<第7章-2> 魂への想いが良心を守る
地獄は、いつ生まれたのでしょう。
仏教が入る前からあった神道には、死後の地獄はないと言います。(参考書212、215)
仏教と一緒に輪廻思想が入り、地獄の思想も一緒に入ってきたのでしょう。
神道は、穢れを祓い清める事を主眼としています。
非道な事に対する抑止力としては、「怨霊信仰」があります。(参考書212)
非道な目に遭って亡くなった人は、怨霊となって、酷い事をした人を祟る。
だから、恐ろしくて、非道なことはできない。
地獄の信仰も、非道な事に対する抑止力として、人が考え出したものです。
ただし、副作用があって、あんまりにも信じすぎたので、
死後が恐ろしくなった、恐ろしくなって、極楽や天国が必要になりました。
俗信の形ではびこる極楽に対しては、親鸞聖人でもなかなか正せず、
孤独な思いをされ、最終的には、自分一人の為の阿弥陀様とおっしゃいました。(参考書209)
宗教家が野心を抱いていれば、いいように人々を操る事ができます。
人々の多様な考えを一元的に束ねようとすれば、この宗教家の力は絶大。
中央集権的な政治と宗教とが結びついて、地獄・天国・極楽の思想が広まったのでしょう。
私は、地獄の信仰も、怨霊信仰さえも、現代では不要だと思います。
実際、現代の日本で、これを信じているから、怖くて悪いことができない。
と言う人は、ほとんどいないでしょう。
それでも、日本では、治安が維持され、モラルを守ろうと、皆務めるのは何故でしょう。
世界基準で見れば、高度なモラルを維持するためには、あつい宗教心が不可欠です。
しかし、日本では、あつい宗教心を持つ人はまれです。
世界基準で見れば、とても不思議な国なのでしょう。
魂への想いは、
ほとんどの日本人誰もが、言葉に表さずとも、無意識にもっていると思います。
一人一人の魂の総和が、集団の、そして、社会の魂になるのだから、
自分一人が、ずるい事をして得をしようとしても、
集団の魂、そして社会の魂から、つまはじきにされる。
皆が、心から、そう信じている。
一人一人が魂を大切にする。
より良い魂をこの世に残す。
将来に向けた、良い因果を残す。
そんな考えを、無意識だけでなく、意識して行うことができるなら、
個人的には、今日と明日を生きる張り合いになり、
社会的にも、住みよい世の中への一助になっていくと思います。
修正:2009年8月11日
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