・・・・・魂のルネッサンス 心と魂の解放 ・・・・・
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<第5章-3>     ふたたび、喜び・感動・感謝・慈悲

心のリセットで、あなたを包んだ温もりは、神様の温もりです。
幼子が親の慈愛に優しく抱かれるときの温もりと同じです。(参考書313

最初に、手を握り合わせた時の温もりは、自分の温もりと思われるかも知れませんが、
その温もりも、神様の温もりなのです。(参考書209

神様は、ありとあらゆる物に宿っておられ、
自然な働きを蔭から導こうとされているのです。
体の温もりも、神様の導きで生まれているのです。

自然の働き、物理法則であろうが、経済法則であろうが、
この世の諸法則の全てを蔭から導こうとされているのです。
片時も目を離さず、私達をじっと見守り続けて下さっています。
幼子を見守る親の目と同じです。(参考書313

神様は、「可能性を試してみよう、各々の命を輝かせてみよう。」
と、願われているのではないかと、私には思えるのです。
そうしたチャンスを与えてくださり、見守っていらっしゃるお心が、慈しみの心です。
しかし、そこには様々な試練や試行錯誤があり、
計らずも、不遇を囲う場面もあるでしょう。
その不遇を見守られているお心が、悲しみの心です。
この慈しみと悲しみを合わせたものが、神様のお慈悲です。

神様は、公平にして無私です。
幼子に直接手を差し伸べる事は、親にはできますが、
神様には、できません。
どんなに心を痛めたとしてもできるのは、見守り、包む事だけです。

神様がどんなに悲痛な声をあげても、私達には届きません。
どんな場合も、この世の諸法則が複雑に絡み合い、その結果の現実です。
失敗や困難、失意の中にあっても、新鮮な目でその現実を見直すことができれば、
そこに、神様の示唆が含まれていた事が見えてきます。
心を澄ませ、全体を俯瞰しながら、問題の核心を臨場感をもって感じ取るとき、(参考書307
神様の声の残響を、かすかに感じることができます。

私は、この神様の玄妙な導きに、喜び、感動し、感謝します。
打ちひしがれ、蔑まれ、うとまれ、意気消沈しているときは、心に栄養が必要なときです。
喜び・感動・感謝は、前向きなエネルギーを心に注ぎ込んでくれます。
心の救いであり、魂の再起です。

どんなに意気消沈していても、この神様の玄妙な導きを想うと、
自分の周囲の出来事が、全く新鮮に映ります。
世の中を感じ取る感覚が鋭くなり、
まるで、生まれて初めて、眺めるような気分です。

幸の原因は不幸の中にあり、不幸の原因は幸の中にあります。
幸、不幸で、いつまでも一喜一憂していては、振り回されるだけです。
喜怒哀楽は、その時にだけ味わえば、充分です。
さあ、我に返り、あるべき自分の魂に帰りましょう。(参考書206201
そして、神様の示唆を感じましょう。

修正:2009年8月27日





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