進地区)の指定を受けないか、と言われ 地区の町内会長と相談をして、市公民館の指導を受けながら(補助金8万円)で発足致しました。《隣近所の融和と助け合い・明るい笑顔のお付き合い・各町内会の連携》で、健康増進を目的に町内対抗運動会等、色々行って来ましたが、4年目から補助金が打切りとなり、八千浦地区独自で計画運営をやらなければならなくなりました。

 そこで、町内会長協議会長を中心に各専門部をつくり、推進員を各町内より選出して各部に入っていただき、各世帯より負担金を出し合って初期の目的達成のために運営されてまいりました。                           《以上大島氏手記より抜粋》

現状の役員構成と分担金

    会 長  1名  八千浦地区町内会長協議会会長

    副会長  2名  八千浦地区内老人会長代表

    参 与  5名  八千浦地区市議会議員

八千浦小学校校長

八千浦中学校校長

八千浦商工振興会会長

 

会 計  1名  公民館八千浦分館協力員(書記局

監査員  2名  八千浦地区町内会会計係

 

分担金      1世帯(年間350円)(協議会年間予算40万円)

生活環境部

 部長以下16名の部員で活動しております。部員構成は民生児童委員・各町内の環境衛生部の方々が多いのが特長です。

 活動状況として年間 海岸美化運動・海岸パトロール・環境施設視察・環境講座・等その他年34回検討会打ち合せで部会を開催しております。

文化教養部

 部長以下20名の部員で活動しております。部員構成は 小・中学校教頭、生活指導教諭、小・中PTA会長、各町内老人会長さんその他町内の役職の方々多数入ってもらっております。

 活動状況として年間 地区合同懇談会《保護者・地区住民・小・中学校職員》7月の夏休み前に開き、休み中の子供の接し方教育について勉強します。文化講演会《小学生・中学生・保護者地区住民・》その道の博識者の公演を聞き見聞を広げます。広報やちほ発行《地区全戸配布》、古民具の整理《旧八千浦分館に蒐集してある物の整理及び台帳の作成》、その他青少年育成会議の行事は文化教義郎に組み入れてあるので、大変です。

健康増進部

 部長以下28名の部員で活動しております。部員構成は市体育指導員・黒井、荒浜、夷浜、西ケ窪浜、4町内より夫々公民館推進員、地区運動普及推進員、2名ずつ8名の方が入っておられ各町内代表の方も町内体育委員の方やスポーツの得意の方が多いようです。

 活動状況として年間、グランドゴルフから始まり最後のピンポン大会まで8回もの大会があり、その他上越市ファミリー綱引き大会にも練習相手として勤めが終わってから部員の皆さんに参加してもらっています。又、大会前の部会での打ち合せなど1年間を通じ大変な労力であると思います。部員の方々はそれぞれの大会で役割分担をして責任者を決めてやっていて良い事であると思います。中学生の皆さんも地区体育祭やバレーボール大会に設営の手伝いや審判をやっていただき感謝しております。

地域の皆様へ

 明るい町づくりの役員は総員75名地域のために頑張っております。様々な行事を行っています。ぜひ参加をお願いいたします。 今後共、御支援、御協力をお願いします。

地区運動会 地区対抗綱引き

地区運動会を手伝った中学生へ感謝状

大人と子どもが共に聞く文化講演会(H21.人権落語)

 

バレーボール大会(中学生が審判補助)

 

                            ( 樋 ロ 一夫  記 )

 

第2章 明るい町づくりを求めて  2 各町内の活動

黒 井

黒井の沿革

黒井が文献上最も早く史上に表れたのは、室町時代長享2年(1488年)僧万里の書い

た紀行文「梅花無尽蔵」です。

 1011日の条に「柿崎を出てからは大半は浜路で黒井と中浜(現市之町)の間に川

(現保倉川)があり、西岸の柱から大網が張り渡されていて、川を渡るには船に乗り大網

をたぐりながら渡る・・。」と記されています。

慶長2年(1597年)上杉景勝の検地では黒江川と書かれています。越後国絵図に「御料所、

関川惣兵分黒江村本納2815升縄の高13857合、家2484人とある。)

当時の保倉川は、黒井と市之町の間を流れて日本海に注いでいました。(註1

(註1)−保倉川を関川へ合流させたのは、徳川4代将軍家綱の頃である。

黒井宿と代官所

黒井宿の始まりは、安土桃山時代の天正年間(1573年〜1572年)頃とされ、越後府中

(直江津)と奥州(東北地方)をつなぐ一番目の宿場として栄え、傳馬継人足を備え、佐渡の金や鉱山の水替え人足など、輸送の宿場でした。

貞享元年(1684年)に157か村を支配する代官所が設けられ、享保10年(1725年)まで40年間続いた。福島城(慶長12年(1607)に城が完成。)時代に牢屋が置かれたことから、享保年間(1716年〜1736年)の越後頸城質地騒動(百姓一揆)(註2)暴徒が多勢黒井牢屋に収容されました。                                                                                      

黒井宿案内

 このように黒井(市之町を含む)は天和元年(1681年)から文化6年(1809年)まで天領(幕府が直接支配するところ。)であったのです。  

(註2)−江戸時代の土地は、所有者が資金繰りに行き詰ると質に入れられた。この土地を「質地」という。定められた年限のうちに借りたお金を払えなければ、質流れ地となってお金を貸した人のものになり、大量の土地を所有する「地主」が誕生。質地については色々な慣行があり、地主との間にもめごとが絶えなかった。

(詳細は20109151015発行の広報じょうえつ「高田開府400年」参照。)

黒井大火

 明治10726日町内東端より出火、折からの強風にあおられて、本敬寺(慶長5年(1600年)に黒井の宿に一宇の堂場を建立と伝えられている。)に飛び火し、黒井神社近く(尼寺と

本敬寺前、宿場の名残-広い道路

の説あり)にも火の粉が降り注いだため、町内の両端と中央部の3か所から燃え上がり、江戸時代以来の大宿場町として盛況を呈していた黒井宿の殆どが灰燼と化しました。

 本敬寺の本堂、庫裏、鐘楼は明治14年に再建されました。黒井神社は大火後再建され、60年後の昭和106月町内住民の浄財により改築され、現在に至っています。

松尾芭蕉の句碑-本敬寺境内

八千浦中学校校歌作詞者小和田毅夫氏と黒井のつながり

 戦後誕生した新制中学校では校歌の制定が急がれました。

八千浦中学校の校歌の作詞者は、当時、新潟県立高田高等学校校長であった、小和田毅夫氏(現皇太子妃雅子様の祖父。)で、新制中学校の校歌の作詞者としては異色の存在でした。

 では、小和田毅夫氏と黒井のつながりはというと、氏は明治33年(1900年)小和田金吉(旧村上藩士子孫)と熊倉竹野氏(八千浦村長熊倉喜八郎氏二女)との間で生まれ、間もなく父金吉氏が亡くなったので、母の生家で引き取り、熊倉平三郎氏(明治39年(1906年)生、元黒井町内会長)と兄弟のように育てられ、幼少期から広島の師範学校入学時まで黒井で過ごされました。

 その後、毅夫氏は昭和21年(1946年)3月から昭和33年(1958年)3月まで新潟県立高田高校の校長を歴任され、幼少期の縁で、校歌の制定を企画した住民の中で小和田毅夫氏に依頼することになったと思われます。

(この項、元八千浦中学校長五十嵐静夫氏著書引用、資料提供、熊倉洋子氏)

黒井の砂山(砂丘)

 大正3年(1914年)の八千浦村役場村有林野施業設計によると、当時の林野の現況は、「黒井に属する地籍は西方直江津町境に接し、国道(現県道)に沿へる狭長な土地、従来飛砂の害もっとも甚だしき所にして、23年以前国道側において国道保護のため約20間の簀立工事を施したところあるも、既に埋没し―中略―飛砂の激しきは後方東南面において暴風を防ぐ牆壁(囲い)が無いに起因する。本地において砂丘と認める程度のものは無く、雑草は海岸40間の幅

昭和30年頃の黒井の砂山

を除きたる以外は生ずるも、これとて連年牛を放牧するためその蹄により蹂躙され、また食い荒され暫時その発生量を減少する傾向にあり、故に以後は断然これを禁止する。本地先上荒浜境においても飛砂激しき箇所見る。」と記され、防風林の設計、施行がされました。  

 ハマナスの花咲く砂丘、紫の花を一面に敷きつめたようなハマエンドウの砂丘も、昭和35年以降の高度成長経済政策により、日本海水加工(株)の誘致を始めとし、工場建設資材として「あっ」という間に整地され、多くの砂山が消滅しのでした。                       

 直江津港の後背地としての黒井火力発電所(註3)は、地元の激しい反対で建設を断念しました。現在では、直江津港も重要港湾として整備され、港湾区域内に、新たにLNGを熱源とする上越火力発電所(中部電力)が、平成24年の営業運転を目指して建設工事が進められています。

建設予定地は、公園、住宅地、工業団地として整備され、多くの企業(60社を超え)が建設され、また、一般住宅、アパート、マンションも建設され、世帯数も340世帯を超えて来ています。 

(註3)−黒井火力発電所―昭和42821日、直江津市長が市議会で「火力発電所建設予定地は黒井」と発表。地元黒井は同月24日、「黒井永遠の存続・平和・繁栄」を目的として、@憲法第25条規定の「全ての国民が健康で文化的な生活を営む権利を有する」生存権的基本権。A憲法第13条規定の「健康で快適な生活を維持するにたる良好な環境を享受する権利を有する」幸福追求権。B平等なる市民権の行使。を主張し「黒井生活を守る会」を結成。昭和43610日市議会において火力発電誘致決議が強行された。

 

 昭和451月、波浪により黒井海岸、直江津港の防波堤が決壊し、2月に県が工事用地寄付を要請したが、「428日「火力建設を断念しなければ、港湾用地、護岸用地の寄付行為はしない。」と決定しました。11月には再び波浪により海岸決壊被害が合併拡大したが、火力建設を断念しなければ、護岸復旧工事は絶対させないと決定しました。

 以後、15年にわたる反対闘争が継続され、昭和47619日直江津、高田市合併による小山初代上越市長より「関係住民と、上越市及び上越市議会の同意がなければ、黒井地区に火力発電所を建設することはありえないと、・・・東北電力支店長と確約した。」との報告を受けた。発電所建設反対闘争に勝利し、昭和58816時をもって「黒井生活を守る会」を解散しました。

黒井空襲

  昭和2055日端午の節句、朝まで小雨が降っていた。午前730分頃には雨も止み、11時頃には晴天となりました。

そんなとき、B29一機が突如として直江津上空に現れました。けたたましい半鐘の乱打とサイレンの音の中、機体は悠々と米山方向に去ったかに見えたが、機首をひる返して再び来襲し

  黒井火力後地、黒井公園から工業団地を望む

てきました。そして、B29は信越化学カーバイト工場を目標に、爆弾6個(150kg)を投下したのです。

 爆弾は工場を外れ、近くの水田に落下、爆風で水田で耕作中の男性が地面にたたきつけられ即死。さらにもう1個投下しましたが、これも工場を外れ、隣接する黒井駅に落下、男性作業員1人が即死しました。被害者はこの2人に留まらず、近くの日通黒井営業所勤務の男性が爆風を受け病院で死亡、数人が負傷したのです。  

 

 <付記―機雷投下>

昭和20715日、前日に降った集中豪雨は、112ミリを記録、そのために田畑が冠水し、あたかも海のような状態になりました。

 日本ステンレス等の軍需工場が棟を寄せ合い煙突を並べており、夜間の灯火管制で視界が効かず、これを日本海に浮かぶ艦艇と誤認した米軍機が、機雷約20個を投下したが、工場の周辺をはじめ、市内三ツ屋、三ツ橋、下吉新田などの田畑に落ちたのです。幸い、人命や建物への被害はありませんでした。

参考文献-黒井の昔噺(坂詰松尾著)、火力発電所建設反対闘争経過表、八千浦小学校120年記念誌、八千浦村の歴史(八千浦地区明るいまちづくり協議会編)、

直江津の歴史(直江津の歴史編集委員会編集) 

 

 

 

 

 

 

 

被爆の地 黒井公園

 

( 仲田 紀夫 記)

 

 

 

第2章 明るい町づくりを求めて 2 各町内の活動

上荒浜

古くから繁栄した集落

江戸時代の頃は1390人くらい(下荒浜は1380人程度)馬数頭と記録があります。子供の頃の記憶では上荒浜の古屋敷(昔住んでいた土地で今の海水化工地内)が10か所位あり、ジャングル地帯が遊び場になっていたことを覚えています。古くは農業より漁業が中心の生活だったと考えられます。町内の区分(地名)を見ると上荒浜の地名は南側にはありません。北側日本海の方向は広く存在し、塩田も盛んで終戦後もしばらく行われていましたし、漁業もつい最近まで盛んでした。私の祖父も漁師で地引網の修理が専門で、朝方暗い松林を超えて(小学校へあがる以前)弁当を届けた事を今でも覚えています。そんなことから暗闇には自信があります。

小さいながらやることは人並

  伝統ある諏訪神社、浜神様、町内会館、ゲートボール場、やちほ保育園、デイホームやちほと超一級の施設に恵まれた所です。

諏訪神社の祭りでは、子どもも多く子ども相撲やカラオケとにぎやかでしたが、今は高齢者の談話の場。それでも神社は町内の心を癒しています。ゲートボールは上級のコーチがいて遠方から多くの人が来ます。共同作業として年2回のアメシロ消毒、年67回の保育園とデイサービスでの草刈り、年1回のデイサービス付近の松の剪定を行っています。特に公共施設周辺の環境美化には日頃から気を配り、町内の協力で美しい環境が保たれています。

楽しい町内旅行

年1回の町内旅行もずっと続いています。これまで、野沢温泉、姫川温泉、志賀高原に旅行しました。六日町温泉に行き、大河ドラマ「天・地・人」で有名になった雲洞庵を見学した年もあります。最近は参加者が15人〜16人と増えてきました。町内には有名なマジシャンもいて、旅行中に手品を披露し、ただで楽しませてくれます。

これからの町内

現在の戸数は、上越市内でも少なく、20戸(1戸空家)です。そのため周辺町内から様々な面で協力をいただき、感謝しています。今後の課題はどうやって戸数を増やすかという点だと思っているところですが、人数は少なくても互いに協力し、結束力を保ち、楽しく有意義な町内活動を継続していきたいと思います。

 

  

    

 

 

上荒浜町内会館

 

 

 

 

 

 

町内のマジシャン柳沢 篤さん

( 笠原 栄 記) 

第2章 明るい町づくりを求めて 2 各町内の活動

下荒浜

現況

現在の町内会の状況は下記になります。

  戸数 146戸   539名   事業所  30

年間の活動

  4月  春の定期総会、春季祭典(15日〜17日)

  5月  春のクリーン活動(海岸道路、国道、跨線橋、南北周回道路沿い)

      神社境内及び跨線橋両面草刈り

  6月  1回目アメシロ消毒

      八千浦地区グランドゴルフ大会参加

  7月  中学校子供会によるクリーン活動

      八千浦地区ゲートボール大会参加

  8月  八千浦地区健康ウォーク参加

      神社境内及び南北周回道路沿い草刈り

      秋季祭典(26日〜28目)26日・・子ども神輿、27日・・カラオケ他

      2回目アメシロ消毒

  9月  町内運動会(今年27回目)

      八千浦地区グランドゴルフ大会参加

      跨線橋両面草刈り

 10月  八千浦地区運動会参加

      秋のクリーン活動(海岸道路、国道、跨線橋、南北周回道路沿い)

 11月  八千浦地区バレーボール大会参加

      植樹(南北周回道路周辺、神社境内)

 12月  定期総会(会計決算、次年度予算審議)

  1月  町内新年会(1月1目午前9時より)

  2月  町内ピンポン、輪投げ大会

  3月  八千浦地区ピンポン大会

  他、年間6〜7回の委員会(役員、組長)、行事内容により各部会を開催。

下荒浜の歴史

  古くは今現在、海水化工(株)の工場敷地内に有り、私の記憶では昭和37年工場建設まで古屋敷が存在し下荒浜の原点があり、畑として使用されておりました。

  下荒浜の歴史を知るうえでは諏訪神社のことが一番と思い、分かる範囲にて書き記してみます。いつ現在の地に諏訪神社が建立されたかは分かりません。

  昭和218月に現在使用している大太鼓が寄贈されており、先代の社は明治時代の中頃に建立されたと思われます。

  私が30歳までは青年会に加入し、祭りはすべて青年会にて執り仕切り、維持管理は、氏子にて行われており、神社には4本の18メートルの旗木が有り、4本の旗木は大正の末か昭和の初めに町内の皆様の手で山から運び入れて、祭りには町内の皆様の力を借り、ロープと臼、梯子にて旗木を立て、祭礼終了後倒して現在も境内にあります格納庫に仕舞われて維持されておりました。

 青年会の解散とともに町内会が祭りを執り行うことになり、町内の皆様の力で旗木の立て降ろしが行われてきましたが、機械の発展とともにレッカーに代わりました。旗木も平198月に木よりアルミポール(15メートル)に建て替えられました。平成元年9月に神社が改築され現在の姿になっています。

 浜神様は、昭和4年に現在の海水化工様の敷地内一番高い砂丘に石作りの祠が建立され砂山の高いところから漁師の人々の安全を見守り、漁師の沖寄りの目印になっていました。昭和37年に海水化工の工場建設により、現在の位置に移転致しましたが、昭和477月に住吉大社と諏訪神社の二対が入る祠に納められました。更に平成8年8月に改築され現在の姿になっています。

 のぼり旗は昭和474月に以前ののぼり旗に代り、新調寄贈を受け、受け継がれています。

  のぼり旗には下記の文字が標されています。

   @国龍萬世固神威天下遍

      (天子の統治される此の国の礎、精神は万世不易、神様の御威光は天下に廣く

     行きわたる)

   A振威征逆棄命以建勲

     (威力を振るい逆らう者を命を投げ捨てて征伐し手柄を建てる)

   B天地有神祇衆物因此栄

     (天地の万物は此の神様の神徳を受けて栄える)

   C継承千古不朽典祭

     (千年も変えることのない氏神様とお祭りを受け維いでゆく)

 伝統ある諏訪神社、浜神様を町内一体となり大切に守らなければならなりません。

 青年会が中心の頃は、子ども相撲大会、民謡、八社五社が行われていましたが、時代と共に集まりの内容が変化し、カラオケ、ゲーム、夜店等になってきています。

 今後は諏訪神社の維持とともに、町内の活動は町内の皆様の力と知恵を借りて、八千浦地区の中心にある下荒浜町内を明るく、生き生きとした活動が見える町内にするべく協力をお願いします。関係の皆様には、感謝申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

       松に囲まれた諏訪神社         境内の「浜神様」(舟の安全祈願)

 

( 笠原 武 記 )

2章 明るい町づくりを求めて 2 各町内の活動

南荒浜

                             

南荒浜町の歴史

  昭和17年(1942)日本ステンレス株式会社(現住友金属直江津)は、当時軍の指定を受けた軍需工場でありました。多数の従業員がおり、住居確保の為 桑畑・松林を開墾し土地を造成して現在地に社宅を建てました。また、従業員の配給用として隣地の芋畑(現八千浦中学校グラウンド)で芋を作っていました。しかし、1945年終戦となり不景気の波が押し寄せ、会社も大合理化の必要にせまられ、畑を八千浦村(現上越市)に売却し社宅も家屋のみ従業員に売却しました。その後数年を経て南側の松林、田圃を造成し30戸程徐々に増え、一時子どもが減少しましたが最近は多くなり喜んでおります。

子供会・育成会の推移

  昭和54年(1979) 35名   平成15年(2003)  6名 

平成22年(1997) 18

町内の行事

  昭和50年(1975)町内の青年達が、町内の人達の顔や姓名が分からず、従って挨拶もできない町内の子供達に何かをしたい、という事で南荒浜若者会を結成しました。キャンプ・運動会・ソフトボール大会・どんど焼きなど一生懸命やってもらいました。現在、どんど焼き・運動会は町内で引き継いで開催しております。 

  ちなみに初代若者会会長は 大島清冶氏です。

近隣町内について

  当町内は行政上の名称は南荒浜町内会ですが、戸籍では、大字下荒浜です。神社がありま

せんので、祭りは下荒浜町内にお世話になっております。

  荒浜地区は、上下南と3町内会があります。地域の行事(体育祭等)、防災組織、子供会、

消防部(南荒浜より9名の方が部員です。現部長は上荒浜です。)、行事などでは 3町内

合同で行っており、三荒浜という名称が定着しているようです。これからも協力しあって、仲良くやって行きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

明々と燃え上がる「どんど焼」

 

 

 

 

 

 

 

スルメを焼いて皆で分ける

( 樋口 一夫 記)

  第2章 明るい町づくりを求めて 2各町内の活動

南 原

南原町内会

遊光寺浜から分離してできた町内です。

現在23戸で、4戸空き家のあった跡があります。年間の活動は、月の第一日曜日は下水道清掃等の日(冬期間は休み)で、アメリカシロヒトリの消毒や空き地公園の草取り作業も行っています。以前は、遊光寺浜と一緒の仕事をすることがありましたが、現在はなく、75歳以上の一人暮らしの人は、作業を免除しています。町内機構は5年ほど前から法人化されました。

2年に1回、投票で会長を選出し、副会長、組長、幹事はもち回りです。

南原の歴史

地籍が鉄路を切って斜めに下荒浜が入るため、南周回道路側三分の一部分を下荒浜であると誤解している人もいるようです。海側は遊光寺浜で、雑木林でした。古図では鳥井のマークがあり、また火葬場や冥加場ではないかと思われる名もあります。

戦後、旧軍隊の跡地が残り、その大きさは遊光浜陸橋から小学校体育館が入る範囲で、形は長四角形で南北に長く、一辺に2間半から2間位の大きな扉が二つもあったものです。国が開墾した平らな台地でした。その後、敷地内に小・中学校の先生の官舎が四つほどできました。この頃、合併に伴い、2DK平屋が八千浦の様々なところに数多く造成され人々が移り住んだため、南原の居住数は、60余世帯あったのが三分の一になりました。海原社宅、南荒浜社宅、松原社宅などもでき、これは主にステンレス、信越化学の社宅でした。この「2DK平屋」は、当時としては新しい住宅形式でした。そして、都会から引っ越してきた者、村から分家した者、満州、京城(ソウル)、上海等から敗戦で引揚げてきた者、転勤で一時的に住む者などが移り住んだのです。国内では北海道など日本中から集まり、その職業は公務員、警察官、小・中・高の先生、国鉄、信越、ステンレス、臨時役場労働者で、魚屋、かつぎ屋3軒、時計屋1軒もありました。思えば、進取の心と創造の気概をもっている人々が多く、大陸から引き揚げてきた人達は、日本人としての品格と誇りを身に付けた人達でした。当時の南原は、八千浦地区の野球大会で一等を取り、相撲場の土俵もあったのです。

 30年位前、町内を創るため、父と国有地払下げ運動を起こしました。夜勤明けに東京へ出かけ、大蔵省と田中角栄氏に陳情に行くという苦労をしました。商業ベースではなく地域主導で獲得した権利第一号でした。市が中に入って本城市議始め皆様の協力で無事町内ができました。その後、資金を出し合って公民館と土地を手に入れた代表者数名の名義で町内会館を法人化し、町内所有としたのです。しかし、バブル後の準工場地帯指定により、以前には服を貸し合い農作業を手伝い合った麗しい人間関係は、変化していきました。今は、花を愛する人達が木や花を敷地内に植えて互いに愛で合い、きれいな町内になっていると思います。

これからの若者に

私は、小学校からずっとこの町内にいました。白砂青松の地と思います。そして、平和な時代に生き、校医の笹川先生や角張先生など良い人々に守られて暮らすことができ、ありがたく思います。スポーツでもノーベル賞でも世界が日本人を必要としているのですから、これからは、若い世代が知恵を出し合って、新しい日本、新しい八千浦の歴史を創ることを希望します。

(清水 健一 記)

第2章 明るい町づくりを求めて 2各町内の活動

遊光寺浜

はじめに

少子高齢化の影響が顕著に出ています。この基調は更に加速して色々な面で弊害となって立ちはだかってくると推定されます。公の活動のうち顕著に影響するのは町内会活動と思われます。なぜならば、無償の活動が原則であるからです。

最も危惧される事柄として・・・(1)役員の引き受け手が、いない。(2)公選を実施しても、いとも簡単に辞退宣言する。(3)村社会の良い面が消滅、個人主義が主流を占めている。今後の運営をどうすれば良いのか、住民力が問われるところです。

さて、本稿は、『青少年健全育成』を目的としています。とかくこの手の文章をまとめると、村自慢となり勝ちです。それを悪いとは思いませんが、鼓舞の文言を並べても『どれだけ肥やし』となるか疑問をもつところです。歴史等は青少年自身が将来、色々な書物を読み、自身で良く考えて、理解してもらえればよいと思います。

ただ一つだけ述べると、遊光寺浜の祖一族は『ルーツを肥後熊本玉名』にもちます。

取組

ここ10年の取組は、電力会社2社による発電所建設にかかわる付帯設備超高圧送電施設対応です。今、テレビでは大河ドラマ(大河:気高い誇り・志と解釈)が花盛りです。共通している点は経済発展が根底にあり、公共・公益事業を通じて社会資本を充実させ国民生活の質的向上発展を目的としています。一部、腑に落ちない事業も感じらますが・・・。

 さて町内活動、その原点は生活そのもので“集団で生活基盤を守るための活動である”と認識しております。

・農環境の保守整備(今は離農によりほぼ無。)  ・祭礼・お寺(祖先への礼。)

・八千浦地区全体との連携 ・市役所との連携(あり過ぎて重い感あり。)等が上げられます。

ハマゴウ(茎を煮出し蚊取り線香代わりに)

 夏場における草刈り、蚊、アメシロ消毒、冬場における除雪(道踏みと呼ばれ通学路の確保)作業が人集めに苦労する点である。いずれにせよ、高齢化、60歳定年の延長(定年の先延ばし)が極めて重圧となっています。それぞれのケースを良く考え、工夫して対処することが肝要であると思っているところです。

望むこと 

 最後に、発電所建設により、人の動きが活発となることが予想されます。総合力(経済力、知力等)が全く異なる人々との交流が必須となりますが、大字の大地は、先祖から受け継いだ悠久の大地であることを肝に銘じて気骨をもち、中学校校歌にある“和して同ぜず”即ち和同心(争うこと無く、さりとて安易に迎合することが無い態度、心掛けのこと)を強くもち、力強く地域を盛り上げてもらいたいと思います。往訪者も家に帰れば同じ人間なのです。

・見上げれば 信濃を目指す 銀ヤンマ   

・見上げれば 冬かぜ受けて 轟々と             ( 伊倉 吉晴 記 )

第2章 明るい町づくりを目指して  2 各町内の活動

夷 浜

地名の由来

  「夷浜」の地名由来は、古く大和時代(西暦66)の頃、当地を蝦夷討伐の拠点としたことからつけられたものと言われます。

  町内にある現在の佐々野宮神社は、その頃、今の俗称「化物川」の川尻にあって、ご神体は、

 大国主命の子孫で言代主命で船の安全を守る浜神社として信仰を得ていたと言われます。

2寺が存する所

町内には「信光寺」、「浄泉寺」の真宗大谷派二ケ寺があり、古くは当字北原地内にありましたが、両寺とも明治16年から20年頃に南原地内(現在地)に移築されました。

   開基以降の歴史、沿革について御住職を訪ねるのも意義深く、史実に触れることでありましょう。

米大舟

夷浜米大舟は昭和49年に市から民俗文化財に指定された民俗芸能です。300年以上前、日本海沿岸と大阪を往来する大型船(北前船或いは弁財船とも呼ぱれた)の船頭が、海運の無事を祈って唄い踊ったものと伝えられています。

  町内では、8月の祭りで町内を練り歩き、9月の町内運動会でグラウンドいっぱい輸になって踊り、市民芸能祭で素朴な踊りを披露しています。保存会は、婦人会をはじめ多くの協力を得て先達からの伝統を守り伝承しているのです。

賽の神

新春の行事として「サイの神」が伝承されています。わら集め、ニオつくりは中学生が主体となり、子供会、町内会、消防部がサポートしての神事です。

  ワラに点火されると、お役済みのダルマ、  おふだ、お習宇を焼く人、もち、スルメを真っ黒に焼く人、振舞い酒を戴いてご機嫌の人など多くの人で賑わいます。

少年消防隊

  夷浜少年消防隊は、昭和38年から続く 少年消防クラブです。平成23年度の隊員は42人、保護者も子ども達も入隊の呼び掛けに快く応じ、結集率は大変高くなっています。平成223月には、「特別に優良な少年消防クラブ」として全国表彰を受けました。消防団が指導するクラブは全国的に少なく、この受賞は地域の誇りです。これからも地域ぐるみで支援していきたいと思います。年間行事は、次のとおりです。

  1月 夷浜消防部出初式 、賽の神  4月 少年消防隊入退隊式

6月 八千浦分団練習        7月 上越市消防点検 少年消防隊夏季訓練

 

 

 

 

 

 

 

 

 

入退隊式                 全国表彰受賞(総務省前で撮影)

町内会への期待

   町内会組長、組代表諸委員はもとより、長寿会、婦人会、育成会、さらに消防部は町内会の

   補助団体として、切磋琢磨しながら、数々の活動を続けています。 町内会推薦、委嘱の民生・児童委員、安全・安心リーダー、体育推進員、公民館推進員、健康づくりリーダーも複数年の活躍を続けています。

  それに加えて、ボランティアサークルを結成し、活動をしている人等など住みよい地域づくりにたくさんの方々が携わっています。私達は役職の有無にかかわらず、それぞれの責任と期待を担うことになるのです。

( 永野 一  記)

 

夷浜住宅団地

 昭和38年に市営住宅が20戸建設され、その後39年に市営12戸、40年に市営20戸、県営18戸、41年に県営24戸、市営20戸、42年に市営20戸、43年に市営20戸と次々に建設されました。最初は、夷浜町内に入っておりましたが、いつの頃からか分かれ、夷浜住宅団地町内会ができました。その頃は、みんな若くて、子ども達もたくさんいて、毎日外で遊ぶ声が聞こえていたと聞いています。

 私が入居したのは昭和61年の4月でした。その時は、昭和38年、39年の建物は壊され整地している頃でした。約12年後、小・中学生は一人もいなくなってしましました。平成11年頃、県営の42戸が壊されて新しく16戸が建設され、子どもの声も聞けるようになりました。最初は174戸もあった軒数が、今では60戸を割ってしまいました。

                          ( 関口 栄子 記 )

 

第2章 明るい町づくりを求めて 2 町内の紹介

 西 ヶ 窪 浜  

 

名前の由来

 遙かな昔に関川と保倉川が合流して西ヶ窪浜と夷浜の間に流れて海に注いでいました。そのためか町内の西端にある諏訪神社の脇に水の枯れたことのない窪があったことが名前の由来といわれています。現在は潰して道路になっていますが、雨が降った後はコンクリート塀から水がしみ出すなど、いわれの面影を彷彿とさせてくれます。

歴史

 歴史文献に最初に登場するのは1597年の越後国頸城郡絵図で「御料所 此外3方分」と記され戸数30戸、人口98人となっています。それを遡ること約100年相国寺の僧万里集九はその紀行文「梅花無尽蔵」でこの地を通ったおり、塩作りの煙が立ち上り霞のようであったと記しています。また、それから74年後同じく京都醍醐寺の僧一行3名はこの地を通り松橋で一服の茶を飲んだと記録されております。当時、塩は生活必需品でかつ重要な戦略物資であったことから、領主上杉氏からあつい保護を受けていたことが想像にかたくありません。そのため寺院もあり、特にその鐘はいい音色をしていたとの伝承があります。

 しかるに幕藩体制が確立するとともに、海運業も発達し安価な瀬戸内塩が入って来、塩業の採算がとれなくなり衰退していきました。耕地が少ないわが町内は塗炭の苦しみを明治維新まで続けねばなりませんでした。

 明治政府は富国強兵をめざし殖産産業を興し、絹糸の輸出に活路を開き養蚕業が盛んになりいくらか生活が楽になりましたが軍事費に吸収されてしまい依然として苦しい生活を余儀なくされ子女の教育も義務教育がやっとの有様でした。敗戦後農地解放、大企業の進出によって家計が安定し現在に至っております。

老人会について

 老人会は「喜楽会」と称し、おおむね60歳以上の老人で構成されています。健康と福祉の増進、会員相互の親睦を図り明るい社会作りに寄与することを目的にしています。これを「励まし合い、楽しく、仲良く健康増進」を合い言葉に活動しています。町内関係では春秋の神社草刈りと花壇の清掃、竹灯籠作りの指導です。親睦や健康づくりのため、スポーツ大会、輪投げ大会への参加、町内運動会への参加などがあります。忘年会や旅行も計画実施されています。今年度9名の新入があり、106名の会員です。ある時から加入が任意となり、未加入の会員も多く、これが大きな問題となっています。

日新青年会

 その前身は若い衆と呼ばれ、村人としての訓練や公安維持、災害防禦、自警除害、祭典行事、年中行事の計画実行等公共的な役割をもっていました。立派な日本を造るのは若い衆の力であるとの信念をもとに若い衆の進むべき道を規約に定め、当時の重達衆に諮り、その許可を得て16才から31才迄76人が規約に違背しないことを誓約爪印して発足しました。青年は健全なる国民、善良なる公民としての素養を得ることでありました。青年自治団体の義務とは公民道を実践することでありました。

 現称日新青年会は明治41年に結成されました。正副会長の外評議員5名の組織で発足しました。当時青年会の仕事としては、祭典行事の執行と村仕事の奉仕でありました。例を挙げると大正64月に全100戸に桐の木の植樹を実施したこと、北芝原を開墾して部落に入札しその年貢を会費に充てたこと、道路の分岐点に白ペンキ塗りの道標を立て、経路、字名、里程、行路を示し行人の通行を手助けしたことなどがあります。大正9年に摂政宮殿下の令旨奉戴を記念して1122日を青年記念日と規定し、これにより日新青年会会則を改定しました。

 昭和20815日終戦の御詔勅が下され、37か月で戦争が終結しました。祖国の絶対必勝を信じ神風特攻を念願した青年の精神的打撃は大きく、復員しても精神虚脱な状態が続きました。昭和22年以降に自己の使命に目覚めて国家再建に努めなければならないという気概のもとにあらたなる出発をしました。

 しかし、民主主義の導入により家から個人尊重へ、高度成長と相まって「公」より「私」の重視が強まり、青年会活動も段々弱くなってしまい、現在地区に残っている青年会はいくつあるでしょうか。

少年消防隊

 町内をあげて消防活動には力を入れており、とくに青少年の健全育成を兼ねて少年消防隊が結成されています。本体の消防部の指導監督の下で縦社会の基礎と自分たちにもできる役割を学んでいます。昭和52年と58年に全国表彰を受けています。 

町内組織について

  昭和37年に部落(町内)の仮規約を作り、部落の行政等のあり方を検討しスムーズで明朗な会計をめざし、昭和3811日に制定しました。その後時代にあわなくなったことや、市との関係の変化等により、随時改訂されています。

 現在は、町民の総意により月1回海岸の清掃、同じく道路端等の草刈りをし、さらに海岸近くにある保安林の整備もしています。家庭で使う燃料が薪からガスに変わったため保安林は全く見捨てられ荒れるに任せてきました。地球環境改善の一助と町内の環境改善のため、さらには貧しいながらも生活を守るためになけなしの金をはたいて松を育ててきた先祖の叡智を見直すためであります。この作業は、今後も続く大事な協働作業であります。

 町内のJR線路の南側に団地が造成され、戸数が200戸になろうとしております。町民一同が気持ちを一つにしていろんな行事等に取り組んでおります。

保安林保護の共同作業

整備された美しい保安林

特色ある町内行事

 諏訪神社の秋のお祭りに参道と境内を飾るため、小学生が竹灯籠づくりに取り組んでいます。これは、とかく疎外がちになる三世代の交流を図るねらいで、老人会からのこぎりの使い方を教わり、実行委員や育成会の父母とともに自分の竹灯籠をつくっています。それに様々に絵やことばを書いて祭礼当日に灯をともし幻想的な雰囲気を醸し出しています。

               竹灯籠づくり(のこぎりの使い方から伝授)

新しい公共の芽生

  行き過ぎた自由の風潮と個人情報秘匿の流れは地域社会の退潮を促し、崩壊の危機に直面しております。

 そのような中でわが町内はボランティア活動を立ち上げ、児童の安全を確保したり、松林の整備を行ったりしております。昨年市環境大賞受賞もボランティア活動が大きく寄与しております。今後は、ボランティアの輪が大きくなり子どもたちも加わるとさらに変わっていくことでしょう。そして、現在進めている海岸松林も美しくなり「松林日本百選」に入ることも夢ではありません。

 

(参考文献)上越市史、幕藩制成立史の基礎的研究、日新青年会沿革小史、上越タイムス、 中世越後の旅  

                           (渡邉 戈樹 記)

カワラサイコ

(松林に自生。黄花。)

ハマボウフウ

(芽を小さく切ってトイレのウジ駆除に用いた。白い花。)

マンテマ

(人家付近に多く自生。)

 

第2章 明るい町づくりを求めて  3住民の安全を目指して

 

上越市消防団 上越方面隊 八千浦分団

年間の活動

 火災予防活動として ・4月と11月に火災予防週間として7日間の夜警

           ・月2回の通常夜警及び旧上越市内火災発生時の夜警

           ・年末年始の夜警、小学校運動会での啓発活動

 警戒活動として   ・強風時や震度4以上の地震後の管内巡回

 訓練活動として   ・規律や消火技術向上の訓練として分団訓練、操法競技会、上越消防

            点検、災害対応訓練として総合防火訓練など

 その他として    ・消火栓や防火水槽の点検、機械器具や車両の点検、上越市出初式や

            各消防部出初式、普通救命講習など

 年間の活動としてではありませんが、災害(地震、豪雨水害)発生時の対応として避難誘導、救助活動、行方不明者の捜索、水防活動などを行います。

 

少年消防団の活動

  少年消防団は、防火や消火などの正確な認識と青少年の健全な育成を目的として活動します。

 全国には6,000あまりの少年消防の団体がありますが、上越消防団においては八千浦分団に三つの少年消防団があるのみで、小学5年生から中学3年生までの活動となります。主な活動として、分団訓練に参加し規律や消火訓練などを行います。上越消防点検にも参加し入場行進をし、大人達の訓練を見学します。夏休みには夏期研修として管外(佐渡など)に一泊しながら、規律や礼儀などの訓練を行います。お正月には防火意識向上の意味で出初式にも参加します。

 

地域の皆様にご協力いただきたいこと

 今、消防団の悩みとして新入部員の確保の難しさがあります。全国的に団員の被雇用者化や高齢化などで団員数は年々減少しています。八千浦分団の各部では40歳で退団と、一応の決まりがありますが近年では新入団員が入らず、やめるにやめられないという部もあります。地域の皆様には新入団員確保に積極的な参加をお願いし、もし御家族に年頃の男性がおられ入団要請がありましたら御家族の方からも入団を薦めていただきたいと思います。

  次に自主防災及び避難訓練などへの積極的な参加をお願いします。災害発生の直後は消防団だけでは対応しきれない事もあります。そういった時は隣近所の助け合いが大切になると思うからです。

  最後に各ご家庭の火災警報器の設置をお願いします。もし火災が発生した時に被害を最小限におさえる為に火災警報機はたいへん有効です。

 備えあれば憂いなしです、皆様よろしくお願いいたします。

(笠原 弘之  記)

 

 

 

第2章 明るい町づくりを求めて  3 住民の安全を目指して

交通安全母の会

組織

 八千浦地区住民・小中学校PTA・保育園の団体をもって組織しています。

年間の活動

  ○各地区にストップ マーク(黄色の足跡型)の塗布

 ○小学校における登下校時の歩行指導(低学年)、自転車教室の開催と協力(中・高学年)

 ○三・八市とジャスコにおける啓発活動として、ビラや反射剤の配付

 ○ナイト スクールの開催

  ・夜間における衣服の色による見え方の違いや夜行反射剤の効果の実験

  ・車のヘッドライトによる蒸発現象の再現など

 ○高齢者宅の訪問とビラや反射剤の配付

 ○研修会、交通安全ビデオ上映や講演会

子供達に気をつけてほしいこと

 自動車にはくれぐれも気をつけてほしいと思います。

  ・集団登下校時、友達同士でふざけ過ぎない。特に交差点や横断中。

  ・冬期は日が短いため、暗くなる前に帰宅するようにする。

  ・降雪時には、雪のために視界が狭くなり道路も狭くなるので、より一層の注意が必要。

母の会の願い 

一人の事故もあってはならないと思います。子供達自身が自分達の身を守る安全ルールを身につけるよう、これからもお手伝いしていきます。

(伊倉 あかね 記)

ナミキソウ

(極めて珍しい種。薄紫の花)

 

 

 

 

 

 

 

ハマニガナ

(波打ち際まで咲く。黄花で弁先が朱)

第2章 明るい町づくりを求めて  3 住民の安全を目指して

市交通安全指導員

私たち交通安全指導員は、市長の任命を受けた地域における交通安全の指導者です。各小学校区を基本的な活動単位とし、日々の街頭指導や交通安全教室での実技指導など、交通事故防止のための様々な活動を行っています。現在、全市で51人の指導員が活動しています。

交通指導員とは

交通安全指導員は、以下の目的を実現することをその任務とする。

(1)交通事故を防止すること

(2)交通安全を通じて安全・安心なまちづくりを実現すること

 

指導員の職務

 指導員は、警察及び関係機関と連携し、以下の職務を行う。

 (1)交通安全指導の普及徹底に関すること

 (2)交通の安全を図るための街頭指導に関すること

 (3)その他交通安全の保持に関すること

具体的な活動内容

(1)日々の街頭指導

  @児童・園児の登下校・通降下園時(週3回、月12回以上)

  A高齢者への交通事故防止の呼びかけ

  B各季交通安全運動期間中(毎日)

  C交通死亡事故発生時など、緊急対策実施時(随時)

(2)交通安全運動期間中の広報・啓発活動

  @高齢者世帯訪問

  A交通指導所

  B朝市での交通安全指導 など

(3)交通安全教室における指導

  @指導対象・・・園児、小・中学生、高齢者

  A指導内容・・・歩行、自転車実技指導、交通安全講         話

(4)市主催・関連事業での安全指導

  @各種体育行事

  A各地域のまつり  など

地域の皆さんにお願いしたいこと

  私たちは日々、交通事故撲滅を目指して交通安全思想の高揚に努めて参ります。お出かけの時は「気をつけてね」を合い言葉に、みんなで交通ルール・マナーを守って無事故・無災害の地域づくりにご協力をお願いいたします。

                           ( 小池 忠訓 記 )

 

 

第2章 明るい町づくりを求めて 3住民の安全を目指して

(財)上越交通安全協会 八千浦支部

通安全については、皆様方より常に深いご理解とご協力を賜り感謝申し上げます。

交通安全の基本理念は、尊い生命を奪う交通事故を如何に防止するか、更には 道路交通の円滑化実現に不可欠な物は何かを考え、構想を具体化する事にあります。

とりわけ、八千浦地区での交通安全に関しては、自治体の防災危機管理課より任命委嘱を受けた「交通指導員」、自治体同課より支援を受ける「交通安全母の会」、そして()上越交通安全協会「八千浦支部」の、三組織が皆さんとかかわりをもっております。

ここでは、上越交通安全協会八千浦支部について、@組織の概要 A年間の活動 B地域への要望 を記し、皆様の叡智と信頼を大切に、運動を進めたいと考えております。

@上越交通安全協会は、八千浦支部を含め、47の支部にて構成されております。

 八千浦支部は、西ヶ窪浜・夷浜・遊光寺浜・下荒浜・南荒浜・黒井の各地区より選考された、代表者にて構成されております。代表者会は、役員会を構成し、話合いにより三役を決定。三役が窓口となり上越交通安全協会と連絡を密にし具体的に運動を進めております。

A1.春の全国交通安全運動をはじめ夏・秋・冬各季交通安全運動実践を各地区に徹底。

2.交通安全運動期間中主要交差点での立哨活動及び広報車による注意喚起活動の実施。

3.桃太郎旗掲揚による啓発活動の実施。

4.カーブミラー等不具合箇所の見直し検討。

5.いきいきクラブチャレンジ・100運動(65才以上の方51組になり100日間無事故達成の運動)。 6.各季交通安全パレードへの参加。

7.交通安全協会の理事会・評議員会への出席。

 8.学校行事への出席。

9.車輌割会費の集金 等々が具体的な取組です。

BH21年は、高速道路料金の割引き・天地人での観光客増・国体開催による車輌増の影響にて、事故件数の増加を危惧致しました。又H22年においても、交通死亡事故の加害被害の無かった事について、地域の皆様ひとり一人に感謝申し上げます。

その事は、毎日毎日の運転を通じて「危なかった!ひやっとした!」その瞬時を教訓化し自己研鑽に努めた、皆さん一人ひとりの素晴しい財産です。

 

3

点について皆さんに特に要望致します。

1点目:赤信号は、必ず止まる 赤信号に成っても4台位通過する時あります。

八千浦地区には居ないと思いますが自殺行為です。

2点目:暗い時の歩行時は反射材を付ける  … 道路横断時の高齢者事故が非常に多いです。

3点目:飲酒運転は、絶対しない・させない…… 車の運転手には酒を勧めないで下さい。

  どんな些細な事でも結構です交通安全八千浦支部に連絡下さい。力になれば幸いです。

                              ( 笠原 正二 記 )

 

 

 

第2章 明るい町づくりを求めて 3 住民の安全を目指して

 八 千 浦 地 区 防 犯 組 合

 八千浦地区から犯罪と犯罪による被害を防ぐため、市の防犯協会から委嘱を受け平成4年4月から活動しています。地域の皆様からは御協力いただき、感謝しております。

市防犯協会について

 上越市防犯協会は、市内の各団体・機関及び各地区防犯団体並びに職域防犯組合をもって組織しています。目的は、次のとおりです。

 本会は、犯罪や事故のない安全で明るく住みよい地域社会をつくるため、住民の防犯思想の普及と地域防犯活動の発展促進を図るとともに、自主的な防犯活動を推進し、もって地域の安全に寄与することを目的とする。(会則 第4条)

八千浦地区自治防犯組織(平成22年度)

会 長 樋口一夫(明るい町づくり協議会長)

           副会長・事務局 小島秀男

 (1)防犯委員・・・八千浦地区全体で21名(日の出町1名を含む)

 (2)市の安全安心リーダー・・・・・八千浦地区全体で5名

 (3)八千浦地区「こども110番の家」33

活動内容(見守り重点項目として)

 (1)警察、市の防災危機管理課からの情報に基づく活動(通年)

1 意識・地域づくり事業

(1)(1)各種防犯活動の取組・・・「市安全安心フェア」「市防犯週間、防犯の日」「県犯罪のない安全で安心なまちづくり旬間」「年末における市民生活の安心安全確保活動」「各地域防犯組合・団体への支援活動」

(2)通年の取組 ・・・「広報啓発活動」「子ども・女性安全対策」「市・警察との連携」

2 環境づくり事業

(1)防犯ののぼり旗作成配布・・・「自転車盗難被害防止」「防犯:安全安心まちづくり」  「振り込め詐欺被害防止」「『鍵かけ』の推進」

(2)自転車盗難防止啓発看板 ・・・「自転車盗難被害状況を駅駐輪場に掲示」

(3)防犯ポスター・ステッカー作成配布・・・「振り込め詐欺被害防止」「万引き防止」 「『「鍵かけ』の推進」等

スクロール: 横: 毎月、6・9の日はロックの日   6・9の日
 

 

 


 (2)地域としての活動

  @一般路、通学路、コンビニ、飲食店、海岸路、各町内・地区・学校の各種イベント時の見守り  A防犯情報紙の配布(各種、随時)   B地区内各種単位との連携

皆様にお願いしたいこと

 何事も治療より予防が大切です。地域と地域の子どもを守り、安全、安心な町づくりを推進するには、地域が自らを守り、家庭が学校に頼り過ぎないよう、しっかりと子どもを育てることが大切です。情報の提供や見守り活動等にも今後とも御協力ください。  

( 小島 秀男 記 )

第2章 明るい町づくりを求めて 4 美しい海岸と地域を守るために

ハマグミ植栽運動

 この地域には黒松がはえ、その梢をわたる風の音には何か安らぎを覚えます。老人会の会誌の名前が「松籟」となっているのも年配者の様々な思いを込めたものと思えます。その松は自然に生えたものではなく、私たちの先祖が植えたものです。この辺に人が住み着いたのは、縄文時代ともいわれておりますが、平安時代には頸城区の榎井に荘園があり、そのころには人が住んでいたことは確かなようです。

 そのころの人たちは何をして生きていたのでしょうか。それは魚を捕ることと海水から塩を採ることでした。それらの魚と塩を米などと交換して生きてきましたが、生活は至って貧しく生きていくことがやっとという状態でした。

 それらの人々はどこに住んでいたのでしょうか。遊光寺浜から西ヶ窪浜にかけて海岸に防風柵があります。そのあたりの砂地に穴を掘って茅葺きの粗末な家を建てていました。しかし、強い風が吹くと砂が飛び、目も口も開けることができない位で簡単な屋根は吹き飛ばされてしまいます。でも、魚を捕ったり、塩を採ったりするにはできるだけ海岸に近い方が都合がよいので、なんとかそこで頑張ったようです。それでも限界があります。少しずつ南側に移動していきました。それまで住んでいた所は荒れた砂原になってしまい、風が吹くと砂を巻き上げるもとになってしまいました。少しずつ、少しずつ南へという生活が江戸時代まで続きました。

 荒れた砂原を何とかしないと人が住めないことと、巻き上げた砂が田圃に落ちて稲の生育が悪くなってしまうということで、1700年代の後半に幕府も気づき松や柳を植えなさいと命じました。それらの木々が育てば田圃の稲も順調に生長し米もたくさんとれると考えたのです。しかしながら、潮風が強くて大半の木々は生いつかなかったようです。1700年代の終わり頃吉川町の藤野条助が、代官所の了解を得て、松や柳を植えようとしましたが強い反対にあってうまくいきませんでした。

 なぜ、各村々が反対したのか?それは強い風で砂が飛び、家も壊れ、仕方なく又南側へ引っ越ししたいからです。それなのに南側の土地に松などが植えられると引っ越し先がなくなってしまうからです。それにあまりにも遠くへ行けば、海に来るのに時間がかかり、生活に支障が出ます。海に近い方がいいんです。今も昔も同じですね。

 犀潟に2回目の新堀川を掘ったら、ちゃんと川となって海に水を流すようになりました。それは、1回目の新堀川は地震で砂が崩れ川が埋まってしまいました。2回目の新堀川がうまく掘れたのは、以前に植えた松が育って根っこを張ったためだとわかったからです。それでどこの村(今の大字です)も黒松を植えましたが、はたしてうまく育ったかどうかはわかりません。あまりうまくいかなかったようです。

明治時代に入り、各村々はアキグミを植え、それが育ってから、その南側に黒松を植えました。特に大正3年からは八千浦村として立派な計画を作り新潟県の許可を得て、アキグミを植えたり黒松を植えたり、同時にそれらを守るために風当ての工事をしました。これが功を奏して現在あるような松林ができあがったのです。西ヶ窪浜でいうと毎年のように1,000本位の黒松を植え、しっかりと育ててきました。もちろん強い西風を防ぐための風当ての工事を毎年実施してきました。今、西ヶ窪浜の神社に目通りの高さで幹のまわりが260cmになる太い黒松があります。これを先祖の形見として大事に育てていこうとしています。次に大正3年からの計画を示します。 

*

                          (八千浦村村有林野施業設計より)

 (注)「茱萸」は「ぐみ」のこと

 当時の記録によれば、先祖は食うや食わずの極貧の生活でした。年中出稼ぎに行くことが当たり前でしたが、それでもハマグミの苗や黒松の苗を買って、風当てもしてここまで育ててきたことに本当に頭が下がります。

 国の施策でハマグミの藪に砂や土を盛り上げて、その上にハマニンニクを植えてしまいかすかにしかハマグミが残っていません。何とか、赤貧の中での先祖の智恵と苦労を後世に伝えていきたいものです。八千浦交流館の「はまぐみ」という名前はこれに由来したものであります。

       ハマグミの実                飛砂を防ぐ簾を立てる作業

(参考文献) 上越市史、大潟町史、頸城村史、八千浦村の歴史、頸城文化、村有林野施業設計(八千浦村役場)、渡邉晴明家文書、直江津農商学校校友会報

 

(渡邉 戈樹 記)

第2章 明るい町づくりを求めて  4 美しい海岸と地域を守るために

 

ゴミの無いきれいな町を目指して

(明るい町づくり協議会 生活環境部)

部の紹介

  各町内の代表16名が、「地域住民の環境意識高揚のお役に立ちたい。さらには、外郭団体との連携をとり自ら参加しよう。」と計画し、実践に努めています。

事業内容の紹介

環境施設の視察

 1 海岸の美化活動

     夏の釣りシーズンに他の外郭団体と協働で早朝、ゴミ拾いをし、釣り人に美化運動への協力を要請しました。ゴミ拾いは地元のボランティア活動でも懸命に行っているが、「焼け石に水」の状態は一考を要します。

2 環境施設の視察

   例年、市のマイクロバスを借りて近隣の環境関連の施設を視察しています。今年度は、市の第二焼却場と県立大潟水と森公園を視察しました。

 3 環境講座

   「交流館はまぐみ」で環境に関する講座、座談会を開いています。今年度は、市生活環境課から講師を願い、ゴミ処理の実態、不法投棄問題など身近な話題を聞き、意見交換を行いました。

 4 不法投棄禁止の看板設置

 地域協議会の助成金を受け、「ポイ捨て禁止」の看板設置をします。海岸、側道など汚されそうな場所に設置し、少なくとも地域住民の環境美化意識の更なる向上を目指したいと思います。

<看板図案>

                       ( 永野 一  記 )

第2章 明るい町づくりを求めて  5 文化、福祉の向上を目指して

上越市八千浦交流館はまぐみ

(上越市立公民館八千浦分館)

 

設置の目的

八千浦交流館はまぐみは、住民交流や地域振興を目的として建設され、平成194月に竣工しました。スポーツが楽しめる多目的ホール、会議や学習で利用できる集会室や、調理室、憩いの場となる浴場などが備わっており、年間利用者は延べ4万人を超えています。

また、開館に伴い、八千浦分館も同施設に移転し、地域の新たな生涯学習施設として、八千浦地区以外の市民からも多く利用していただいています。

地域づくりの核として

   はまぐみには、公民館協力員1名が勤務し、教室運営や学習相談などを行っています。また、地区住民で組織する「八千浦地区明るいまちづくり協議会」の事務局が置かれているため、地域のさまざまな活動の核となっています。

  公民館運営には、公民館長が委嘱した推進員5名(八千浦小学校長や、八千浦地区明るいまちづくり協議会から選出された方)から、助言や協力をしていただいています。地域、学校と連携することで、住民の皆さんには「私たちの公民館」という意識をもっていただき、さまざまな活動の発展につながっています。例としては、小学校と地域が連携し、施設名になっているはまぐみの苗を育て植樹する活動です。はまぐみが数年後に実をつけるのを楽しみに、地域の方々に大切に育てていただいています。

 

       

八千浦分館の主な事業について

  ○地域づくり講座 

…全地域住民を対象に、地域の良いところを発見する講座。

○ふれあい・たいけん・公民館 

…地域の小学生を対象とし、地域の人材を活用し、世代間交流を図る講座。

  ○家庭教育講座

  …幼児を持つ保護者を対象に、子育てや親子のふれあいについて見直してもらう講座

○高齢者講座

  …高齢者を対象に、ニーズに応じた様々な学習機会の提供を図る講座

 ○地域趣味の家

  ・・・各種趣味講座を通じて新たな生涯学習活動へのきっかけづくりを促す講座

 ○作品展示 地域の皆さんの作品を、三世代交流ホールに展示する。

 

 
                              

 

 

 
 

 

 

 

 


        

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   完成間近の屋内運動「スポーツハウスはまぐみ」

    (ゲートボール、テニス、フットサル、バッティングが室内でできる。)

( 小池 和美記 )

 

はまぐみ利用団体・サークル紹介

( 平成2211月現在 )

区分

団体名

活動内容

会員数

活動日

セールスポイント

ス   ポ   ー  ツ   系

' FULL LOCKERS

キッズダンス

3

毎週月・木曜日

3人でロックダンスをソウルフルに踊っています。楽しく・厳しく・頑張っています。

カルメン

レクレーションダンス

8

24 木曜日

皆楽しく体を動かし、少しでもボケないように頑張っています。

ときめきクラブ

卓球

10

毎週 金曜日

気軽なスポーツ。良い汗を流し、健康でいられることを実感し、楽しんでいます。

ドリームメイト

エアロビクス

20

金曜日(3)

パワフルなインストラクターと月3回、明るくもいい汗をかいています。

西ヶ窪浜・太極拳の会

太極拳

8

13 火曜日

一歩前進二歩後退でも、笑顔で楽しく頑張ってます。

西フラ プルメリア

フラダンス

7名

13 木曜日

笑顔は心のサプリメント。南国の太陽のように明るく楽しく和やかにリフレッシュしています。

軒猿衆

たて 殺陣

20

日曜日

チャンバラを通して体を動かしています。

はまぐみ体操クラブ

健康体操

25名

13 火曜日

前半はウォーキング、後半は腰痛・体のゆがみ予防と楽しいリズムに合わせて体を動かしています

バドミントン火曜会

バドミントン

9

毎週 火曜日

汗と一緒にストレスも流し、毎回楽しくリフレッシュし、ピカピカ美人になっています。

バンビーナ

バレーボール

15

毎週 水曜日

毎回楽しく・和気あいあい練習しています。

マリンドリームズやちほ

ミニバスケットボール

45名

毎週 月曜日

男子・女子共、各大会に向けて元気いっぱい練習に励んでいます。

八千浦スピリッツ

幼年野球

23

雨天時

勝利に向って、明るく元気に活動しています。

八千浦スマイリーズ

ジュニアバレーボール

21名

毎週 木曜日

皆で声を出し、元気に最後まで諦めないプレーで頑張っています。

八千浦卓球クラブ

卓球

20

毎週 土曜日

老若男女で基礎練習のあと、W戦を行い技術向上と親睦をはかり、楽しんでます。

レインボーズ

ソフトバレーボール

20

毎週 火曜日

全国大会目指して、毎週良い汗をかいて頑張っています。

 

 

あみものサークル

編み物

9名

3 金曜日

好きなことをワイワイと楽しく、手先を動かし認知症をなくせたら…♪

荒浜囲碁クラブ

囲碁

6名

13 火曜日

老化防止のため60歳以上が中心で活動しています。月2回程度なので頑張っています。

夷浜詩吟の会

詩吟

11

毎週 月・火 曜日

腹の底から声を張り上げる詩吟は、健康にも良く、舞や花、書道等と組合わせるのも一興です

翠浦会

書道

15

24 土曜日

筆・墨と紙で自分の作品作りに仲良く、お茶を飲みながら楽しんでいます。

パッチワークなかよし会

パッチワーク

12名

13 金曜日

仲良く和気あいあい、布と針を持って作品を作り出来た時の喜びを楽しんでいます。

はまぐみ墨画会

墨絵

7

13 木曜日

季節折々の物を皆で楽しく、墨と色を使って書いています。

やちほ絵手紙の会

絵手紙

19名

1 火曜日

気のあった仲間同士がお茶を飲みながら、絵手紙を楽しんでいます。

 

第2章 5文化・福祉の向上を目指して

食生活改善推進委員

スタートから今日まで

地区の皆様の「食推」に対するご理解とご協力に感謝申し上げます。

八千浦地区の「食推」は、約30年前に三人により始められました。その頃は、「130品目食べましょう。」「(油が不足していたため)1日1回はフライパン料理をしましょう。」「塩分は少なめにとりましょう。」と呼び掛けていました。その後、「地産地消」が大事だと言われるようになり、家でも気軽につくれる料理の推進を心掛けてきました。何百何千種類のメニューを考え、公民館主催の料理教室に参加してきました。

しかし、最近は糖尿病、高血圧など生活習慣病が多くなり、その予防に力を入れるようになりました。我々「食推」も今、いろいろ勉強しているところです。

組織

 ○市全体・・・合併前上越市17地区と各区13区 会員数568

 ○八千浦地区食生活改善推進委員 平成22年度現在10

目的

 ○八千浦地区の皆様が健康で元気に暮らせる食生活を推進する。

 ・糖尿病等の生活習慣病を予防する。

 ・バランス食(質、量)を普及する。

活動

 1 市からの委託事業

 (1)生活習慣予防講座

   健診結果説明会会場において、食品の1日の基準量など実物の食品を展示する。また、その基準量の食材を使って実際に調理実習を行い、写真を展示する。

基準量

調理風景

(2)新「元気っ子教室」

   成長期の体を理解して、その年齢に合った食事の量はどれ位か、食品の1日の基準量など実物の食品を展示する。小さい子供の頃からの食生活がとても大事である。

2 公民館事業

(1)七夕まつり(6月頃)

  七夕そうめん作りのお手伝い

(2)もちつき大会(12月上旬)

  大根おろし、あんこ、きなこ、みたらしの4種類のもちと具沢山のみそ汁。今では殆ど見られなくなった杵と臼でつくもちは、子供達も楽しそうです。そして本当においしいもちが出来上がります。

もちつき

もちとみそ汁

 ※みたらしのタレの作り方

   水・・・・・200cc

砂糖・・・・120g          全部なべに入れ火にかける。

   醤油・・・・大さじ78         沸騰してもすぐ火を止めないでよく煮る。

片栗粉・・大さじ2強         (後で水っぽくならないため)

水・・・・60cc

(3)八千浦中学校のもちつき会のお手伝い

(4)八千浦小学校保健委員会保健委員会への参加

 

 

 

 

 

 

 

 

 八千浦中学校「先達の授業」(ちらしずしの調理)   八千浦中学校「3年生への感謝の会」(もちつき)

 

以上、主な活動です。地域の皆様には、これからも積極的に行事に参加され、お茶飲み話に少しでも食について話題に上げていただければ幸いです。これからも「食推」として地域の皆様とかかわっていくことにより、微力ながらお役に立てればと思っています。     

(木南 栄子 記)

 

 

第2章 5文化・福祉の向上を目指して

運動普及推進員

目的 

地区の皆様には運動普及活動にご理解とご協力をいただき感謝申し上げます。

  運動普及推進員は、市民の体力維持向上及び運動習慣の定着を図ることを目的として平成610月に上越市の委託事業として上越市運動普及推進員協議会が設立されました。現在では、合併後上越市22地区で推進員204名が活動しています。また、各地区1名、理事を選出し、理事会で案件を審議しています。

  八千浦地区は、5名の推進員が活動しており、この5名は、八千浦地区明るい町づくり協議会の健康増進部にも所属しており、地区での運動普及活動は健康増進部の協力を受けながら行っています。

活動内容

  運動普及推進員の活動は、次の三つです。(平成22年度の場合)

 @研修会

    4月:育成研修会・・・前年度委託事業、育成研修会を実施して

7月:育成研修会・・・実技と学習会

    通年:育成研修会・・・学習会(体のメカニズムについて)

    5月〜7月:健康づくり推進活動チーム研修会・・・今年度の活動の企画と運営

   12月〜3月:健康づくり推進活動チーム研修会・・・今年度の活動の振り返り

 A地区活動(委託事業を含む)

    通年:健診時の体力測定・・・健診時に握力測定を実施(八千浦地区は92122日)

    通年:運動普及活動、身体活動や運動時の計測、体力測定

 B市が主催する事業への協力

   4月:米山山麓ロードレース

   9月:身体活動維持支援事業・・・握力低下の人に対し、運動教室を実施

   通年:まちなか健康相談・・・健康相談会での計測を担当

今後の予定

 目標:身体活動・運動の習慣化、生活習慣の改善

  ○身体機能や筋力は幼児期からつくられ、20歳頃に完成し、それ以降は加齢と共に低下します。また、同年齢でも個々に体の状態は異なります。このことを踏まえ、今後は、生涯を通じた身体活動・運動の大切さを、市民自らが気付いて実施できるよう取り組んでいきます。

 ○運動や作業活動時の消費カロリー等の測定や体力測定を実施することにより、将来的な身体機能低下、筋力低下を予測し、住民自らが身体活動維持、筋力維持の必要性に気付くことができるような活動を実施します。

今後とも、地区の皆様には運動普及と八千浦地区明るい町づくり協議会の行事に一人でも多くの方から参加していただければ嬉しく思います。宜しくお願い致します。

                        

(白砂 弘 記)

第2章 明るい町づくりを求めて 6 地域へ貢献する事業所の活動

八千浦商工振興会

会の目的

本会は会員の健全な育成及び活力ある街づくり(活性化・発展)を図る事を目的としています。具体的には地区内商工業の振興・発展、地区内青少年の育成、まちづくりと住環境の整備など、地域の皆様に密着した活動が原点です。会員数は、商業関系が25店、工業関系が30店、合計55店となりますが、会員資格は八千浦地区に在住で同地区内に店舗又は会社を有する商工業者です。あえて同地区に絞ったのは、『八千浦っ子』として育った経営者の皆さんに今一度、八千浦に目を向けて頂こうという思いがあった事と、今でもお世話になっている地域住民の皆様に何かしら恩返しをできたらという考えからです。会の運営は役員10名(各町内より選抜)と、事務局1名が担当し行っていますが、本年度より4050代が中心のフレッシュな執行部体制となりました。子育て世代や経営バトンタッチの世代なので、地域経済をぐんぐん引っ張ってくれるものと確信しています。

年間の活動

本会は毎年41日に始まり、翌年331日を以って終わる会計年度となっています。

活動は先の目的でお話しした三つが中心となりますが、まず商工業の振興では、キットイン八千浦(工事業者用宿泊施設)などへの運営協力や火力発電所への施工協力を以って地域経済の活性化を行っています。また、総会では、各町内会長をはじめ学校長・消防団・行政の皆様方を来賓としてお招きし、その年度の活動方針や活性化事業の説明・会員の親睦など、内容の濃い会となるよう心掛けています。研修会では、本年度中部電力火力発電所さんの現場見学及び進捗状況等の説明会などを行いました。また、232月には国際石油さんの現場見学会も予定しています。活性化資金贈呈式では、小中PTAなど13団体ヘ計50万円の提供を行う事ができ喜んでいます。そのほか、今年度は初めての試みとして『八千浦プレミアム商品券』を発行する事ができました。これは、市より助成金を頂き地域内でのお買物やお食事、住宅のリりフォームなどが一割安くなるという仕組みです。直江津・大潟・頸域地区は既に行っている事業ですので、今後八千浦地区にも定着させ年末年始のイベントにできたらと考えています。

地域貢献活動

目的の一つである地区内青少年の育成については、設立当初から力を注いできました。直江津地区では祇園祭り、大潟地区ではカッパ祭り、これらは多くの小・中学生を巻き込み、盛大かつ賑やかに行われ、子供達の思い出づくりに大人が一役かっているようです。そう考えると八千浦地区としてのまとまったお祭りが無い為、子供達の活躍する場が無かった訳です。しかし、私達大人が少し協力する事で、子供が本来もっている向上心や想像力を引っ張り出す事が出来たら素晴らしい事ではないかと考えました。具体的には、平成198月に行われた小中合同海のイベント(資金提供)がスタートとなりますが、その後も学校・PTAの熱い想いが私達の思いと合致し、年毎に盛大かつ内容も充実したものとなってきました。子供達の育成に多いに役立っている事は喜ばしい事ですし、一生の思い出となれば有難いものです。今年は『八千浦海まつり』と名を改めて、八千浦地区最大のイベントとなりました。会も物心共に協力し、子供達と熱い1日を過ごせた事は、私達にとっても感謝すべき事と思います。また、幼年野球やミニバスなどボランティアによる子供育成事業には、今後も可能な限り資金面で協力を惜しまないつもりです。残る住環境については、地域の大多数の人達が関わってきた消防団への援助が中心となります。過去の災害事例からもお分かリの様に自助・共助の心が人的被害削減の要となります。そういう意味でも消防団は地域に無くてはならない組織です。安全の住環境を整備して頂くと共に今後も活動の充実をお願いしたいと考えます。

 

青年、子ども達に望む事

八千浦は、小学中学と同じ顔ぶれで進学する特殊な地域と考えます。私も勿論八千浦小・中で学んでいる訳ですが、同級生90人中4組のカップルが生まれ、2家族は今でもここに住んでいます。そんな環境ですから、どの年代を見ても良き仲間が多いようです。ところがその反面、八千浦という守られた社会で過ごすうち『井の中の蛙』の例があるように、こじんまりした人間も多いように思われます。今から130年以上前、明治政府の招きで札幌農学校(現北海道大学)で教鞭をとったアメリカ人クラーク博士は任期を終え本国へ帰国する際、学生達に送った有名な言葉があります。『BoysBeAmbitious!少年よ大志を抱け!』これは北の大地で学ぶ学生達や子供達に夢と希望をもち大きく羽ばたけ、という思いです。前例の蛙にならぬよう心掛け、この地から日本という国を見据え、物事を考える事のできるような夢多き若者が数多く育っていってくれればと願っています。そのためにも私達大人が一丸となり、やるべき事も多々あると思います。私達振興会もこの事は常に頭に入れ、地域教育に貢献できたらと考えています。青年達には先輩が守ってきたふるさとの住環境と文化を守り抜き、子孫に胸を張ってバトンタッチ出来るよう頑張っていただきたいと思います。

これからの数十年で八千浦は大きく変わるでしょう。どう変わるかはあなた方の肩にかかっています。最後になりますが、60年近い人生の中で一番大切だと思う事は、他に対する思いやりです。『仁の心・義の心』を両立させ、成長してください。

 

 

                          

                                 

 

 

 

 

 海まつりのかき氷収益を八千浦中生徒会に寄贈

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

商工会提供 海まつりのぼり旗

(八千浦中学生が図柄選定)

 

 

 

 

 

 

   企業家としての研修を欠かさない

( 宮川 良栄 記 )

 

 第2章 明るい町づくりを求めて  7 青少年育成会議

八千浦地区青少年育成会議

                         

平成17年4月に、従来あった「青少年健全育成協議会」、「学校地域連携委員会」、「PTAウィークエンド活動」を一本化した会を作りたいと市側より要請がありました。

当時、私は青少年健全育成協議会の副会長(なぜか八千浦地区が副会長になる前例があった)で故杉林会長より(貴方が青少協の代表として参加してもらえないか)と再三頼まれて渋々返答を致しました。

◆第1回目の会合が平成1783日上越文化会館会議室で、開催されました。

◆会の名称は (上越市青少年育成の組織のあり方を考える懇談会)と名付けられました。

               (委員の方々 10名)

 

新井 康祐   小中学校PTA連絡協議会 会長

岩井 勝雄   市民 代表

川村より子   連合婦人会       代議員

木澤  勝   町内会長連絡協議会   副会長

樋口 一夫   青少年健全育成協議会  副会長

沼波 貞夫   学校・地域連携委員会   委員

増田 栄子   青少年健全育成委員協議会 幹事

小林  栄   社会教育委員

小山 貞栄   子供会連合会       会長

若井 一   上越教育大学       教授

 

◆市側の提案説明者

 上越市教育委員会 生涯学習推進課 秋山千恵子課長

◆懇談会  会 長 上越教育大学教授(現学長)若井 彌一

 

 このような体制で、懇談会がスタートしたわけですが、最初は皆さん何も分からず異論続出でした。平成17年8月の第1回懇談会より平成1811月まで、(13か月)の間8回の会合、先進県の視察など行い、いろいろありましたが、懇談会の内容がまとまりました。

 平成19110日に、若井会長より小林毅夫教育長に報告書を提出して、懇談会を解散致しました。その間私は、協議会長の別の会合と重なる事もあり(出席常ならず)で他の皆様や市の担当者に大変迷惑をかけた事を心苦しく思っております。

 その後準備期間をへて、平成21530日に 《地域の子どもは地域で育てよう》をスローガンとして《地域青少年育成会議協議会》が発会致しました。この会は原則として 中学校区単位であり、八千浦中学校区に 約24万円の交付金が支給されて足ぶみ状態でスタートを致しました。 

市では、八千浦には他には無い《明るい町づくり協議会》という立派な組織がすでにあるの

で、活用してください。名称も明るい町づくり協議会で結構ですという話であったので安心して今まで通りやれば良いと、525日の明るい町づくり協議会総会で(文化教養部)に組み入れる事にいたしました。

  『代表 樋口』、『実施責任者 渡辺戈樹文化教養部長』、『部員の方々』『、各町内会長』、

 『コーディネーター関川信之さん』、『事務局 公民館分館 笠原ミエさん』『小・中学校校長・教頭』それぞれお願いして、これまでやってきました。

 

7月31日に小・中学校の生徒・先生・保護者・地域のボランティア・又商工振興会の方々のご協力で、西ケ窪浜の海岸で《海まつり》を開催致しました。午前は小学校の部、午後は中学校の部ですばらしい盛り上がりとなり、特に中学生が模擬店の販売を生き生きとやっていたのが、良かったと思いました。地域の多数の方々の応援でこの様な盛大な海まつりができて、生徒たちも深く印象に残ったと思います。

 昨年より中学生が、地区体育大会や ママさんバレー大会で役員と一緒に朝早くから終了まで設営準備、審判などを行いました。地域の人達と何かを一緒にやる、また、地域の人たちも温かく見守り、応援する。 《これが青少年育成会議の骨子です。》

 中学校生徒会では、海まつりの時の模擬店の売り上げ金を、地域に還元するという事で過日

地域・各町内会・ディサービスヘ還元していただきました。

 これからも地域・保護者・教職員・生徒・共に頑張りましょう。

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海まつり実行委員会(中学生も実行委員に)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

海まつり売り上げの一部を福祉施設へ寄贈

 

 

 

 

 

 

学び愛フェスタ「まちづくりに向けた中学生シンポジウム」で海まつりの実践を発表

(←)中学生の実践発表を会長がコメント

                               ( 樋口 一夫 記)

第3章 地域の学校・園    資料

はじめに…,子どもを育てる,地域全体で,上越市教育ハンドブック スタンダード編
 

 

まちづくりに向けた中学生ワークショップの1シーン,よい子に育てる5カ条,@夫婦・家族が仲良く

A先生の悪口を子どもの前で言わない

B兄弟姉妹で比較をしない

Cまず大人から基本的生活習慣を守ろう

D学校へ頻繁に足を運ぼう 

 

 

 



親子で和太鼓の体験,愛情たっぷりのあたたかい家庭をつくりましょう,第1章

 

 

 

 

 

 

 


家庭教育が子どもの成長に果たす役割は、大変大きいです。特に、変化の激しい社会を生きる上で、その土台となる基本的生活習慣を身に付けることは、家庭教育の要といえます。

子どもにたっぷりの愛情を注いで、あたたかい家庭をつくりましょう。

下の10項目は、家庭教育の重要なポイントになると考えました。ときどき振り返ってみてはいかがでしょうか。

あたたかい家庭づくりのポイント

チェック

1 早寝早起きを心がけている。

 

2 子どもは、毎日バランスのよい朝食をとっている。

 

3 子どもと「おはよう」「ただいま」「おやすみ」などのあいさつを交わしている。

 

4 今日の出来事について、子どもと話をしている。

 

5 子どもが行う家事の分担を決めている。

 

6 家で読書や勉強する時間をとっている。

 

7 テレビやゲーム、ケータイのルールを作っている。

 

8 子どもと一緒に地域の活動に参加している。

 

9 子どもに自然体験をさせるよう、心がけている。

 

10 子どもの発するサインを、キャッチしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


きれいになって
気持ちいいなー,よーし、勉強
するぞー!,決めたルールは
ちゃんと守ろう! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

近くに楽しい
ことがたくさん
あるねー,外で遊ぶって
楽しいな〜,だれかに
話したい・・・
でも・・・
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

地域の事業所で職場体験活動を行う中学校生徒,教職員が一丸となって教育を進める学校をつくります,第2章 

 

 

 

 

 

 


上越市では、次のような子どもを育てる学校をめざしています。

《上越市学校教育目標》

ふるさと上越を愛し、学ぶ力、豊かな心、健やかな体をもって、

自立と共生ができる子どもを育てる。

 
 

 

 

 

 

 

 


この上越市学校教育目標には、どんな気持ちが込められているのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


*「上越市学校教育実践上の重点パンフレット」に、詳しい内容が記述されています。ご覧ください。

 

   

 

 

 

 


子どもは、「地域の宝」です。地域が主体的にその地域の教育のあり方を考え、学校と連携して地域の教育活動を行っていくことが大切です。

地域の実態に合わせて、地域ぐるみで、次代を担う地域の子どもたちの成長と幸せを願って、活動していきましょう。町内会、子ども会などが行う様々な行事や地域青少年育成会議の活動を通して、大人たちの交流や協働が進み、地域で育った子どもが一緒になってまちづくりに加わっていくことを願っています。

キーワードは、次の5つです。

上越市地域青少年育成会議協議会
シンボルマーク 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

情報編,知っておきたい子どものこと 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 


 

9,まず、学校に相談してください。早期対応が解決の鍵です。,ミニ情報,特別支援教育の観点から 

 

 

 

 

 



■連絡先一覧 

家庭で・地域で・学校で・・・

子どもたちをみんなではぐくむために、たくさんの機関が連携しています。

お子さんの成長や学校生活について、あるいは、教育に関する各手続きや子育てをしていく上での不安や疑問について、お気軽にご相談ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


                                                                                                                                             

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


小学校紹介

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小学校PTA

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中学校紹介

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第3章 地域の学校、園  4 八千浦中学校PTAの取組           

八千浦中学校PTA活動について

テキスト ボックス:

1 PTA組織と各部の活動紹介

          

         総務部

          広報やちほ 2回発行

         保体部

         体育祭PTA種目運営

上越市PTA連絡協議会(市P連)川東ブロック親善球技大会

SANY0044.JPG

 
参加要請および実行委員

PTA三役    校外部

         校区内の安全・防犯パトロールの実施

         

        交通安全母の会

          交通安全母の会八千浦地区代表

事務局     会議等への出席

        3学年部

          学年部会 学年行事の立案、実行委員  22年度3回実施

        2学年部

          学年部会 学年行事の立案、実行委員  22年度3回実施

        1学年部

          学年部会 学年行事の立案、実行委員  22年度3回実施

2 22年度の活動について

 今年度新しく取り組んだ「海まつり」について紹介します。

 @浜辺で生活する住民の輪と知恵を学び、郷土愛を深める。 A仲間同士や地域の大人との触れ合いから、イベントを企画・運営する能力を伸ばす。このIMG_9291.JPG二つの目的から、青少年育成会議が主催となり、中学校、PTAの共催で行われました。生徒会が主体となり、生徒全員がそれぞれの役割を担い、来訪されたお客様をもてなす姿が印象的でした。また、地域の皆様、PTA会員の保護者と多くの大人達が一生懸命頑張っている姿を生徒達は決して忘れることはないでしょう。

                                             

( 伊倉 雅之 記)

3章 地域の学校・園  4 保育園

八千浦地区の保育園

二つの保育園

「八千浦地区」には「やちほ保育園(定員80名)」「夷浜保育園(定員70名)」の二つの公立保育園があります。両保育園共、園児数が5060名前後と小規模ですが、以前はこの地区には黒井・遊光寺・夷浜の三つの保育園がありました。黒井保育園と遊光寺保育園が統合し、平成9年に「やちほ保育園」となりました。

保育の目標

市では、保育目標として「健康で明るい子ども」「なかよくあそぶ子ども」「ひとりだちのできる子ども」「創造性豊かな子ども」の四つを掲げ、保育を行っています。八千浦地区では近くに海や公園・松林等があり、自然あふれる環境の中、のびのびとした保育を目指しています。散歩等園外保育に重点をおき、自然と親しむことを第一としていますが、地域の人々とのふれあいを大切にし、隣接しているデイホームや、やちほ保育園に併設されている「子育てひろば」との交流を深めるなど、地域と密着した保育も心がけるようにしています。

園の行事

保育園では年間を通じて、様々な行事があります。毎月決まっている(誕生会・体位測定・避難訓練)の他に夏祭り・運動会・敬老の集い・発表会など、地域活動事業といった地域の人達を招いての行事や、バスを利用しての遠足なども毎年、年間行事として組み入れられています。また、同じ地域にある保育園同士、お互いの園に散歩に出かけ、子どもたち同士の交流会を実施するなど、様々な面で協力し合う体制を図っています。

保育サービス、力を入れていること

保育サービスでは、18時までの延長保育を実施していますが、保護者の就労時間の拡大により、年々利用者が増え続けているのが現状です。他に、障害児教育や育児相談なども行っていて、先に紹介した地域活動事業や子育てひろば(やちほ保育園)を実施しています。どれも、保護者のニーズに応えるという点では、大切な取組となっています。

また、「体力作り」や「食育活動」にも力を入れています。次代を担う子どもたちの体力低下が懸念されている今、お腹を空かせて楽しく食事ができるよう、運動あそびに力を入れ、食育の一環として野菜作りや、クッキング等の活動も実施しています。特に、自分たちで育てた野菜を使ってのクッキングは、子どもたちにとってとても貴重な体験となっています。保育園には、0歳児から5歳児までの子どもが入園していますが、園児数が少ないこともあり、「異年齢交流」にも重点をおいています。自由遊びはもちろんのこと、散歩・遠足等小さい友だちと必ずペアになり、一緒に出かけたりお世話をしたりされたり。大きい組の子は小さい子をいたわるという気持ちが育ってきています。年齢差があり、遊びも発達段階により違いますが、年齢が上がるにつれ社会性が芽生えてくることから、個々に遊んでいたのが段々と友だちと関わって遊ぼうとする姿がみられるようになります。関わりが多くなる反面、トラブルも増えますが、こういったトラブルをたくさん経験して、それぞれが大人になっていく成長過程の一つとしてとらえ、子どもたちをしっかりと見守っていくことが、子どもの力を育むことへの一歩につながるのではないかと考えています。

園の願い

これからも、保護者が安心して子どもを保育園にあずけられるように、子育て支援の充実を図り、保護者や地域の皆様と共に、子どもたちのすこやかな成長の喜びを分かち合えるような、保育園でありたいと思います。               (山本政子・佐藤裕子 記)

第4章 子育てQ&A    1 地域住民、保護者によるアドバイス

子育てQ&A (1)

 

 核家族や共稼ぎ世帯が多くなるにつれ、子どもも親も祖父母の世代や近所の古老からのアドバイスを聞く機会が減ったのではないでしょうか。祖父母の世代が同居していても、若い世代に遠慮したり自分の考えに自信をもてなかったりして、思うように伝えられないかもしれません。

 ここでは、「子育て名人」と評判の住民の方々から回答をいただきました。

フローチャート: 代替処理: Q1 3人の子供のうち、2番目の子供が口数も少なく反抗的なところがあります。

A1 自立心があってよい、という見方もあります。最初の子供や末の子に家族中が注目し、2番目の子供が不満に感じているのかもしれませんね。親は、どの子にも等しく愛情をもっているのですが、伝わり方が異なる場合があります。時には、2番目の子供さんだけとの時間をつくってみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


4章 子育てQ&A  2 スクールカウンセラー、臨床心理士等による回答例

子育てQ&A(2)

 

教育委員会のページにもあるように、深刻な悩みは適切な人に相談するのが一番です。ここでは、県や市でカウンセラーとして多くの症例に接している方々からアドバイスをいただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


第5章 すてきな大人を目指して   1 小学生の部

私の将来の夢

         

 私の将来の夢は、介護士になることです。理由は老人介護施設に行った時、そこで働いている人たちを見て「すごいなぁ。」と思い、好きになったからです。また、お年よりの笑顔を見たいからです。私はこの6年間で、低学年の友だちに優しくそうじのやり方を教えてあげたり、同じクラスの友だちが泣いていたりした時、相談などをしてあげました。この経験は、私の夢につながると思います。

 介護士の仕事は大変だと思うけれど、働いている人たちは、とても楽しそうでいつも笑顔ですごいと思いました。またお年寄りに優しく「大丈夫ですか。」と声がけしていて、お年よりの皆さんが声をかけられるとすごく元気になり「大丈夫だよ。」と笑顔で言っている姿を何回か見たことがあります。車いすの方もいるので、移動する時は優しく押してあげて、外や病室まで連れて行く仕事がたくさんあり、少し大変だと思います。また、お年よりの方は、たくさんいて、中には病室で寝たきりの方や車いすの方などが多くいます。でも、皆さんの顔を見ると悲しんでいる人はいません。皆さんそれぞれ友だちがいて、とてもよい笑顔をしています。私はその笑顔が大好きです。だから、私もお年よりを笑顔にできるような介護士になりたいです。

 中学校へ行っても、もっとたくさん友だちと仲良くしたいです。悲しんでいる時に相談にのってあげられるようにしたいし、優しい声がけをして友だちと仲良くしたいです。自分のおばあちゃんにもたくさん優しくしていきたいし、お手伝いをしておばあちゃんを笑顔にさせたいです。介護士になることを、がんばりたい目標として夢に向かってがんばります。

     ( 6年 大島 和 記)

だからぼくはあきらめない!!

 「すぐにあきらめるな。」それが、いつも母に言われる言葉だ。そして家族に、「お前は、すぐにあきらめてばかりで最後まで努力をしない。」と怒られる。 頭ではすぐにあきらめないでおこう。あきらめるなら、努力をしてからにしようと思っていた。でも、すぐに同じことを言われてしまった。野球の練習でノックを受けている時だ。かんとくやコーチに「うでを伸ばして飛び付けば、ボールを捕れるのに、なぜあきらめて手を伸ばさないんだ。最後まで、あきらめるな。」と、何度も言われた。その度にくやしくて、くやしくて泣きそうになってしまった。

 「今度こそ最後まであきらめないぞ!!」とちかった。

 そしてそのちかいを守る時が来た。それは僕たちの最後の野球大会だ。負けていた試合で、いつもなら「もうだめだ。」とあきらめていたが、この時は違った。どうしても勝ちたかった。もっと野球をしたい。ここで終わりたくない。みんなと野球をしたい。という気持ちになった。そして同点にすることができた。最後まであきらめずに戦うことができ、達成感を感じた。

 僕はこの経験を生かせば、社会に出てどんなにつらいことがあっても、悲しいことがあっても耐えられると思う。だから、ぼくはあきらめたくない。ぼくはぼくなりのことをして、あきらめずに一生けん命がんばりたいと思う。

 「最後まで全力を出してあきらめない!!」を心にちかい、がんばっていく。

                             ( 6年 渡邉 克己 記 )

 

八千浦小学校アンケートから(1〜6年生

 

  大人になったら、どんなしごとをしたいですか。(大きくなったら何になりたいですか。)

【男子】

 

1年生

2年生

3年生

4年生

5年生

6年生

第1位

運動選手

運動選手

運動選手

運動選手

運動選手

運動選手

第2位

消 防 士

菓子職人

消 防 士

大   工

大   工

ゲームクリエーター

第3位

警 察 官

芸 能 人

医   師

消 防 士

ゲーム会社

医   師

【女子】 

 

1年生

2年生

3年生

4年生

5年生

6年生

第1位

お母さん

ケーキ屋

店   員

美 容 師

美 容 師

看 護 師

第2位

運動選手

運動選手

運動選手

動物飼育員

パティシエ

人の役に立つ仕事

第3位

看 護 師

美 容 師

ケーキ屋

看 護 師

運動選手

動物関係の仕事

 

2 学校で一番楽しいことは何ですか。

 

1年生

2年生

3年生

4年生

5年生

6年生

第1位

体   育

縄 跳 び

友達と遊ぶ

友達と遊ぶ

友達と遊ぶ

休み時間

第2位

友達と遊ぶ

先生・友達に会える

友達と勉強

給   食

体   育

友達との会話

第3位

全   部

友達の笑顔

体   育

体   育

勉   強

授   業

 

3 休みの日や学校からかえってから、何をして遊ぶことが多いですか。

 

1年生

2年生

3年生

4年生

5年生

6年生

第1位

ゲ ー ム

ゲ ー ム

ゲ ー ム

ゲ ー ム

ゲ ー ム

ゲ ー ム

第2位

テ レ ビ

スポーツ

外 遊 び

友達と遊ぶ

外 遊 び

パソコン

第3位

外 遊 び

兄弟と遊ぶ

ベイブレード

外 遊 び

パソコン・テレビ

友達と遊ぶ

 

4 おうちで一番楽しみなことは何ですか。

 

 

 

 

 

1年生

2年生

3年生

4年生

5年生

6年生

第1位

誕 生 日

家族で外出

ゲ ー ム

ゲ ー ム

団らん食事

団らん食事

第2位

クリスマス

食   事

読   書

団らん食事

読   書

テ レ ビ

第3位

お母さんの笑顔

ゲ ー ム

母と遊ぶ

テ レ ビ

パソコン

犬と遊ぶ

 

5 自分の町「八千浦」のよいところは何だとおもいますか。

    (八千浦の中でじまんできることは何ですか。)

 

1年生

2年生

3年生

4年生

5年生

6年生

第1位

公   園

元気がよい

やさしい

  海

  海

  海

第2位

人が優しい

みんなの笑顔

  海

自然がたくさん

行事が沢山

元気がよい

第3位

海がきれい

地域の人の声がけ

あいさつ

みんな元気

みんな元気

思いやり

 

                         ( 久川 寛 記 )

第5章 すてきな大人を目指して      2 中学生の部

 

こんな大人になりたい

 

部活のコーチのように

 

  私が今、最もお世話になっている地域の方々は、部活のコーチです。私が所属している卓球部には、外部コーチとして八千浦地域の方々がおられます。平日も休日も教えに来てくださり、休日には毎週のように来てくださるのです。部員が20人以上もいるにもかかわらず、全員にアドバイスをくださいます。そのような方が何人もおられるのです。

お陰で、私達卓球部は、本年度の新人戦で市内2位を獲得することができました。とてもうれしく、大きな自信となりました。コーチも喜んでくださいました。コーチがいなければ得られない成績だったと思います。私達卓球部員は、皆、コーチを信頼し、コーチの指導に感謝しています。

  私は将来、自分が接した地域の大人のように、心の温かい人になりたいと思います。地域のため、地域の人のために働き、そして私の部活のコーチのように、中学生まで愛せる大人になりたいと思います。

                        ( 2年 利根川 絢名 記)

 

 

地域に貢献する町内会の方々のように

 

112日、全校で「地域出前ボランティア活動」を行いました。各町内に出かけ、植樹や伐採枝の始末、草取りなど町内会長様方が用意された仕事を教わりながら手伝わせていただく活動です。

2年生は、「総合的な学習」として全員が西ヶ窪浜でハマグミ植樹の準備としての風除け対策のご指導をいただきました。重い竹を運ぶ、杭を運んで打ち込む、紐を固く結ぶなど、実際に体験してみてとても大変な仕事だと分かりました。雨風の激しい中で思うように仕事ができませんでしたが、そんな中でも当たり前のように働く地域の方々の姿を見たときは、本当に感動しました。私たちも地域の方々を見習い、辛いことにも耐えていけるようになりたいと思います。

また 町内会長さんのお話で、「地域を守るために保安林がある」と聞きました。実際に今日のような暴風雨のときに、保安林が風除けとしてとても役立つものだと身をもって分かりました。地域の方々が、地域に住む私達のためにこのような仕事をしていると知り、私も大人になったら地域に貢献できるようになりたいと思いました。

                         ( 2年 五十嵐 涼子 記 )

 

 

八千浦中学校アンケートから(1、2年生)

 

地域で見つけたすてきな大人

 

・通りすがりに自分の方から挨拶をしてくれる人。挨拶をきちんと返してくれる人

・挨拶をすると「いい子だねえ。」とほめてくれる人

・交通安全運動で街頭に立って子供を守ってくれる人

・地域行事や町内の仕事を一生懸命お世話している人

・マナーの悪い子供を叱ってくれる人

・学校の行事に来て、拍手をしたりにこにこして声を掛けたりしてくれる人

・部活動に来て一生懸命教えてくれる人

・通りがかりに、とれたばかりの野菜をくれた人

 

 

       職場体験学習で出会ったすてきな職業人

 

 

・中学生に分かりやすく作業を教え、さりげなくサポートしてくれる人

・他の社員の人達と明るく話し、仲よさそうに働いている人

・「顧客第一」と考え、笑顔でていねいにサービスする人

・仕事にやりがいを感じて働いている人

・仕事がうまい人

 

 

わが家のすてきな大人

 

・どんなに忙しくても子供のために手料理を作ってくれる親

・家族のために朝も深夜も一生懸命働く親

・道路に捨てられていた傘を自分の家でゴミ処理した母

・何でもよく話を聞き、なぐさめてくれる親

・親がいない時、親の代わりに家族の世話をしてくれる祖父母

・親とけんかした時、やさしくなだめてくれる祖父母

・家の手伝いをした時、「助かったわ。」「よくできたね。」と言ってくれた時の親

・自分の買い物を減らして子供の服などを買ってくれる親

・叱るときは叱って自分を育ててくれた親

・近所の人たちと仲良く、休みの日や夜も町内の仕事に協力している親

・テストの点数が悪い時、「今度がんばればいいよ。」と言ってくれる親

                              ( 宮川 俊英 記 )

第5章 すてきな大人を目指して      3 高校生の部−1

 

町内行事から得たことを生かす

  僕の住む地区では、毎年「ピンポン大会」という行事があります。冬の寒い時期の運動不足を解消するとともに、人とのつながりを広めようとする取組です。近所に住む大人の方達とダブルスを組んで、勝ったり負けたりするのは楽しいです。高校生となると、昔よりも地域の方との付き合いが悪くなってしまうと思いますが、何も気にせず話しかけることができます。  

僕は幼少時から人見知りしやすかったのですが、今は誰にでも挨拶できるようになりました。ピンポン大会のお陰です。この経験を生かして、社会に出ても当たり前のように挨拶ができるようになりたいです。

両親に感謝し、子孫を残す

僕にとって家族はかけがえのない存在です。家族の中で大人は父と母を示しますが、僕から見て全部が全部見習いたいわけではありません。良いところもあり、悪いところもあることが普通です。

父と母は今まで僕を育ててくれました。この二人がいなければ僕は存在しません。なので、大人になったら結婚して子どもをつくりたいです。育児は難しいとは思いますが、経験することによって親の気持ちを体験できますし、子どもをつくるという喜びを味わえると思います。それに何より、子孫を残すという大事なことです。先祖代々と続く、この家をなくすわけにはいきません。これこそが、親への恩返しなのではないでしょうか。

職業人になったら

  僕の今の目標は「就職」です。不景気の真っただ中ということは承知の上ですが、大人になる以上、働かなければなりませんので、今やるべきことを実行しています。

  「大人」って、なぜか偉いイメージがあるのは僕だけでしょうか。働いて、お金を稼いで家庭を助けるのは大変ですし、疲れます。それを行う大人の方たちは偉いです。

  僕はまだアルバイトをしたことがありません。働く場の経験を中学生時代の職場体験学習でしかないので、正直よく分かりません。でも、大切なのはコミュニケーション能力と、やる気だと思います。僕が働きに出る時は、この二つを基本にして取り組みたいです。

  大人になるということは難しいものです。今の暮らしがガラリと変わり、一段と忙しくなります。しかし、人って忙しくなる程、生き生きとしていると思いませんか。だからと言って仕事を山積みにしてはいけませんが、努力を惜しまなければ全てうまくいくと僕は信じています。「継続は力なり」が当たり前にできる人になりたいです。       

 

( 2年 興川 幸一 記 )

 

 

 

 

 

第5章 すてきな大人を目指して      3 高校生の部−2

 

若者を支える大人

注意を怠ると転落事故が起きかねない渓流沿いの細道や橋などには、必ず手すりがついています。実際に事故が起きるときには手すりもろとも落ちてしまうだろうから、その手すりは万全さを保証しているわけではありません。しかし、手すりがあれば、安心を得ることができます。

私は、大人とは人生を行くときの手すりのようである、と感じることがあるのです。この手すりのように、家族や教師、地域の人々は、私たちに安心と保護されているという安定感を与えてくれるからです。 特に私たち若者には、こういう手すりのような役割を無意識に果たしてくれる人が、大きな心の支えになってくれています。その支えのおかげで私たちは目標に向かって励むことができるのです。たくさんの人に見守られて今を生きているということを忘れずに、また、支えて下さっている方々に感謝して毎日を過ごしていきたいと思います。

私を支える家族との対話

対話、それも、たわいのない世間話や噂話の応酬といったものではなく、何か決まった事柄についてのじっくりした話合いはとても大切です。なぜならば、そういう話合いによって、自分が何を考えているのか、何を見落としているのかがはっきり分かってくるし、問題の重要な点がどこなのかも今までになく見えてくるからです。こうして、一つの考えというものが形としてまとまってきます。そして多くの人にとって、このような対話を気兼ねなくできる相手というのは自分の家族なのではないでしょうか。

独りでぐずぐず考えてばかりだと、とめどがないばかりで何もまとまらないものです。大学受験を間近にひかえ、自分の進路について真剣に考えるようになった私は、この家族との対話に何度も助けられました。そんな家族に感謝すると同時に、これからも家族との対話の時間を大切にしていきたいと思います。

( 3年 上石 麻未 記 )

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ウンラン(白い花の中心にアプリコット色が入る。)

ハマウツボ(寄生植物のため姿を見せる期間は短い。)

 

編集委員

 

1

編集委員長

青少年育成協議会長、南荒浜町内会長

樋口 一夫

2

副委員長

青少年育成協議事務局長、西ヶ窪浜町内会長

渡邉 戈樹

3

編集委員

黒井町内会長

仲田 紀夫

4

編集委員

上荒浜町内会長

笠原 栄

5

編集委員

下荒浜町内会長

笠原 武

6

編集委員

遊光寺浜町内会長 

伊倉 吉晴

7

編集委員

南原町町内会長

清水 健一

8

編集委員

夷浜町内会長

永野 一

9

編集委員

夷浜住宅町内会長

関口 栄子

10

編集委員

八千浦小学校PTA会長

柳澤 司郎

11

編集委員

八千浦中学校PTA会長

伊倉 雅之

12

編集委員

八千浦小・中連携委員会平成22年度会長

清水 哉子

13

編集委員

八千浦小・中連携委員会平成22年度副会長

佐藤 剛

14

編集委員

青少年育成会議コーディネーター

関川 信之

15

事務局

青少年育成会議事務局

笠原 ミエ

16

事務局

八千浦小学校教頭

久川 寛

17

事務局

八千浦中学校教頭

宮崎 俊英

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

八千浦中学校屋上から妙高山を望む

編 集 後 記

八千浦地区にも2年続きの大雪が降り、除雪に忙しい季節でしたが、地域の皆様の努力と協力が実り、「八千浦地区教育ハンドブック」を作成することができました。上越市地域活動支援事業の補助を受け、市長様からも御寄稿いただき、写真を豊富に用いた充実したページになったことを、本当にありがたく思います。編集委員の中から、「ずっと八千浦に住んでいても、知らなかったことが幾つもあった。」「普段の自分達の町内の活動も、子供達の学習材料になることが分かった。」「もっと活動の記録写真を撮っておけばよかった。」との声が聞かれました。短期間で作成しましたので不十分な点が多々あろうかと思いますが、地域の皆様の相互理解、子供達の学習資料、子育ての一助になれば幸いです。

さて、本冊は、新たな資料等が生じた時などに追加ページを綴じ込めるよう、2穴ファイル型にしました。何年かしてから追加配布や差し替えがあるかもしれません。お読みくださった後も、どうか保管しておいていただきたいと思います。

編集に当たっては、資料の転載として、上越市教育委員会生涯学習推進課様、上越市公文書準備館様、米沢市上杉博物館様、NHK出版様、八千浦小学校120周年記念誌編集委員会様、八千浦商工振興会様、上越少年サポートセンター様等から許可等の便宜をはかっていただきました。また、新規資料として、上越市教育委員会様から教育ハンドブック作成校共通掲載ページ、中部電力株式会社様と国際石油開発帝石株式会社様からは子供達のエネルギー学習資料という観点からのガイドページ、記録写真として八千浦小学校校史館内の資料、中部電力火力発電所様から地域全景編集写真、上越市広報対話課様から少年消防隊全国表彰時記念写真を御提供いただきました。さらに、地域の伝統芸能であり市指定民俗文化財に指定されている「米大舟」については、伝承してきた夷浜町内からお手持ちの資料を提供いただき、加えて、地域の音楽教育家熊倉洋子様から黒井伝承の米大舟を御自身で採譜された楽譜も提供いただきました。多くの文献から引用もさせていただきました。題字は、黒井在住の書家、小池忠訓様から揮毫いただきました。執筆に御協力いただいた方々を含め、関係各位に心から感謝申し上げます。

この冊子は、八千浦地区住民の地域を思う熱い心とボランティア精神によって作成されました。次の世代にこの精神が継承されることを期待するとともに、この「教育ハンドブック八千浦」を手にして、各御家庭で話が弾んだり、校歌の楽譜を見て一緒に歌ったりするシーンが生まれることを願っております。

(編集委員、青少年育成会議コーディネーター  関川 信之 記)

 

八千浦地区教育ハンドブック

   発行日 平成23年3月17日

   編集・発行 八千浦地区教育ハンドブック編集委員会

        (八千浦地区青少年育成会議)

        〒942−0022 上越市下荒浜982−41

                ☎543−3191(公民館八千浦分館内)

   印刷所 不二印刷 上越市安江字島野144