・・・・・魂のルネッサンス 心と魂の解放 ・・・・・
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天皇とは


【その起源】

天皇・皇室には、「縄文の心と魂」も、綿々と受け継がれているように感じます。
縄文時代から弥生時代に移行する時、
両文化を融合させ、縄文の心根を、奈良盆地の弥生文化につないだのが、
初代とされる神武天皇だったと推察します。

古事記をどう解釈するか、特に、神話時代の伝承についてどう解釈するか、
戦前は、これを天皇の神格化に利用し、戦後は、絵空事として無視してきました。
初代天皇とは、縄文と弥生の結び目に位置する存在。
そう考えながら、古事記を読み解いて新しい解釈ができました。

奈良盆地における縄文時代の末期に、水田開拓団として入り、
周囲の縄文人達と協力関係を築きながら、
水田稲作を広めた中心人物が、初代天皇とされる神武天皇だったと推察します。
縄文の心と魂を、水田稲作の技術や文化に融合させることに成功したからこそ、
水田稲作の適地にも非適地にも影響力を広げていけたものと推察します。

大和政権の勢力下にも、弥生的生活を最後まで受け入れなかった人々もいます。
水田稲作ではなく、焼畑をしながら、狩猟や漁猟、採集などで生計を立てていた人々。
木地師として朝廷・幕府の許可を得て、20〜30年単位で各地の山中を移り住んできた人々。
普段は、比叡山寺領の森林から自由に原料を得て加工し、販売に特権を認められ、
天皇が亡くなると葬儀に一役かっていた人々
朝廷は、この縄文的な暮らし方をしていた人々も、大切にされていました。

このように書くと、『部落差別問題の元凶は天皇を頂点にした体制だったのでは?』と、
疑問を感じられる方々もいらっしゃるかもしれません。
しかし、元々そのようなことは無く、
『反天皇制は部落解放の核心である』と考え始めたのは、
コミンテルンが仕掛けた工作だったようです。
 参考URL:
 灘本・師岡論争 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daigojuukyuudai
 水平社資料 http://www006.upp.so-net.ne.jp/asao/suiheisha3.htm
 部落解放と尊皇という二者統一の道 http://www.geocities.co.jp/NeverLand/8947/kaminokuni.htm

縄文と弥生の結び目に位置するからこそ、
天皇は、古代から広範な部族に支持を広げることが可能だったに違いなく、
現代においても、国民統合の象徴に最も相応しいと考えます。

だから天皇は、一見、庶民から最も遠そうな存在でありながらも、
逆に、庶民の心に最も近く、
庶民の心の奥底にも鎮座している「縄文の心と魂」に寄り添っていらっしゃる。
東日本大震災の被災者を見舞うお姿にも見られるように、
誰よりも、庶民の心に寄り添う事がおできになる。


【その威光】

長い歴史を重ね、人々が不可思議な威光を感じ取るようになりました。
天皇とは、その意味では、ただの人間ではありません。

戦国時代を終わらせた人々、豊臣秀吉、徳川家康、
そして明智光秀にとっても、そうであったと推察します。
しかし、将軍足利義昭を追放した織田信長には、天皇とは何だったのか、
明智光秀は疑っていたものと推察します。

信長への反旗は、彼から受けた処遇が直接の引き金だったのでしょうが、
天皇をないがしろにするのではないかと言う疑念が溜まっていたはずです。
明智光秀を討ち取った秀吉は、天皇から関白の地位を得ます。
豊臣家を圧倒した家康は、天皇から征夷大将軍の地位を得て、豊臣家を滅ぼします。
信長だけが、覇者でありながら、何故か天皇からの地位の誘いを辞退しています。
天皇をないがしろにすると疑われた権力者は、誰かが動いて、失脚させられています。
最近では2010年、民主党の幹事長もそうなりました。
現在もこの意味では、天皇とは、ただの人間ではありません。

天皇とは、自覚の有無にかかわらず、そのをいつの間にか受け継がれている存在、
恐らく、過去7300年に渡る歴史、日本の魂を一身に体現された存在です。


【その役割】

縄文以来の日本の魂、集団としての魂は、仮に天皇がいらっしゃらずとも、
何らかの手段で、四分五裂の危険性を避けつつ、*
日本人が、集団として、民族として存続する限り、綿々と受け継がれていくでしょう。
日本人同士の間では、何となく、空気のようにして過ごすことができるでしょう。

しかし、外国人にも誰にでも見えるように、縄文以来の日本の魂を一身に体現できる人は、
恐らく、天皇陛下以外にはいないでしょう。
単なる王家の家長を超えた存在です。
天皇とは、対外的にも日本の国家元首に最もふさわしい存在です。

また、仮に天皇がいらっしゃらなければ、
誰が国民統合の結び目になれるのでしょうか?
アメリカの大統領は、行政の長であると共に、統合の結び目を兼ねています。
権力と権威を合わせ持つ、絶大な存在です。
それだけに、大統領の選出や交代を平和的に行う為には、多大な労苦を必要としています。
代われる機会は、基本的には4年に一度しかありません。

日本では、首相も政権政党も、最近ではコロコロ代わるようになっています。
これだけ移り変わっていながら、平和を保ち、国としての統合が失われないのは、
統合の象徴として、天皇陛下がいて下さることが何よりの助けになっていると思います。
平和裏に、コロコロ変われることが、日本の柔軟性、日本の強みです。
他の国では、恐らく、逆立ちしても真似できません。

起源も定かではない古から伝わる諸々の神事を司られ、
三種の神器を守られ、
人々の為に祈りを奉げられ、
人々の為に行動される。
天皇とは、日本の一番の守護者です。
日本が四分五裂しないための、最も柔軟、且つ、したたかで、古典的な手段です。*

・・・・・・・・・・・・・(2012年4月2日、「*」印行追記)


参考:
縄文の心と魂 http://myhp.joetsu.ne.jp/dimen/page047.html
古事記の解釈・編纂方針と背景 http://myhp.joetsu.ne.jp/dimen/page048.html
古事記の解釈・神代 http://myhp.joetsu.ne.jp/dimen/page049.html





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