私達人間は、自然科学を始めとした学問によって、
7次元に込められた諸法則の一端や
ここから派生した諸法則(この世の諸法則)の一端を、知ることができました。
それが、ほんの一握りなのか、それとも、大部分なのかは、分かりません。
ただ、ややもすると、分かっている事だけに頼りきり、埋没してしまいます。
そうすると、道が限られ、身動きの取れない閉塞社会になってしまいます。
たぶん、まだまだ、私達人間に分からないことが、沢山あるはずです。
これは、不可思議な働きとしておくしかありません。
一方では、だからこそ、新たな道の見つかる可能性が残されているとも言えます。
一縷の光明でもあり、これを不可思議光と呼ぶことにします。
7次元の諸法則は、不可思議光も含め、例外なく、4次元世界で遍く働いています。
不可思議光も含めた7次元の諸法則は、私達の宇宙がどう変わろうと、変わりません。
もし、絶対的なものを「神様」と呼びたいのなら、この7次元の諸法則しかないでしょう。
神様もまた成長されると考えるなら、宇宙の魂を神様と呼ぶこともできるでしょう。
しかし、私は、神様の心や魂を、あれこれと詮索したくはありません。
そこで、私達の宇宙がある限り不変で普遍なもの、
即ち、7次元の諸法則を「神様」と呼ぶことにします。
神様は、「慈悲の7次元DNA」に宿り、宇宙に遍く広がっています。
神様の働きは、不変で普遍に及んでいます。
えこ贔屓することなく、平等に及んでいます。
無為自然です。
修正:2009年8月15日
神様はどこにいるの?
と、不安になったら、
「神様は、ありとあらゆる所にいて、慈悲の心で、じっと見守っていてくださっている。」
と、思ってください。
慈悲の7次元DNAは、神様の乗り物であると同時に、神様の分身です。
私達が生きているこの4次元世界の感覚としては、
極限まで小さくなり、無数に散らばる微粒子のような存在であり、
また、見えない7次元世界では、一体的な存在でもあります。
(ちょうど最近話題になった、「ヒッグス粒子」に似たようなものでしょう、多分。)
(「表裏一体の色と空」のイメージ図で説明した、11次元世界における�Fです。)
あなたを包む空気の中にも、
身の回りのあらゆる物の中にも、
そして、あなた自身の体を作っている骨や肉や血の中にも、
どんなに小さなチリの中にも、
真空と思われるような、宇宙の隅々まで、
一切のありとあらゆる所に、宿っていらっしゃいます。
2013年3月11日追記

神様は、ありとあらゆる所、物質、空間に宿っていらっしゃいます。
寺院や礼拝所、祭壇、聖地にだけ神様が居る訳ではありませんが、
当然、そこにも、神様は宿っていらっしゃいます。
理由は分かりませんが、神様に向き合うために、人々が選んだ所です。
風習としては、祭壇を設け儀式をすれば、どこにでも神様を招くことができるようです。
いずれにせよ、私達人間は、神様に向き合おうとするときは、
古来より、何か特別なシツラエをしていたようです。
シツラエの中にだけ神様が宿るのではありませんが、
そのシツラエに、神様と向き合う時の心の姿勢が反映されているのでしょうね。
長い歴史の繰り返しの中で、そのシツラエは、年輪を重ねるように形づくられ、
そのようにして形づくられた物には、ある種の趣、即ち魂が込められているでしょう。
シツラエを使って神様に向き合おうとするときは、
古来からの人々の思いが、積み重なり凝縮した魂にも、向き合うことになります。
多くの宗教の経典や聖典も、こうしたものに近いでしょう。
聖人、高僧、宗祖と言われる人々の思いが、積み重なり凝縮した魂でしょう。
祈る人の意識が、自分の心の内と、どうにか付き合っていく為に、
あるいは、感謝の気持ちを分かち合う為に、
あるいは、集団を守っていく為にと、
色々求められ、年輪を重ねてきたのでしょう。
その時々に求められるものにより、魂は、変化して当然です。
こうした、宗教にまつわる魂には、千差万別の違いがあります。
どれが正しく、どれが間違っていると、合い争うことは不毛です。
魂というフィルターを通して感じ取るから、一部の面しか見えず、
千差万別の神様がいるように見えても、
元を質せば、一緒、みんな同じなのでは?
と、私は思います。
神様はどこにいるの?
あなたに寄り添い、慈悲深く見守って下さっていますよ。
2013年3月29日追記