生きるのが不器用だと感じたことのある人は、沢山いるのではないでしょうか。私も、その一人です。色々、試行錯誤してきました。今、ようやく光明が見え始めています。同じように不器用さを感じている方や、乗り越えた方からの意見を頂ければと言う思いから、このホームページを開設しようと決断しました。
私は、これまで、自分のトラウマを解消したい気持ちに突き動かされ、色々な書物に出会いました。そして、心に引っ掛かっていた事に答えを出しながら、私なりの信仰にたどり着きました。私のトラウマ、私の性格では、これしか無いと思える信仰です。人の性格は、大きく分けると9種類だと言う方がいます。(参考書303) 9種類それぞれに、効き目のある信仰があって良いと思います。私のケースは特殊でしょうから、参考にならないかもしれませんので、私の魂の遍歴を少し紹介します。
私が、自分のトラウマをはっきりと意識したのは、大学を卒業し、東京で会社勤めを始めてからでした。どうも、生きるのが不器用で、人間関係もギクシャクしがち。そんな時に、立ち寄った南阿佐ヶ谷の書店で、ふと目にしたのが「原初からの叫び」と言う本でした。トラウマと言う言葉も知らない頃でした。最近では、「アダルト・チルドレン」(参考書304)と言う呼び方もされています。幼少の頃に傷ついた心の一部が、成長できないまま大人の年齢になっている状態を言います。
私の父は、二番目の兄が生まれた頃、結核にかかり、長い闘病生活をおくりました。ようやく快復してきた頃、12年ぶりに生まれた子供が私です。長い闘病生活で家計は疲弊し、快復してきたとは言え、まだまだ父は頼りなかったはずです。最近、親戚から聞いた話では、普段は気丈な母も、私を産もうかどうしようか、随分迷ったようです。
私が生まれると、父は発奮し、頑張って家計を支えるようになりました。仕事から帰ると、私の寝顔を見て心を癒やしていたようです。眼の中に入れても痛くないほど、猫可愛がりに、可愛がってくれました。家族みんな、希望に溢れ、可愛がってくれました。
ところが、ある時から、手の平を返すように、急に厳しくしだします。私が3歳になった頃です。私を可愛がってくれていた二人の兄が進学のため、相次いで家を離れました。私は、寂しさから、父母や祖母に余計に甘え出していたようです。ちょうどその頃、父と母は、弱肉強食の世の中で生きていくには、強く鍛えねばならないと言う思想にハマまっていました。私を可愛がってくれていた祖母も、この方針に逆らえませんでした。弱肉強食の世界観は誤り(間違い)だと私が確信したのは随分後のことです。(参考書101、105) 子育ての方針転換により、私は、人間不信に陥りました。体さえ衰弱するほでした。心配した隣家のおばあちゃんが、飼っていたヤギの乳を分けてくれたこともあります。写真を見ると、屈託ない笑顔をふりまいていたのが、その頃から、何とも心細そうな、おびえた顔つきに変わっています。
小学校では、遊びの輪の中になかなか入れず、傍観していることが多かったように記憶しています。それでも、当時、上越地域(越後の京都寄りの地域)の中でも片田舎の子供たちは、素直な子が多く、温かく接してくれていました。中学校に進むと他の小学校からの生徒とも一緒になります。小学校6年生になると、中学で上手くやっていけるのだろうかと言う不安が、頭をもたげてきます。この頃、自閉症の子供の存在をテレビで知ります。この子達の気持が分かる気がしました。この子達でも、人と交わるために、訓練を重ね、自閉症を克服しようとしている姿に勇気づけられました。自分も、このままではいけない。今までの殻を打ち破って進まねばと言う思いを、絵で表したことを覚えています。中学、高校、大学と何とか進むことができました。
しかし、いよいよ社会に出ると生易しいものではありません。中小企業だったので人間関係も比較的穏やかだったのですが、それでも人間関係に苦痛を感じました。そんなとき、「原初からの叫び」に出会い、自分のトラウマに思い当たったのです。以来、色々な書籍を読み漁りましたが、これで解決と言うものには、なかなか出会えませんでした。
その後、二十数年にして、転機を迎えることができました。心のエネルギーをどこから得たら長く持続するのか、試行錯誤の後、分かったのがきっかけでした。(参考書305) トラウマとも、穏やかに付き合えるようになってきました。気分屋で情に流されやすく、知識や理屈に依存しがちな性格は、あまり変わりそうもありませんが、これから、少しずつマシになっていきそうな予感がします。
でも、まだ、よちよち歩きの幼児のように、足取りはおぼつきません。これから本文の中で、私の考えを一つ一つ確かにしていくことで、しっかり歩めるようになりたいと思います。今までの私の体験は、限られています。この範囲では、通用したとしても、今後も通用するかどうかは、分かりません。お手数でなければ、掲示板に、ご意見など頂戴できれば、大変参考になります。読まれた方の10人に一人でも、参考になるようでしたら、今後も期待できると思います。勝手ながら、悩み事の御相談はご容赦ください。それほどの器ではありませんし、ほんの少ししか分らず、本業もありますので、返信は出来ません。予めご了承下さい。参考にさせてもらった書籍も掲載しましたので、悩みのある方は、読んでみてください。良い方向に向かわれるよう、蔭ながら、お祈り申し上げます。 (掲示板は、2010年12月5日に、停止しました。レンタルサーバー管理会社に問合せましたところ、不正な大量書き込みが原因との回答でした。)
本文の中では、私は、神様という言葉を使いますが、神道の神様(参考書205)でも、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、ヒンズー教どんな神様でもかまいません。(参考書208) たまたま、歎異抄の解説(参考書209)を読んで、今の心境に最も近いと思ったので、阿弥陀様かもしれません。それぞれの宗教、宗派の神様のことを深くは知らないので、叱られそうですが、どうかご容赦ください。
これまで、導いて下さった多くの著者の方々、温かく見守って下さった多くの方々、そして、現状を叱咤し、このままではいけないと気付かせて下さった多くの方々に、感謝します。今後、しっかりと歩けるようになることで、恩返しになればと思います。
2008年10月13日 光の木
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