新潟県 妙高高原温泉郷 関温泉 朝日屋
歴史  癒しの湯宿 朝日屋

  山と湯と雪をテーマに
妙高・関温泉の歴史を少しご紹介いたします
 山のお話 
  妙高山は別名―須弥山(しゅみせん)―
  仏教世界の中心にそびえる高い山と言う意味です。
  古くから山岳修験信仰の地でした。
  古来、日本の山岳信仰では、
  女人登拝は禁制になっておりました。
  そのため関温泉の近くには三途の川
  と呼ばれる場所があります。
  それより先は女人禁制であったことを思わせる名残です。
  妙高山の信仰の厚かった
  木曾義仲の姥の話も伝承されております。
  現在は日本百名山の一つとして登山や
  地域のシンボルとして愛されております。

関温泉 湯の歴史
安政6年以前の鳥瞰図
 湯のお話
  温泉も古くから利用され
  越後関山の湯と呼ばれておりました。
  上杉謙信の隠し湯や
  松之山・湯沢と並んで
  越後三名湯の一つとも言われております。
  本格的な開湯は享保12年
  昭和30年ごろまでは関温泉には3つの外湯がありました。
  それ以後各宿に温泉を引き込む内湯となりました。
  現在は湯治場として
  また源泉かけ流しのお湯を愛するお客様より
  癒しの湯としてご好評頂いております。 
 関温泉 湯の歴史2
昭和30年ごろの外湯時代の光景
 雪のお話
  明治44年にレルヒ少佐の来日により
  アルペンスキー技術は急速に普及しました。
  関温泉では大正5年ごらから
  大学山岳部が来始め
  朝日屋でも
  第一次南極越冬隊隊長西堀栄三郎氏や
  今西錦司氏など多くの方が
  スキー技術の体得に励みました。
  現在は日本有数の豪雪地帯として
  深雪から春スキーまで
  雪を愛するお客様よりお楽しみ頂いております。
 関温泉 スキー歴史
テレマークスキーの光景

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