・・・・・魂のルネッサンス 心と魂の解放 ・・・・・
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<第3章-1>     11次元世界

物質をどんどん分解していくと、分子や原子といったものになり、
さらに分解していくと、電子、陽子、中性子になり、
さらに分解していくと素粒子になるという事は、聞いたことがあると思います。
素粒子は、1950年代から1960年代にかけて、何百もの種類が発見された為、
物質の基本粒子にしては、雑多すぎるとして、混沌としていました。
物理学者達は、この混沌を整理する理論を懸命に探しました。
粒(点)の性質と波の性質を合わせ持つ「回転、振動する弦」が想定されました。
これが、弦理論です。(ヒモ理論とも言います。)
1970年に南部陽一郎氏が「弦理論」を最初に提唱し、
相次いで後藤鉄男氏も独自の研究から、同じことを提案しました。
その後、様々な学者が研究を発展させてきました。
(南部陽一郎氏は、1960年に発表した「自発的対称性の破れ」で、
2008年のノーベル物理学賞を受賞しています。)

この理論研究は、一旦は、矛盾点を指摘され下火になりましたが、
その後、1984年に発表された10次元時空間の「超弦理論」(超ヒモ理論とも呼ばれます。)、
1995年に発表された11次元時空間のM理論に引き継がれ発展しています。
現時点では観測や実験事実を説明するまでには至っていませんが、
宇宙の成り立ちから様々な現象まで説明できる基礎理論として研究が続けられています。

私達普通の人間が誰でも分かるのは、
前後、左右、上下、の3つの尺度で、物の位置が分かると言うこと。
すなわち、3次元の広がりがあると言う事です。
また、過去現在未来と時間の1つの流れがあり、
これも加わった4次元が日常の世界と言うことですね。
4次元については、このように順を追っていけば分かります。

ところが、11次元ともなると、4次元を除いた残りの7次元は、直接は分かりません。
超弦理論では、7次元は、ぐるぐる巻かれたり折り畳まれたりして、
素粒子に貼り付いているというのです。

とても、不思議な感覚ですね。
4次元の世界は、私達が、目で見、耳で聞き、鼻で嗅ぎ、触ることができます。
7次元の世界は、素粒子に貼り付いているほどですから、小ささとしては、極限です。
見ることも、聞くことも、嗅ぐことも、触ることもできません。
7次元の世界は、私達とは、無関係、意味の無い世界なのでしょうか。
私は、この7次元の世界に、大いに興味を持ちました。

「老子」第15章に、こんなくだりがあります。(参考書201
「これを視れども見えず、名づけて夷という。
これを聴けども聞こえず、名づけて希という。
これを搏てども得ず、名づけて微という。・・(中略)・・
古の道を執りて、もって今の有を御す。
能く古始を知る。
これを道紀という。」

「般若心経」には、こんなくだりがあります。(参考書211)
「この故に、空の中には、色も無く、
受・想・行・識もなく、
眼・耳・鼻・舌・身・意もなく、
色・声・香・味・触・法もなく、・・・・」

以上修正:2009年9月1日
         
追加説明:般若心経の『観自在菩薩』とは    - - - - - - - - - - ( 2015年11月14日追記)

般若心経の冒頭に「観自在菩薩」(あるいは「観世音菩薩」と表わす場合もあります)とあり、
この菩薩の「観自在」とは、ウィキペディアによりますと、
『智慧をもって観照することにより、自在の妙果を得たるを意味する。』とのこと。
この解説文章だけでは、何を表わそうとしているか、分かり難いですね。

智恵:物事の筋道がわかり、うまく処理して行ける能力。
    仏教の真理に即して、正しく物事を認識し判断する能力。
観照:本質を見極める。対象の本質を客観的に冷静にみつめること。
自在:思いのまま。邪魔するものがなく思うとおりになること。
    仏・菩薩が望むとおりに物事をなしうること。
妙果:善根功徳によって得られるすぐれた果報。

生身の人間には、観自在など、とうてい出来そうもない事に感じられます。
しかし、般若心経の『空』とか『色』とか、それが何なのか理解に近づくには、
こうした『智恵をもって観照する』状態に出来るだけ近づく必要があると思います。

だから、その時代の最新知識も取り入れながら理解するよう、努力すべきだと思います。
現代では、最新の物理学、心理学、論理学なども仏教理解に役立てたいと思い、
『超弦理論(超ひも理論)』を取入れるのは、正しい試みだと考えています。


 




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