・・・・・魂のルネッサンス 心と魂の解放 ・・・・・
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愛から思いやりへ


【愛について】

「愛は地球を救う」とか、「愛こそすべて」、「愛の賛歌」・・・・
「愛」を賛美するセリフは、世間にあふれています。
「愛」を否定するつもりはサラサラありませんが、
「愛」を最高の価値とする事には、抵抗を感じます。

「愛」は、自然に任せれば、冷めるものです。
無理に維持しよう、取り戻そうとすれば、
心をゆがめ、偽善を生み、いつかは苦しみに変わってしまいます。

そんなセッショウな、それじゃあ、世の中すさんでしまう。
ただでさえ、せちがらい世の中、せめて「愛」を賛美したい。
と言う声が聞こえてきそうです。

でも、安心して下さい。詳しくは、後で書きますが、
「愛」より、もっと冷めにくく、本人の心がけ次第のものがあります。
その前に、そもそも「愛」とは何でしょう?


【本能に根ざした愛】

ほとんど理屈抜きで、素直に、「愛」と言えるのは、
恋しい人に対する愛情、新婚夫婦の愛情、自分の子供に対する愛情、
すなわち、種族保存の本能に根ざしたものであり、
子孫を残す為に、進化の過程で発達した心の働き、つまり、本能です。
この本能は、ホルモンの影響を強く受けていることが分かってきました。(参考書@)

愛を、本能と言ったのでは、野獣のようで、身も蓋もない。
もっと高尚なものであり、こんな言い方では、愛を見下していると叱られそうです。

高尚と感じるのは、文化と言う複雑な織物の中にからめ取られ、織り込まれているからです。
元々の糸の一本として取り出せば、他の哺乳動物と大差ないはずです。
むしろ、他の哺乳動物と比べる事により、愛の健全な姿を冷静に考え直す事もできます。

他の哺乳動物と比べたり、人類史をさかのぼれば、夫婦間の愛情も、子供に対する愛情も、
本能で維持できる本来の期間は、子供がせいぜい10代前半になるまでです。
この歳になれば、日常生活では親から世話を受けなくても良くなるはずであり、
この段階で、親としての関与は、ほとんど無くす方が、自然です。
昔の元服年齢の方が、むしろ自然だったのかもしれません。

友に対する愛情は、ホルモンの影響をどれだけ受けているかは分かりません。
群れを作り、集団で生活しながら進化してきたのですから、
やはり、何らかの本能的な働きが関与しているように思えます。


【宗教や哲学での愛の分類】

ちょっと苦手ですが、西洋の哲学や神学で言う愛の類義語には何通りかあるようです。
アガペー:古典ギリシャ語で、人間に対する神の愛。キリスト教徒の相互愛。
エロース:古典ギリシャ語で、性愛、肉体の愛。古代ギリシャの神の一人。
フィリア:古典ギリシャ語で、親子、兄弟、友人間の人間的ではあるが麗しい愛。

また、仏教では、慈悲が唱えられています。
慈悲は、仏が発するもので、愛とは異なります。
愛は、人間の煩悩から生じ、しばしば人間を苦しめるものとされています。


【直江兼続の愛】

今年(2009年)のNHK大河ドラマ「天 地 人」、
わが故郷、越後の春日山で、鍛えられた直江兼続の兜の前立や旗印が「愛」でした。
改めて、愛を見直している方も多いことと思います。
そんな思いに水をさすようで、申し訳ありません。
ほとんど毎回見ていましたが、兼続の行ったのは、
実は、「愛」ではなく、「思いやり」だったのではと考えるのです。


【思いやりとは】

「思いやる」の元々の意味には、
「遠くのものに考え及ぼす。想像する。おしはかる。」と言う意味があります。

すなわち、相手を「思いやる」には、
先ず自分の心に落着きと余裕を持たせ、自分の立場や感情を脇に置き、
相手の性格や置かれている状況、考え、心境などを臨場感をもって察した上で、
従来の自分の価値観や望みさえ度返しし、
大所、高所から相手と自分の関係にとり、何が本当に良いのか広く考え、(参考書F)
これに基づいた行動や言動をすることです。

自分の発想は、自分の性格や立場にしばられ、
相手の事は、本当のところは分かりません。
相手に良かれと思ってやった事が、的外れだったり、かえって迷惑だったりします。
仮説を立て、検証する事も時には必要です。
つまり、質問したり、反応を確かめるまで、実行を思い止まった方が良い事もあります。

本当の「思いやり」には、結構、高度な知恵と判断が必要です。


【直江兼続の思いやり】

上杉謙信や直江兼続が思いを巡らし、考えている相手は、味方ばかりではありません。
敵のことも、味方同様か、それ以上に考えています。
敵のことも「思いやっている」のです。
だからこそ、武田信玄は、世を去る前、息子に対し、
『もし、本当に困ることがあったら、上杉を頼れ』と言う主旨の言葉を残したのであり、
敵対していた相手でさえ、一目置き、最後には信頼したのです。

また、絶体絶命の難局を、兼続の知恵で、何度も切り抜けています。
それは、敵対していても、相手の内情を察していて、
初めて可能になる事です。
「思いやり」には奥深い力があり、敵対関係を克服してしまう可能性さえ秘めています。

「思いやり」を漢字一文字で表すなら、一番近いのは「恕」。「」と「優」もかなり近い。
「仁=人を愛すること」と「恕=他人を思いやること」を合せもつのが「優しさ」。
「仁」や「優しさ」で表せるのは、味方や中立の者あるいは敗者に対する思いやり迄であり、
敵対中の者への思いやりは表せません。
兼続には「恕」や「思いやり」の方が適していたのでしょうが、
兜の前立てや旗印の言葉としては、「思いやり」では間延びし、「恕」では馴染みが薄い。
悩んだ末に、インパクトのある「愛」の字に決めたのではないでしょうか。


【余談】

今の天皇も皇太子も、お名前(・いみな)には「仁」が付いています。
後冷泉天皇以降、歴代の天皇の諱には「仁」の字が付いています。
「優しさ」は、「仁」と「恕」を合せ、これをもっと素朴で直感的にしたものです。
「仁」と「恕」は、中国の古い言葉ですが、現代では死語になっており、
日本語の「優しい」に相当する現代語は無いそうです。
日本に来た中国留学生同士が中国語で会話していた時、
「優しさ」だけは、一単語で表す中国語が見つからず、日本語で表現していたとのこと。
日本語を中国語で説明した「日中辞典」では、優しさを説明するのに、
中国語で人として最上級の誉め言葉が10個以上も並んでいるそうです。(参考書C)
「思いやり」は、その「優しさ」と相い通じるものです。
手の届きそうなところにある最高の徳かもしれませんね。


【素朴なままの愛】

本能的な愛を、わだかまりやトラウマに引きずられることなく、素直に表したもの、
即ち「素朴なままの愛」は、この世でも、とても美しいモノの一つです。
愛情という本能は、何億年と言う生命の進化の時間を使い、
様々な実験の末に、現在の姿にたどりついています。
愛情のホルモンは、脳の中の色々な所に様々に働いています。(参考書@)
そして、これには、集団を存続させる為の奥の深い真理が込められています。

しかし、浅はかで表面的な思想や一時的な打算、一時的な怒り、親のエゴなどによっても、
愛情は容易にゆがめられてしまいます。(参考書ADG)
ゆがんだ愛情は、家族のそれぞれの心を抑圧し、特に子供の心にトラウマを刻みつけます。
子供の時に刻みつけられたトラウマは、「素朴なままの愛情」の働きを邪魔します。
トラウマによりかき乱された心には、こみ上げる愛情をどう表わしたら良いのか分かりません。


【愛から思いやりへ】

愛は、時間とともに冷めていくのが、本来の自然な姿です。
家族内の愛情も、本能の「愛」が働く間は、「愛」を主に、
「思いやり」を従にしていれば良いのですが、
愛の期限が迫る頃から、「思いやり」が主になるよう、徐々に切替えていくべきです。

この切替えを怠っていると、家族内で、不自然に無理を重ねるようになり、
機能不全な家族になってしまいます。(参考書@ADG)

愛が冷めていった後のスキマを埋めることができるのは、「思いやり」以外にありません。
複数の世代が一緒に暮らす大家族は、この「思いやり」抜きには、機能しません。(参考書E)


参考書
@坂口菊枝著 ナンパを科学する 2009年 東京書籍
A西尾和美著 機能不全家族 1999年 講談社(2005年 講談社プラスアルファ文庫)
B笹田哲夫著 社会が動く家族が変わる 2001年 桐書房
C石平著 私はなぜ中国を捨てたのか 2009年 ワック
D斉藤茂太著 いま家族しか子供を守れない 1996年 KKベストセラーズ
E斉藤茂太著 おもしろきかな大家族生活 2002年 PHP研究所
F苫米地英人著 心の操縦術 2007年 PHP研究所
G村本邦子著 しあわせ家族という嘘 1997年 創元社
H姫野友美著 なぜ男と女は4年で嫌になるのか 2008年 幻冬舎





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