<第1章-2> 喜び・感動・感謝・慈悲
心のリセットで、あなたを包んだ温もりは、神様の温もりです。
幼子が親の慈愛に優しく抱かれるときの温もりと同じです。(参考書313)
最初に、手を握り合わせた時の温もりは、自分の温もりと思われるかも知れませんが、
その温もりも、神様の温もりなのです。(参考書209)
神様は、ありとあらゆる物に宿っておられ、
自然な働きを蔭から導こうとされているのです。
体の温もりも、神様の導きで生まれているのです。
自然の働き、物理法則であろうが、経済法則であろうが、
この世の諸法則の全てを蔭から導こうとされているのです。
片時も目を離さず、私達をじっと見守り続けて下さっています。
幼子を見守る親の目と同じです。(参考書313)
神様は、「可能性を試してみよう、各々の命を輝かせてみよう。」
と、願われているのではないかと、私には思えるのです。
そうしたチャンスを与えてくださり、見守っていらっしゃるお心が、慈しみの心です。
しかし、そこには様々な試練や試行錯誤があり、
計らずも、不遇を囲う場面もあるでしょう。
その不遇を見守られているお心が、悲しみの心です。
この慈しみと悲しみを合わせたものが、神様のお慈悲です。
神様は、公平にして無私です。
幼子に直接手を差し伸べる事は、親にはできますが、
神様には、できません。
どんなに心を痛めたとしてもできるのは、見守り、包む事だけです。
神様がどんなに悲痛な声をあげても、私達には届きません。
どんな場合も、この世の諸法則が複雑に絡み合い、その結果の現実です。
失敗や困難、失意の中にあっても、新鮮な目でその現実を見直すことができれば、
そこに、神様の示唆が含まれていた事が見えてきます。
心を澄ませ、全体を俯瞰しながら、問題の核心を臨場感をもって感じ取るとき、(参考書307)
神様の声の残響を、かすかに感じることができます。
私は、この神様の玄妙な導きに、喜び、感動し、感謝します。
打ちひしがれ、蔑まれ、うとまれ、意気消沈しているときは、心に栄養が必要なときです。
喜び・感動・感謝は、前向きなエネルギーを心に注ぎ込んでくれます。
心の救いであり、魂の再起です。
どんなに意気消沈していても、この神様の玄妙な導きを想うと、
自分の周囲の出来事が、全く新鮮に映ります。
世の中を感じ取る感覚が鋭くなり、
まるで、生まれて初めて、眺めるような気分です。
幸の原因は不幸の中にあり、不幸の原因は幸の中にあります。
幸、不幸で、いつまでも一喜一憂していては、振り回されるだけです。
喜怒哀楽は、その時にだけ味わえば、充分です。
さあ、我に返り、あるべき自分の魂に帰りましょう。(参考書206、201)
そして、神様の示唆を感じましょう。
修正:2009年8月27日
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