<第2章-2> 心とは
心と体は、一体のものです。
心を脳細胞の活動と考えるなら、
他の内臓や筋肉の活動と同様、体の活動に違いありません。
入力に対して、出力があるという点では、同じです。
違うところは、他の活動では、一つの入力に対して、一つの出力があるのに対し、
脳の活動には、同時に複数の入力があり、
矛盾する入力であっても、それを処理しようと、頑張るところです。
これが「思考」です。
まさに、この違いが、心の悩みの大本であると同時に、
生存の可能性を高めることにもつながっています。
心を複雑にしている入力の一つに、「本能」があります。
人間も動物の一種である以上、本能抜きには、生きていけません。
生存にプラスになることは、気持ち良く感ずるようにプログラムしてありますし、
生存にマイナスなものは、気持ち悪いとか怖いと感ずるようにしてあります。
長い進化の過程の初期のうちに、神様がはからってくれたことです。
本能に頼った行動ばかりでは、脳が未発達の生き物と変わりません。
本能と思考とは、しばしば対立します。
矛盾を抱えたまま、思考に基づいた行動ばかりでは、活力が衰えます。
さらに複雑にしているのが、「感情や気分」です。
機嫌と言っても良いです。
この感情や気分を左右するのは、生まれてからの記憶の蓄積が関係しています。
気持ち良かった、怖かったと言う、生存本能に根ざした感じ方、
更には、そう感じた時の状況の記憶、
そうした諸々と、今、目の前で起きている状況とがつながって、
自己発生的な入力が起きます。
それが感情や気分です。
感情や気分に頼った行動ばかりでは、幼稚な事しかできません。
感情や気分は、思考としばしば対立します。
矛盾を抱えたまま、思考に基づいた行動をとると、ぎこちなくなります。
本能や気分、感情、思考、魂、それにトラウマも含め、
日本語の「心」は、こんなにも、広がりを持っています。
自分自身の心でさえ、全容をつかむことは簡単ではありません。
まして、人様の心を分かることは、難しいことです。
「親の心、子知らず。子の心、親知らず。」と言われるのも、無理からぬことです。
長い間、一緒に暮らしているからと言って、分かった積もりになるから、間違うのです。
たとえ家族と言っても、分からない事の方が多いと思って接したら、
ちょうど良いのでしょうね。
では、人の心を推し量る手掛かりはあるのでしょうか。
今、世間では、血液型性格判断が流行っています。
日本では、1970年から80年代にかけて、能見正比古氏が書かれた本があります。
私も、夢中で読んだことを覚えています。
人の性格が、こんなにもバリエーションに富んでいる事を教えてもらった点では、
今でも評価しています。
たぶん、血液型別にそのような人が多いと言う傾向はあるような気がします。
でも、ある人の血液型が何型だから、性格はこうだと決め付けるのは行き過ぎです。
その人の言動や行動をよく見守り、どんな性格なのかを推し量る方が、確かです。
このとき、あらかじめ、性格のバリエーションを心得ておくと便利です。(参考書303)
また、コミュニケーションでは、相手の状態に合わせて伝え方を変える方法もあります。
会話では、話のペースや新発想の受け入れ易さが、時期によって違ってきます。
気分が前向きになったり、消極的になったりも、時期によって違ってきます。
本能的な行動や体調が活発になったりするのも、時期によって違ってきます。
相手の時期に合わせて方法を変えると、効果的です。(参考書309)
日々の生活や仕事の中では、こうした具体的な心の問題、
自分と相手の双方の心の問題をどうやったら切り抜けられるか、
どうやったら、相手と自分との相互理解が進むか、
いつも悩みの種だと思います。
不器用ながらも、私も色々工夫しています。
あなたは、どうでしょうか。
修正:2009年8月11日
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