・・・・・魂のルネッサンス 心と魂の解放 ・・・・・
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慰 霊 論

【敗者と勝者を平等に慰霊した伝統】

戦闘が始まった時点で、ある意味では、双方とも敗者です。
戦闘に勝てても、戦わず妥協できた場合に比べたら、損得勘定では大損害です。
最上の勝利は、戦わずして、双方受け入れ可能な妥協点を見つけ出すことです。

日本の3つの心根、和解、沈着冷静、そして、進取の精神。
戦いで倒れた人々を慰霊するには、敵味方なく慰霊するのが、
古くからの伝統に適っています。

むしろ、敗れた方を手厚く祭る事さえありました。
大国主命を祭った出雲大社は、その最たるものです。
政争に巻き込まれて、大宰府に左遷された菅原道真も、
死後に手厚く祭られ、大宰府天満宮の神様になりました。

少なくとも、勝敗の区別なく、慰霊されるのが日本では普通だったようです。
奥州平泉では、二度の大戦乱をくぐり抜け、繁栄の基礎を築いた藤原清衡は、
中尊寺に金色堂を建立、翌々年には敵味方の区別なく弔う大法要を営みました。
中尊寺 http://morioka-kankou.com/morioka-kankou/index-iwate.html

鎌倉では、二度の元寇による殉死者を、敵味方区別無く弔うために、
北条時宗は、円覚寺建立を発願しました。
円覚寺 http://www.engakuji.or.jp/about/

その他、参考
長谷堂合戦戦死者供養塔 http://dewa.mogamiyoshiaki.jp/?p=log&l=105493
関ヶ原の首塚 http://kajipon.sakura.ne.jp/haka/h-bujin6.html

合戦の後は、怨みや祟りを恐れ、犠牲者を敵味方区別なく弔い、
平和な世を願い、和解を願ったのでしょう。
神仏習合の文化の下で、日本の伝統だったものと推察します。


【敗軍殉死者への冷遇】

ところが、明治時代には、こうした伝統は廃れていたようです。
幕末から明治への移行期、戊辰戦争の際には、
『勝てば官軍、負ければ賊軍』といわれ、
官軍の殉死者は手厚く弔われ、
後には、靖国神社の英霊として祭られました。
参考 http://www.yasukuni.or.jp/history/detail.html
    http://www.nippon.com/ja/in-depth/a02402/

これに比べ、敗軍の殉死者は冷遇されました。
骸となった地の人々の同情により、かろうじて墓所が造られました。

参考
静岡と上野 http://yageki.k-server.org/kanrinmaru/koufu.htm
会津若松市会津藩士墓地 http://www8.plala.or.jp/ashiza/aizu/aizu.html
高田藩会津墓地 http://shinn2015.jp/news/detail.php?id=33
同藩官軍側墓地 http://boshinsoutairoku.bufsiz.jp/kanayasankangunbochi.html

明治政府は、官軍側の戦死者は手厚く弔い、賊軍側には冷たかったのですね。
敵対した者を永遠に冷遇する措置であり、和解ではなかったようです。

いつ頃から、敵対者を永遠に冷遇するようになったのでしょうか?
豊臣から徳川への政権交代時に、豊臣秀吉を祭った神社を破壊した頃からか?
豊臣秀吉が甥の秀次勢力に難癖をつけ、徹底的に粛清した頃からか?
天下布武の名の下、織田信長が、神仏をも恐れず敵対者を徹底攻撃した頃からか?

信長の頃から始まったように、私には思えます。
しかし、その信長でさえ、敵対した比叡山を廃寺にまではしていません。
信長、秀吉、家康と経ていく間に、段々と陰湿になり、
敵対側殉死者への陰湿さは、明治政府まで続いたようです。

怨霊の祟りを恐れ、厚く慰霊しつつ和解を進めていたときには、
これほど苛烈でも、陰湿でも、ありませんでした。

太古の日本人は御霊信仰(怨霊信仰)という智恵で、和解を促していたのかもしれません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E9%9C%8A%E4%BF%A1%E4%BB%B0
つまり、和解が無い状態には、居心地の悪さを感じるという精神構造でもあります。
和解すること無く、押さえ続けようとする体制には、無理があります。
制度疲労が重なって、矛盾が拡大し、いずれは崩壊します。


【異様な慰霊方法】

戦わずして、目的達成に近い妥協点を双方の努力で見つけ出し、
内部を説得するのが真の勝利。
仮に戦闘に勝利したとしても、戦闘を始めた事自体が、既に格段に劣った選択です。

この前提で考えるなら、戦意高揚と誤解されそうな靖国神社の展示は、異様な慰霊方法です。
戦意を鎮め、無私になって考えることを肝に銘じつつ、犠牲者の魂を慰めるべきです。
戦闘に至らせたことを犠牲者に詫びつつ、平和を祈るのが、真の慰霊です。

賊軍や敵軍、敵国民の慰霊も昭和40年に付け足されましたが、申し訳程度です。
現在は、柵で封鎖され、自由な参拝も許されず、冷遇されています。
参考 http://www.yasukuni.or.jp/precincts/chinreisha.html
    http://www.yasukuni.or.jp/precincts/map.html
    http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-e1bb.html

平成14年の展示替えからは、日本軍戦死者を正義の殉教者の如くに美化し始めました。
参考 http://www.yasukuni.jp/~yusyukan/history/index.html
    http://www.yasukuni.jp/~yusyukan/floor/index.html
    http://www.nippon.com/ja/in-depth/a02404/

この実態を危ぶむ国々からは、カルト教団の如く見做されるようです。
参考 http://mudaimudai.exblog.jp/4057150/


【何故このような事態に?】

始まりは、勝った官軍殉死者を慰霊する神社だった訳ですが、
大東亜戦争で敗軍側になると、
「勝てば官軍、負ければ賊軍」の方針を貫いてきた為、
あたかも自国が賊軍であったかのようになってしまいました。

これでは、大東亜戦争以前の殉死者と同じように祭るには抵抗感が生まれたのでしょうか?
賊軍扱いを免れることに躍起になるあまり、聖戦の犠牲者の如く美化し始めました。

そもそもの間違いの始まりは、戦勝側の殉死者だけを、
正義の殉教者の如くに慰霊したことから始まっています。
自国側兵士を一方的に美化したり、戦いの正当性を主張する展示方法は、大いに疑問です。

百歩譲って、弱肉強食の帝国主義が世界を支配した時代には、やむを得なかったとしても、
この慰霊姿勢を続けるばかりか、戦争美化を強めたのは、時代錯誤と言わざるを得ません。
いわゆる『従軍慰安婦』(正式には、『軍慰安所従業婦』=戦地公娼)の問題で、
これを現代の軍事基地周辺にも作った方が良いと提言する、時代錯誤と同じです。

少なくとも、『武力行使により国際紛争を解決する』ことを放棄した現在の我が国には、
やむを得ない戦闘はあり得ても、正義の戦争はあり得ず、明らかに、時代錯誤です。


【再出発への提言】

敵味方の区別なく、犠牲者の魂を平等に慰めることから、再出発したなら、
どこから見ても、他国からも、文句を言われる筋合いはありません。
首相の公式参拝も、天皇陛下の参拝ですら、不自然ではないでしょう。
これが我が国の伝統であり、しかも、和解への先進的な道なのですから。
そして、戦争の一方的美化は止め、戦争突入を止められなかったことを悔いましょう。

境内に、神道以外の平和祈願施設も設けたら、画期的かもしれません。
元々、日本人の宗教観は、神仏習合でした。
明治政府によって無理やり引き剥がされたのです。
仏教の祈願施設を入れても、バチは当たらないはずです。

神道は直感に頼る宗教であり、極端から極端にブレ易い。
このブレを防いでいたのが、神仏習合という智恵だったのではないでしょうか?

ついでに、国際化の時代だから、
世界の主だった宗教の祈願施設を併設しても、良いかもしれませんね。
宗教対立解消の象徴的存在になれるかもしれません。


【安倍首相は読み間違えた?】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(2013年12月31日追記)

この「慰霊論」のページは、「戦争論」のページを書き始めた11月下旬から考え始め、
12月初めには、靖国神社の実態も直に見てまいりました。
原稿は、用意していたのですが、公表はまだ先延ししようと思っていましたら、
12月26日、安倍首相の突然の靖国神社の参拝があり、急遽、掲載した次第です。

何故、この間の悪い時期に、参拝するのかと、怪訝な思いです。
真相は、本人の胸の内に秘められているでしょう。
公式発表からは、伺い知れぬことです。
  参拝後の安倍発言  前月の小泉発言

安倍さんにしろ、小泉さんにしろ、中国や韓国の事しか考えずに、
靖国神社参拝を決断したのかもしれないと、推察することもできます。
首相就任からちょうど1年経ったからと言ってますが、それだけではないでしょう。

国際法を軽視し、あたかも中国領空であるかのような、防空識別区の発表で、
中国に批判が集まり、韓国が中国に裏切られたと悔しがっている時だったので、
強気に出ても、乗り切れると踏んだのでしょうか?

しかし、国際情勢は、もっと、もっと複雑怪奇です。
中国や韓国に、自分の真意をどう理解してもらおうかと考えることも大事でしょうが、
戦略的な布石を考えた時、もっと大事な相手がいますね。
そう、アメリカです。

軍事大国化、海洋覇権を強めている中国を押し止めるのは、同盟国の総合力です。
日米同盟に楔を打ち込む事ができれば、中国は覇権を拡大し易くなります。

靖国神社が大東亜戦争の正当化に傾いている事を、アメリカは危惧していたようです。
日本の首相である安倍さんは、そんな事くらい承知していたはずでしょうが、
自ら、日米同盟に楔を打ち込む手伝いをしてしまいました。

小泉さんが靖国神社を参拝した当時のアメリカは、ブッシュ・ジュニアの政権下、
アフガニスタンやイラクで、戦闘を繰り広げ、小泉さんがこれを支持していました。
だから、アメリカは、靖国神社の参拝問題を寛大に見ていた節があると思います。

また、靖国神社が大東亜戦争の正当化に動いていることを、アメリカが危惧し始めたのは、
【異様な慰霊方法】の末尾で紹介しましたように、2006年頃からです。
だから、小泉さんが靖国神社に参拝した当時と、今とでは、環境が全然ちがうのです。
小泉さんも、安倍さんも、そこの所、分かっているのかなぁ?
(あ〜ぁ、溜め息)

中国の抜け目の無さを侮ってはいけません。
隙があれば、そこに、グイグイ食い込んできます。
参考:国際政治学者、イアン・ブレマー氏の見解

安倍さんが参拝時に祈った事として、説明された内容には問題は無いとしても、
参拝した場所が不適切でした。
祈られた内容に、もっと相応しい場所を選ぶべきでした。
どこなら良かったか?そんな場所があるのか?もっと、もっと悩んでください。


【彼らはナショナリストの皮を被った売国奴か?】・・・(2014年2月21日追記)

今、衛藤晟一首相補佐官、本田悦朗内閣官房参与と、失言が相次いでいます。
日本を取り巻く情勢の厳しさを理解できていない頓馬達です。

選挙で大勝した反動で、緊張感に欠け、緩み切っているのでは?
国際情勢に与える影響を分かっていて行った確信犯なら、売国奴です。

彼らには、相手がどう受取るか、あるいは、どう利用されるかと、
考えるだけの想像力が無いのでしょうか?

ウォールストリートジャーナルの記者のインタビューにしても、
本田内閣参与は、油断しきっています。
記者がどのような思想背景を持ち、自分の話をどう理解するかと言う探りを入れずに、
トクトクと話していたようです。

売国奴としての確信犯ではなさそうですが、
自分達のしでかした過ちの大きさが、今もって解っていないようです。
解っていたら、役職を辞任せずにはいられないでしょう。
しぶしぶ言い訳めいた事を言いながら、本心では開き直っています。
政権を担うチームメンバーとしては、『救い難い』と、言いたくなります。

中国共産党も、韓国も、
日本の方に歩み寄らずには、身動きできなくなりつつありました。
ところが、安倍首相の靖国参拝からは、
国内対策としても、日本に歩み寄ることが不可能になってしまっています。
そして、反日宣伝に、格好の材料を与えています。

アメリカにしても、TPP交渉が行詰りつつあり、
関係悪化を圧力材料にして、日本の国益を無視した強硬案を突き付けてくるでしょう。
日米関係の悪化を狙っている勢力の罠に、アメリカも日本も嵌められることになります。
これを解っていて行っているなら売国奴ですが、解っていないなら単なる頓馬。

本人達は、国を思っているのかもしれませんが、思い違いもはなはだしい。
未熟な自己愛を振り回し、結果的に、自国の立場を追い詰めています。
(成熟した自己愛は、自己受容と一体です。)

大東亜戦争に向けて追い詰められていった、悪夢の再来にならないことを祈ります。


安倍首相が任命した人物が、次から次へ失言を続けています。・・・(2014年2月23日追記)
NHK会長の籾井勝人氏もその一人です。
今日の新潟日報第3面の記事を読んで、驚きました。
ご自分では、失言していないと思っていらっしゃるようです。
相手の思想背景を探らず、どう理解されるかに無頓着なまま、
自分の想いだけを一方的に話していたようです。
未熟な自己愛を振り回している一人です。
どうして、こうも、次々と続くのでしょうか?
安倍首相ご本人もまた、同類なのかもしれませんね。

参考:2月25日の日経ビジネス・オンラインに失言を防ぐ心得が載っていました
   この方々には、こうした注意深さは無さそうですね。    ・・・(2014年3月16日追記)
   http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20140224/260135/?P=1&rt=nocnt



 




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