・・・・・魂のルネッサンス 心と魂の解放 ・・・・・
< コ ラ ム >

前ページコラム  目 次次ページ


衆愚政治を避ける?政治家のホームページ


2009年の衆議院選挙で、はっきり分ったことがあります。
「政権交代」のキャッチフレーズと、政策のバーゲンセールで集票できましたが、
その結果の惨憺たる事。

昨年(’09年)のようなマニフェストやキャッチフレーズだけの選挙では、
衆愚政治は避けられません。
政治家のホームページを拝見しても、哲学の感じ取れないものが大部分。
政策に効果があると言う根拠も、財政の裏づけも、あやふやなまま、
政治家も政党も耳触りの良い事を、次々と並べ立てていましたね。
マニフェストに違反したら、次の選挙で落選させれば良いのでしょうか?
そんな単純には行かないようです。

政権途中に、状況が変わったら、不況になって税収が減ったら、
予定していた政策を後回しにして、緊急対策をしたり、景気対策を優先したり、
変更が必要になってくるのは珍しくないはず。
ところが、マニフェストの中の政策はゴチャ混ぜ、優先順位も分らない。

マニフェストの問題は、それだけではありません。
常識や定石だけを組み合わせて、正しい答えが出せるうちなら、
基本的には専門家である政治家や官僚に任せていれば良い。
素人である有権者は、その専門家の不正だけチェックしていれば良い。
まともなマニフェストなら十分に間に合うでしょう。

今、日本の進路には、それでは解決しない事が多くなりました。
以前の日本は、モデルとすべき外国の後を追っていれば良かったから、
定石や常識を組み合わせていけば、正解が出せた。
もう、先行するモデルはありません。
それでも、モデル無き変革は必要です。

変革の号令だけでは、第一線の現場に指示が届く頃には、
今までの常識や考え方にからめ取られ、機能しなくなります。
新しい具体策を模索するには、常識や定石も軽視はできませんが、
これを超える哲学をトップから現場まで共有できるよう、
分り易い言葉で、変革の哲学を語り、現場の主体的参画を促す事です。

そうでなければ、歴史の悪夢は繰り返します。
日露戦争から第1次大戦後高まった、民族自決人種差別撤廃の一部の「理想論」は、*
世界恐慌で弱まり、帝国主義ブロック経済と言う、当時の「常識や定石」に流されました。*
最後には、不名誉な烙印を押されて広い視野を持ったしぶとい思考が働かなくなり
坂道を転げ落ちていきました。
日露戦争を前に、広範な方々が各自で判断しながら全員で見事なチームワーク
実現していたのと比べたら、何とも稚拙な対応でした。
今また、常識や定石をパッチワークのように継ぎはぎしているだけだったら、
同じ轍を踏んでしまいかねません。(*一部修正:2011年3月3日)

あれもこれも気になるけど、両立しない。
やりたい事を皆やろうとしても、予算が足りない。
常識や定石を組み合わせても、解決策は出てこない。
今までにない思い切った策で、新たな突破口を切り開くしかない。

今、政治家には、新しい哲学、理想論が必要です。(例:質の経済、新たな資本主義の段階
哲学があれば、政策の優先順序を明確にできます。
哲学があれば、気持ちを整理して諦めることもできます。
哲学があれば、新たな突破口に思い切って飛び込めます。
哲学を支持できれば、この哲学に基づく政策変更は、了解する事もできます。

この哲学は、難しい西洋哲学東洋哲学を勉強すれば良いと言うものではありません。
よそからか借りてきたような、わざとらしい哲学でも、教条主義の哲学でもありません。
民意が問うのは、今、生活者として、生産者として、
肌で実感できる、将来に期待できる、あるいは、歴史に照らしても納得できる、
人生を生き抜いていく為の哲学です。
日本人なら、多くの有権者は、このレベルの哲学は持っているはず。
多くの政治家も、このレベルの哲学は持っているはず。
哲学を語る時、有権者は、決して愚かではなく、
どんな人も、耳を傾けるべき一言を持っていらっしゃる。

ところが、政党や政治家のホームページを拝見していても、
ほとんどは、政策のバーゲンセールだけで、哲学が無い。
ブログと称する物を拝見しても、たわいもない出来事の羅列で、
本来そこから滲み出てくるべき、人間性や感受性が、希薄。
表現するのが下手なだけなのか?
表現すべき中味を持っていらっしゃらないのか?
どちらにしても、政治家の資質として、落第点の議員が多すぎます。
選挙民は、ナメられているのでしょうか?

厳しい現実の中で、もみくちゃにされながらも、
踏ん張ってきた経験が無いから、
哲学を研ぎ澄ますことが出来ないのでしょうか?

日本では、総理大臣は、一応選挙民の代表とされる、国会議員が選んでいます。
このような落第点の代議士が、よってたかって選出する状態が続いているのです。
これでは、政治の混迷が続いているのも、当然の結果かもしれません。(追記2010年7月14日

ホームページなら、
全体像の大まかな骨格だけを見易く表すページも出来るし、
根本の哲学を語るページも出来るし、
個々の詳しい根拠を説明するページも出来るし、
これらのつながりを分り易くリンクさせることも出来るはずです。
印刷費用も不要、配布費用も不要、付け足す事も、組み替える事も出来る。

今度の参議院選挙からは、選挙期間中でもホームページの更新ができるようなので、
政治家のホームページが、どう切磋琢磨されるか、今から楽しみです。

参考書籍
・内田樹著 日本辺境論 2009年 新潮新書
・山本夏彦著 誰か「戦前」を知らないか 1999年 文春新書

                
【劇場型政治のウソ、ホント】              ・・・・・・・・・・(2015年1月9〜10日追記)

政治とプロスポーツには、似た面があります。
一般の人々は、プロが繰り広げる様子を、観客として見ています。
だから、劇場型政治に堕落してしまうのは簡単です。
 参考:劇場型政治(goo辞書)

大手マスコミは、上辺ばかりのパフォーマンスを取上げがちです。
野党政治家も、上辺ばかりのパフォーマンスに頼りがちです。
新人候補の票集めも、似た様相になりがちです。
与党の中の派閥抗争でも、この手法が使われることがあります。
これに引きずられて、ベテラン政治家までも、パフォーマンスに頼ろうとします。
政治家のホームページやマスコミ報道を眺めていると、この傾向が浮かんできます。

でも、政治本来の仕事は、立法やこの為の情報収集、そして行政のチェックや方針設定。
有権者側がしっかりしていないと、本来の姿ではない劇場型政治に堕落してしまいます。

政治の機能を立法と行政と捉えると、立法はルール作り、行政はプレイです。
そして、大概の観客は、プレイには関心が高くても、ルールには疎い点も似ています。
行政に不満を高めた時に、ルールを度返しした特別扱いを要求することがあります。
法治国家なのに、人治主義を求めるようなものです。

万年野党にも、この傾向があります。
日本は、法治国家であり、法治の手足として官僚機構を使っていますが、
万年野党は、既存の体制を敵視して、既存の法治まで敵視する余りに、
人治主義的な行動をとり、中国共産党の人治主義に親近感さえ持ったりします。

政治とプロスポーツで、違う点もあります。
スポーツのプレイが、観客として見応えがない場合、
チーム一丸となって技量の向上に努めると、見違えるほど、見応えが出てきますね。
でも政治は、技量の向上だけで行政機能を向上させようとしても、直ぐ限界がきます。
行政機能の向上には、ルール改正(法律の改正)が欠かせません。
具体的な行動に文句をつけるだけでは、改善効果は嵩が知れています。

法律とスポーツルールには、似た面があります。
プレイに精通している者がルールを読むと、ルールの意味が良く分かります。
あるいは、類似プレイの精通者は、ルールの意味を大よそ推察することができます。
ルールを理解し、これに合わせたプレイに習熟すると、見応えも出て、勝率も上がります。
プレイを眺めているだけの観客は、表面的な現象しか分かりません。

ルールを読んで、具体的な事例が幾つも思い浮かばなければ、意味は理解できません。
門外漢は、ルールを読むだけでは、意味が理解できません。
門外漢が、具体的な事例の改善を考えると、その事例だけで、ルールを組み立てようとします。
そして、やたら具体的に規定したがりますが、他の事例が出ると、大概その規定は破綻します。

法律作りやルール作りは、
沢山の事例を基に、高度な抽象化を行って全体の仕組みを描き、
この仕組みの中の固定すべき部分を明瞭にするものです。

これは、実社会と法律の間係で考えても分かるでしょう。
厳しい規制を受け、法律を気にしながら仕事をしている職種の人なら分かるはずです。
でも、このような関係がある事は、一般の国民にはなかなか理解できませんね。

マスコミも、ここまでは、なかなか解説しようとしません。
具体的な問題事例を取上げて、その事だけを何とかしろとしか言わないから、
ルールまで変えるのは面倒だからと、小手先の運用だけ少し変えてお茶を濁される。
要するに、面倒臭がって、誤魔化されがち。
大概は、マスコミも、国民も、これでまんまと騙されます。

パフォーマンスばかりだった政治家が、急に政権に入っても上手く行きません。
この原因も同じことです。
政治家として本来の仕事をこなすだけの力量を持たず、官僚に適当に誤魔化されがち。
観客席からヤジを飛ばしていただけの人は、 目立って注目を集めることはあっても、
プレイとルールの関係まで深く理解している訳ではないからです。

2009年の政権交代をプロスポーツの世界でたとえるなら、
声の大きかっただけの観客が、いきなり、チームの経営をやろうとしたり、
ゲームのルールをいじくり始めたようなもの。

国政の世界では、具体的な指示まで出せる監督は、官僚の最上層、事務次官クラス?
あるいは、秀才揃いの官僚機構では、本省の課長クラスともなれば、充分可能なのかも?
大臣や副大臣、政務官は、チームの経営陣といった所でしょうか?
 参考:キャリア(国家公務員)

経営陣が交代したばかりの頃は、監督やプレイヤーを軽視したり敵視している場合もあり、
これでは、両者は噛み合わず、まともなチームプレーができません。
事情をようやく理解し始めると、今度は監督やプレイヤーの勢いに押されて、言いなりになる。
2009年からの民主党政権の3年3ヶ月を振返ると、まさしくこのような姿でした。
健全な野党が育ち、いつ政権交代しても、それなりに頼りにならないと、困りますよね。

大概のプレイヤーは、ゲームの中の各局面で、自分の役割を果たすのに精一杯です。
ゲームの流れを大局的に俯瞰して考える力も、新局面を切り開く力も残っていないでしょう。
だから、監督(リーダー)のアドバイスや指示が必要になる訳ですね。
そして経営陣は、投入できる経営資源やゲームの傾向を見ながら、
チームが目差す方向を、監督と協議しながら、方針決定する訳ですね。
そして監督やコーチは、この方針を勘案しながら、個々のプレイヤーの技量向上も促す。

ところが、あの3年3ヶ月間は、こうした機能がほとんど働かなかったように思います。
どうして、こんな事になってしまったのでしょうか?

野党時代に、観客意識しか無く、当事者意識の低い政治家が多かったからでしょうか?
与党の場合は、大臣、副大臣、政務官などの役職を通し、当事者意識を持てるでしょうが、
野党の場合は、議員立法の提案や国会質問くらいでしか当事者意識を持てないでしょう。
提案や質問の件数も一つの目安ですが、内容や質が伴わないと意味がないですね。
 参考:働く議員働かない議員

あるいは、監督やプレイヤーである官僚、または官僚的人物との付き合いの経験が浅く、
動かし方や警戒すべき点をわきまえた政治家が少なかったのかもしれないですね。

あるいは、官僚を魅了するような政治哲学や見識を持った政治家が少ない為に、
官僚が、大臣や政権に共鳴して本気になるのではなく、
官僚が、自分達の独善的な考えで、政治家を操ろうとし、
政治家は、それにまんまと乗せられたのかもしれないですね。
 参考:田中角栄政治語録
                                ・・・・・・・(以下7行、2015年1月14日追記)
それとも、リーダーシップが何であるか、そもそも解っていなかったのかも?
だから、政治のリーダーシップと、行政のリーダーシップを履き違えていたのでは?
行政に関しては、経営陣として振る舞うべき政権中枢が、行政リーダーになろうとした!?
行政のリーダーなんて、務まるはずもないのに、能力を超えて出しゃばった!?
その結果、行政のプロに、逆に丸め込まれて操られた!?
 参考:苫米地英人×水野和敏氏対談(リーダーシップの育て方、等)
     水野和敏氏講演・時を超える技術(エンジニアチームのリーダーシップ、等)

また、政治を取材する大手マスコミの記者達も、似たようなモノ。
ルールやシステムが持つ深い意味を理解しないまま、
要領良く上辺だけで仕事をこなそうとしているのでは?
そうでなければ、もっと核心を突いた報道が増えて良いはず。
書籍やインターネットに玉石混交で飛び交う情報の中に、核心に迫る情報があり、
情報の選択眼や推理力があれば、大手マスコミ報道より、問題点を掴みやすいのは事実。

まずは、有権者が、当事者意識を高めていく必要があります。
問題や課題を見つけ、自分ならどうすると、当事者として考えるべきでしょう。
マスコミが政治家をけなし、これに喝采しているだけの観客意識では駄目です!
そうしないと、本当に頼りになるプロの政治家を見分ける眼力が育ちません。

全ての選挙の有権者年齢を18歳に引き下げるのは、良い影響が期待できます。
生まれ育った地域を離れる前、即ち高校を卒業する前に、
当事者として地域を考え、当事者意識の芽生えるチャンスが増えるからです。

ただし、劇場型政治のパフォーマンスに目を奪われたのでは何にもなりません。
政治家を見分ける眼力を育てる、その手始めにしてもらいたいものです。



【政治哲学の原点を語っていますか?】         ・・・・・・・・(2010年5月21日追記)

日本の政治状況を悪くしている根源は、政党のせいではありません。個々の代議士が、票集
めをしてこられた考え方、何を訴えたら有権者の心の扉が開くかを、誤解されている点にあり
ます。

USP(unique selling propositionユニーク・セリング・プロポジション)はご存知でしょうか?その
製品にしかない特長、売りもの、「小さな会社がbPになれるコアブランド戦略」の説明に分り
易く図解してあります。
http://www.katoyoichi.com/book3/ (経営コンサルタント加藤洋一氏より)

つまり、あれもこれもと、カッコ良く飾り立てると、かえって特色を無くしてしまいます。中核にな
る哲学を、顧客の心に強く訴える分り易い言葉で伝えることです。一見、カッコ悪そうに見える
事まで、あえて公開しながら、その哲学に至った物語を語る事で、しっかり顧客のハートに喰い
込み、信頼を得る方法です。

政治家のホームページではありませんが、こんな例もあります。
会社を創業した社長が、自分の父親の蒸発から語り初め、商品作りの中核的哲学が、なぜそ
うなったのか、顧客の心にしっかり届くようになっています。共感した顧客は、多少の紆余曲折
があっても、この会社との付き合いを続けていきます。
勤務先の倒産で、サラリーマン稼業をやめて工務店経営を始め、現在では、経営コンサルタン
トとしても活躍されている平秀信氏が興した会社です。
(平氏が社長から引退してホームページが変わりましたので、現在のものとは異なります。)

平氏と仲の良い企業家のグループには、このようなUSPをお持ちの方々が集まっています。
http://www.kandamasanori.com/b-c.html (経営コンサルタント神田昌典氏より)
ほとんどの社長は、ご自分の「カッコ悪そうな原点」を、逆にUSPに転換する哲学をもち、どこ
かで公開されています。

「政治活動とビジネスは違う」、「USPは、隙間ビジネスの為のもので、シェアを最大にするスタ
イルではない」と、反論が聞こえてきそうです。しかし、紹介しました平社長の会社は、地域で
一番の受注を勝ち取る工務店に急成長することができました。政治家も、地域一番になれれ
ば、足元がしっかりします。逆境に会っても、熱心な支持者に支えられ、堂々と自説を主張し続
けていくことができるはずです。

国会議員はじめ政治家のホームページを拝見していますが、ご自分の原点を、カッコ悪くても
公開し、魅力的なUSPに変えることに成功されている先生は、非常に稀です。稀ですが、その
ような先生は、信頼を集め、損得抜きの熱心な支持者を得ているはずです。おそらく、「ブレな
い政治」「息の長い政治」とは、このようなUSPを持っていらっしゃる政治家にしかできない事で
しょう。


参照:政治家の紹介 政治家のホームページリンク・・・・・(2016年7月21日改定)

       自民党  議員・役員情報
       民主党  所属議員一覧(衆参国会議員・地方議会)
   大阪維新の会  所属議員一覧(衆参国会議員・地方議会)
    日本のこころ  議員情報(日本のこころを大切にする党←次世代の党から改名)
       公明党  所属議員検索
       共産党  国会議員
         〃   地方議員(団)
      生活の党  国会議員
       社民党  国会議員
      新党改革  トップページ
      減税日本  トップページ
      新党日本  トップページ
     みんなの党  国会議員 (2014年11月18日に解党しました)



民主党内のゴタゴタで、とうとう公職選挙法が改正されないまま、選挙公示日になってしまいま
した。候補者のホームページは、更新する事が出来なくなりました。首相と幹事長の無理心中
辞任で、一旦、追い風が吹いたものの、菅首相の不用意発言で、またもや逆風。党首みずか
ら敗北を招いてしまいました。サッカーで言えば、オウンゴール

歴史で、『もしも』は、考えても仕方ありませんが、もしも、法改正されていたら、もっと政治家の
ホームページに注目が集まったかもしれません。ホームページで、しっかりした考えを主張をさ
れていた新人議員が、もっと当選していたかもしれません。
政治状況も、随分違ったものになったかもしれず、誠に残念です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(2010年7月14日追記)


10日前、有史以来とも言えそうな大地震、東北関東大地震が起こりました。
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げますと共に、
被災された方々にお見舞い申し上げたいと思います。
一日も早く、日常生活に戻ることができますよう、祈念申し上げます。

大勢の方々が、それぞれの立場で、お気持ちを合わせられ、
懸命に努めていらっしゃるお姿は、誠に尊いと感じております。

その一方で、後手後手に回っている事が無きにしも非ず。
想定外の非常時だからと言えば、それまでかもしれませんが、
日頃、想定内で作られたマニュアルに、頼り切っていたり、
分かりにくい上からの指示に翻弄され、余計な事はせず、指示待ちになっていたり、
思慮や能力が不足したまま、独善的な指示命令を下していたり、
このような事が、日常化してはいなかったでしょうか?
非常事態では、マニュアルを超えたチーム力が試されます。

刻々変わる事態に即応して行くには、
チーム全員が、リーダーと同様に判断して行動できないと、難しいでしょう。
刻々変わる政治状況に即応していくのも、同様かもしれません。
参考ページ:全員がリーダー

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(2011年3月21日追記)






前ページコラム  目 次次ページ


著作権:光の木