・・・・・魂のルネッサンス 心と魂の解放 ・・・・・
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<第1章-3>     トラウマからの解放

幸いににもトラウマを持たないで育った方には、
トラウマを持つ人の苦悩は、理解しがたいでしょう。

トラウマは、本人にも説明のつかない怒りや恐れ、体や思考の硬直、体調不良
などなど、色々な現象を引き起こします。
あるいは、そうした思いに突き動かされた行動をとります。
本人にも説明がつかないのですから、人様には、もっと不可解でしょう。

人様から見れば、些細な事と思われるような事で、両親や家族に対してこみ上げる怒り。
冷静になれば気づく、自分の中の怒りの異様さ。
人様から見れば、些細な事と思われるような事で、抱く恐れ。
冷静になれば気づく、自分の中の恐れの異様さ。

心理学的な説明によると、この不可解な心理を引き起こすのは、
無意識の中に蓄えられた記憶です。(参考書301304310)
トラウマとして、障害になるのは、この無意識の記憶です。
この無意識の記憶から解放される事が、トラウマからの解放です。

これを乗り越え、トラウマからの解放を実現する一つ目のハードルは、
無意識の記憶として残っていたトラウマを、明瞭な記憶に再現することです。
トラウマになった仕打ち、何故そんな仕打ちを受けたのか、記憶を再構成することです。
その仕打ちの原因は、自分にも一部あったかもしれませんが、むしろ与えた側にあります。
トラウマは、仕打ちの原因のほとんどが、自分にあると錯覚している深層心理です。

その仕打ちをした相手から離れることができないから、
ありのままの自分を否定し、自分を変える事で、相手から受け入れてもらおうとする。
仕打ちへの「恐怖・悲しみ・怒り」の感情は、麻酔にかかったように押し殺され、
無意識や潜在意識と言われる所に溜めこまれます。
そして、ありのままの自分を嫌悪する、深層心理が働くようになります。

一方では、押し殺したはずの「恐怖・悲しみ・怒り」は、ふとした事で、一気に噴出します。
その仕打ちをした当人から離れようとする心理が働く時や、(例えば、思春期
過去の仕打ちを連想する場面に置かれた時、(例えば、子育て時期)
これをきっかけとして、押し殺していた情念が噴出し、自分にも訳の解らない激情となります。
このような状況下、今度は、自分が仕打ちを与える側になりかねず、(自分子供、他)
悲しくも哀れな連鎖を引き起こしかねません。

あなたの心の中にも、訳の解らない激情があるなら、ありのままの自分を不安に思うなら、
それはトラウマかもしれません。
トラウマだとすれば、トラウマになった仕打ちを何とか思い出してみて下さい。
大人になった自分の目で、その状況を観察し直し、その仕打ちが不当な事を確認して下さい。

今まで嫌悪していたのに、徐々に、ありのままの自分がいとおしい存在に変わっていきます。
そして、最終的には、与えた側にある原因や背景を考え、その人をも許すことです。
無意識に沈んでいた悲しみや怒りも和らぎ、トラウマからの解放は少しずつ近づいてきます。
・・・・・・・・・・・・(2010年7月22日:以上23行加筆修正)

しかし、トラウマと、正面から向き合うのは、容易ではありません。
幼子が、その時の心の痛みを和らげるには、その仕打ちを忘れる事しか方法はなかった。
だからこそ、それが無意識に閉じ込められ、トラウマになったのです。
なぜだろうと考えても、分からないまま、本当の原因の一歩手前で、堂々巡りしてしまう。

本当の原因になった心の痛みと、再び向き合うには、勇気がいります。
心のリセット」は、こんなとき、自分の心の傷をいたわり、癒しながら、
心の痛みに正面から向き合う勇気を与えてくれます。

自分をいたわり、癒してくれるもの、本来であれば、それが親の思いやりでしょうが、
本当の思いやりを持てない、あるいは、そのような気持ちを装うことしかできない、
悲しくも哀れな親として、子供に接してしまい、そのまま取り返せないでいる親もいます。
親に代わる、より大きな存在を探し求めて、
そして、慈悲とはどんなものか、考え、考えしながら、
私は、集合体としての魂に行き着きました。
私にとっては、これでしか救われないもの、どうしても必要なものです。

次のハードルは、虚脱感などです。
トラウマの働きが緩和され、トラウマからの解放が近づいてくると、
今までトラウマに突き動かされていた自分の行動原理も崩れていき、
虚脱感や意欲の減退などが現れます。喜び・感動・感謝」は、こんなときにも、心に希望の灯をともしてくれます。

修正:2009年8月30日
(「」印行、2010年12月12日修正)





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