・・・・・魂のルネッサンス 心と魂の解放 ・・・・・
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憲法改正は前文から (改正試案)


憲法を巡る論議は、政治課題として日増しに大きくなっています。
解釈のやり方でまだ対処できるでしょうが、改正するなら、先ずは前文です。

【改正試案】 【現行憲法前文】 【改正試案主旨】 【ちょこっと解説】 【異文化理解の鍵、分かち合いの輪】 【安全保障の形は、経済の方向を左右する】 【問題の捉え方を間違えているのでは?】 【河野談話が残した禍根】 【人道は憲法典に優先する】 【憲法前文の改正試案の修正】 【集団的自衛権は違憲か?】 【憲法第9条改正案】 【憲法第76条を改正しなくても対応可能


【改正試案】             - - - - - - - (2015年12月23日改訂〜'16年2月21日追記)

 日本列島には、太古から多様な種族が徐々に渡来し、影響し合いながら、洗練された豊かな固有文化が醸成されてきた。豊かな自然環境にも恵まれている反面、自然災害も多く、思いやり助け合いが欠かせず、今も理想の一つとして息づいている。
 日本国民は、自国の風土・文化・伝統・独立を尊ぶと共に、他国の人々が同様に自国を尊ぶ思いをも尊重するものであり、国際社会の恒久平和と発展を願い、貢献を惜しまない。ここに、主権が国民に有ること、大御心を鑑としつつ慎重に主権を用いることを宣言し、暮らし易い社会を築くことを求め、この憲法を制定する。

(以上の試案の一部または全部を、法案もしくは法案検討用資料に使用される場合や出典を明らかにして引用する場合には、著作権を主張しません。 - - - - 2013年2月13日追記)

                         - - - - - - -(上記下線部分、2016年1月1日修正)
以上、前文の目的は、次のように、憲法の目的と精神を簡潔に表すことです。
1.立法・司法・行政の三権に向け、根本的精神を示す。
2.日本の特色と国柄について、国民自身が自覚すると共に、外国にも理解を求める。
3.国際関係における過去の失敗への反省を踏まえ、将来に向けた基本姿勢を示す。
4.主権在民と共に天皇(伝統的心根の象徴として)との関わりを示す。
参考⇒ https://youtu.be/oQ1WWR21GaY?t=5m16s (主権とは)
参考⇒ https://youtu.be/wG3qalWCPhg?t=9m10s (大御心とは)
参考⇒ https://youtu.be/ZI2quFqOKgM?t=1h8m48s (国民と天皇との絆)
参考⇒ 大御心により大切にされてきた『大御宝』とは - - - -(2016年1月1日追記)
参考⇒ 憲法って何?宮崎哲弥&橋爪大三郎 - - - - - (2016年1月7日追記)
参考:空気支配への抵抗力⇒ 日本の社会原理・日本教 - - - - (2016年1月7日追記)
参考⇒ 「日本出動」第5回(5分10秒)〜 約3分間 - - - - - - -(2016年1月22日追記)
参考⇒ 実は軍人より政治家の方が暴走し易い 約2分間 - - - - - -(2016年2月21日追記)
参考⇒ 空気支配を克服するには、異なる視座を持込む 約17分間 - -(2016年3月26日追記)
参考⇒ 正当な立憲意思の無い憲法典には意味がない 約3分間- - -(2016年4月10日追記)

●前文の長さについて                 - - - - - - - - - - -(2016年1月19日追記)

憲法の前文は、短く簡潔である方が良いと思います。
後に続く条文により自ずと明らかな事は、省略しても良いはずです。
憲法学で国際常識になっており、かつ、条文に明記されている事なら尚更です。
 参考: 欧米各国の憲法前文を比較したブログ

長々と書くこうとすると、様々な異論が出て、合意形成が難しくなります。
諸外国、特に西洋諸国と比べた時に、日本の国柄として特有な点に絞るべきと思います。
この主旨でも、冒頭の改正試案は、適切な長さと内容だと考えています。

●大御心を鑑とする意味について       - - - - - - - - - - - - -(2016年2月14日追記)

権威と権力の分離、両者のバランスを保ってきたのが、日本の伝統です。
天皇が直接統治した時代を経て、時の有力者が権力をもち、天皇が権威を持つ、
こうした分離の最初は、曽我氏が勢力を持った時代だったかもしれません。
その曽我氏も、中臣鎌足により滅ぼされて天皇の直接統治に移行したものの、
藤原氏の勢力拡大により、再び、権力と権威が分離します。
以来、わずかな期間を除き、この状態がほぼ保たれてきました。

この権力者も、天皇を否定し、天皇に取って代わることはできませんでした。
なぜなら、自分の祖先を天皇の臣下として位置づけ、権威を補強したからです。
天皇に取って代わる事は、自己否定になってしまうからです。

日本では、太古から現在まで共同体を基調とした社会が保たれてきました。
太古において共同体の中から、権威を持つ者が生まれ、権力を持つに至ったと推察できます。
権力者もまた、共同体の一員であり、一般庶民の敵対者ではないよう努めてきました。
多分これは、異民族に支配されてこなかったという歴史の産物だと思います。

歴代天皇に受け継がれる心、庶民を大御宝と呼んで大切に思われる心が、大御心です。
時の権力者もまた、領民を収入源と見るだけでなく、領民の暮らしの安定を願いました。
権力者は、天皇を権威づけに利用するだけでなく、治世の鑑にしたとも言えます。
つまり、大御心を鑑とすることは、権力を用いるときの伝統的価値観とも言えます。

いま、国民が主権を用いるとは、国民が政権を選んだり、政策を選ぶことですが、
ややもすると、多数意見の横暴で、少数意見を封殺して事が運ばれたりしかねません。
国民主権と言えども、この主権は慎重に用いる必要があります。
主権の運用においても、大御心を鑑とする伝統的価値観を活かすことが上策です。

●まだ民主主義は日本には根付いていないのかも - - - - - - -(2016年2月27日追記)

つい最近も、少数政党の意見をどう扱うかという点で、人気作家の変な言説を耳にしました。
2%の人しか言わない少数意見は、常識外れだから、無視しても良いとのこと。
民主主義が、まだ日本人の血肉になっていないのでしょうね。

日常的な事は、常識の範囲で判断できますから、多数意見に大きな間違いは無いでしょう。
ところが、新しい状況の中で、最初に正しい事を言い始めるときは、大抵は少数意見です。
こんなとき、耳を傾けるべき意見と、そうでない意見との選別の方法が、まだまだ稚拙です。
最初から人数で選別するのは、民主主義でもなんでもありません。
少数意見でも、実態と実情、先はどうか、筋は通っているかどうかで、選別すべきです。
            - - - -(上記下線部分、「鷹の目と虫の目と鮎の目」2016年3月7日修正)
政治、治世の心得について、日本最古の文献は、日本書紀にも掲載された十七条憲法です。
伝統として現在も活きており、日本の民主主義の基礎になっていると思います。

十七条憲法の結末では、独断専行を戒め、開かれた議論での意見集約を推奨しています。
しかし、冒頭が『和をもって貴しとなす』である為、議論を突き詰めません。
『これ以上は、言わなくても分かるでしょう!』と言いたげに、察することが求められます。
正しい事を説く少数意見でも、安易な多数意見に流される危険性が常にあります。

日常の暮らしや仕事で一緒にいる間柄なら、これも止むを得ないでしょう。
相手との関係が気になり、議論を突き詰めることができません。
新しい状況の中で、どうすべきか考えるとき、これでは不充分です。

だからこそ、日本では、議論を突き詰める専門家としての議員に、存在価値があります。
それなのに、日本の議員さん達の議論は、現状把握も先読みも論理もレベルが低い。
無償ボランティアで務める議員ではなく、報酬を得ている以上、これでは職務怠慢です。
職務には、諸調査から、論点整理、論理組立て、質問、提案まで入っているはずです。
                             - - - -(上記下線部分、2016年3月7日修正)
多分、議員の選び方が、不適切なのだと思います。
議員なら、公開討論会を何回も重ね、議論の能力を見定める必要があります。
今の選挙では、一方的な演説や、呼掛けの連呼、文書配布などが中心で、
公開討論会が、あまりにも少な過ぎます。
公開して行う真剣な討論会は、日本の社会風土に馴染まないのでしょうか?
馴染めないとしても、日本の将来のためには、避けて通るべきではないと思います。

日本ならでは起こり得る、民主主義の判断ミスには、充分警戒しておく必要がありますね。
戦前も、立憲君主制の下の国会で、反対意見も堂々と出ていたのに、間違えてしまいました。
大政翼賛会が衆議院議席の大部分を握る情勢下で、反対意見は聞き流されてしまいました。
支那事変の泥沼化や対米開戦に対し、最後まで疑問を呈されていたのは、天皇陛下でした。
国民主権にも慎重さが必要であり、この点も我が国の憲法には、明示すべきだと思います。
だから、『大御心を鑑としつつ慎重に主権を用いること』が、必要だと考える次第です。
 参考⇒ 【共産党による洗脳支配】   - - - - - - - - - - - - - - - (2016年3月3日追記)
 (支那事変は、ソ連・中共・米国・日本の共産勢力の共同謀議により泥沼化し、対米開戦へ)


【現行憲法前文】

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。


【改正試案主旨】

憲法改正と言うと、一般には、第9条を連想します。
世界の現実に対応していない条文であり、憲法改正の必要があると、私も考えます。
しかし、『軍国主義復活』などと反日宣伝され、憲法改正は困難を極めるでしょう。
国民感情としては、軍国主義など有り得ないと思いますが、
感情と言うモノは、どんなきっかけで変わるか分かりません。
明文化した歯止めが必要だと、私は考えます。

その歯止めが、今までは憲法第9条でした。
しかし、曲芸のような憲法解釈により軍事力を保持している現状であり、
ほとんど破綻しています。
そんな頼りない条文と、いつどう転がるか分からない感情に頼っているのでは、
軍国主義化への歯止めとしては、信頼性が乏しいと言わざるを得ません。

世界の現状を見据え、日本人とはどんな国民なのかを見据え、
  (参考:世界の現状、日本人とは⇒ 『日本人がつくる世界史』のご紹介 )
戦争以外の手段がなぜ活かされなかったかを見据え、
  (参考⇒ 戦争論
その上で、私達はどのようにして国際協調路線を取ろうとするのか、
説得力のある理念を語る必要があります。
現行憲法には、これがありません。
この理念を語り得るのは、憲法前文です。

しかし、現行の憲法前文は、空理空論です。
特に赤色文字部分、国際社会が、見た事もない善意に既に満ちているかのようです。
これを前提に、自国の安全保障体制を決断したと言っています。
砂上の楼閣のように、空虚です。
                        - - - - - - -(以下の「*」印8行、2013年2月18日追記)
これには、違う意味があり、『平和を愛する諸国民の公正と信義に期待して』とすべきところ、*
原文の英語を日本語に翻訳した人の文章力の問題で、こうなったというもあります。*
この説と現行前文、どちらにしても、『安全保障は占領軍・連合軍側に委ねた』と言う現実を、*
日本国民に分かり難いよう、『諸国民・・に信頼(期待)』との表現で、格好つけただけです。*

現実の世の中で、人間関係が上手く行かない時、*
相手の方を、こちらが『期待』したり『信頼』したくなる姿に変えようなんて、ホントに難しい。*
自分の方が変わる、対応を変える、態度を変える、この方が解決に向かいますよね。*

だから、まず前文について、憲法改正し、
日本は、他国にどんな働きかけ方をするのか、しっかりした理念を語る文章にすべきです。*
そのとき、ようやく第9条について、まともに議論できるようになるでしょう。


もう一つの解釈                 - - - - - - - - - -(2014年5月22日追記)
以上の解釈は、『信頼して』は、言葉の選択ミスとして、『期待』の意味に受け取る訳ですが、
これ以外にも、この赤色文字部分には、別の解釈もできます。
別の意味をオブラートにくるむように、ボカシているだけとの解釈です。

新憲法の起草は、初めは、まだ頭の固かった日本側担当者が行ったようです。
ところが、当時日本を軍事占領していたGHQにより却下され、GHQが起草しました。
基本的人権など、進んだ考え方を導入する面があった反面、不誠実な下心も読みとれます。

敗戦に伴う米軍の軍政や主権回復後の米軍の駐留継続を正当化する下心です。
普通の独立国なら、同盟国の軍隊が対等な立場で駐留するのは認めるでしょう。
しかし、戦勝国の特権で居座り続ける軍事占領は、同盟でも、民主主義でもありません。
この異様な状態を、さも、国民から望まれていると、読み取れるようにしたのです。

東京裁判で、日本は、戦争を愛する国であったかのように仕立て上げられ、
「平和に対する罪」で裁かれました。(裁判というよりは、戦勝国による復讐リンチです)
だから、『平和を愛する諸国民』の諸国とは、戦勝国、すなわち米国を代表とする連合国です。

連合国の皆さんを全面的に信頼して、日本の国防は、皆さんにお任せすると決意しました。
という軍事占領正当化が、オブラートの下から読みとれる本当の意味なのです。
日本国民から頼まれたのだから、米国は、軍事占領さながらに駐留を続けるという意味です。
 参考 アメリカはなぜ対日戦争を仕掛けたのか[桜H23/12/5] - - -(2014年6月24日追記)

<憲法改正の最優先項目>              - - - - - - - - - -(2012年12月23日追記)
政治家の中には、憲法改正の最優先項目は、第96条に規定されている、
憲法改正要件の緩和が最優先だと主張するグループがあります。

でも、これは、どんなに各党を説得に回っても、難しいでしょうね。
これを認めたら、平和憲法の看板が、容易に降ろされるのでは?
との不安が先立ち、国会議員や国民の多くに反対運動が巻き起こり、頓挫するでしょう。
                          - - - - - - - -(以下「*」1行、2016年1月20日修正)
改悪の不安をぬぐい、正しい方向へ導く為の下地作りが、先ず、憲法前文の改正です。*
ここで、世界の恒久平和に向け、日本人全体が努力する方向を定め、理念を語ることです。
両院それぞれの総議員の2/3以上の賛成を得られる「憲法前文」にする事が最優先です。
これであれば、多分、国民の過半数の賛成も得られるものと推察します。
                          - - - - - - - -(以下「*」3行、2014年6月22日修正)
本当の平和憲法になる事が保証されない限り、第9条は、改正すべきではありません。*
憲法の本来の役割には、権力の乱用から国民の権利を守る機能がありますが、*
憲法改正要件を過半数まで下げたら、権力の都合優先となり、役割が果たせません。*
                          - - - - - - - - - -(以下4行、2013年2月5日追記)
更には、『集団的自衛権についての憲法解釈』の見直しも、同様です。
国内からも、近隣諸国からも、警戒心と脅威論が高まり、いたずらに刺激しかねません。
だから、『武力行使、軍備、交戦権の放棄』の解釈や文言を変える必要があっても、
本当に平和憲法になる為には、新たな方法論・方向性を憲法前文に明記することが先決です。

                         - - - - - - - - -(以下17行、2014年5月22日追記)
とは言うものの、事態は風雲急を告げ始めています。
南シナ海で、中国海警局の船がベトナム船に体当たりした事件です。
尖閣諸島で日本に対して執拗に繰り返している領海侵犯や領空侵犯は、
日本に対する強気の姿勢を中国国内向けに宣伝する、抑制ある芝居と解釈するも可能です。
ところが、ベトナムとの事件は、更にエスカレートしており、別の背景があるようです。
 参考: 5月12日付け夕刊フジのネット解説
    : 5月19日付け石平氏の解説
    : 腐敗撲滅についての新旧政権間の合意
    : 胡錦濤前主席の党内序列躍進の動き
政権内部で生き残る為の闘争は、マフィア並みの暗闘になるのが中国スタイルのようです。
 参考: 「中国教父 周近平」・独裁者として批判している著作
上海vs北京で、いよいよ、中国の内部分裂が始まるのかもしれません。
2つに割れるだけでは済まず、中国定番の群雄割拠のパターンになるかも?
あるいは、各派閥が一致してスケープゴードにできる日本が狙い撃ちにされるかも?
日本としては、早急に守りを固め、米国との連携を確かなものにしておく必要があります。
本来は憲法改正で対応すべき事も、急場しのぎが必要になるかもしれないですね。
いわゆるグレーゾーンについての法整備は急いだ方が抑止力になると思います。
                        - - - - - - - - - -(以下4行、2015年10月23日追記)
いよいよ中共は増長し、一触即発の事態が始まろうとしています。
 参考⇒ https://youtu.be/・・・・・・
日本の安全保障法制の成立、TPPの大筋合意を待っていたかのように、
ようやくこれから、アメリカも本腰を入れて、中共の増長を抑えにかかります。
                        - - - - - - - - - -(以下16行、2014年6月22日追記)
『個別的自衛権も、集団的自衛権も、一体的な自衛権として保有している自然な権利であるが、
敢えて、このうち集団的自衛権だけを返上していたのが今までの憲法解釈である。
だから、返上を止めたと宣言するだけで、憲法改正しなくても集団的自衛権は保有できる。』
このように論理的に説明する憲法学者もいます。(小林節慶応大学名誉教授)

更に説明は続きます。
自然権に基づく自衛権として法整備すると、警察と同様に一般行政的な法体系になってしまう。
法律に根拠のあることしかできない規定のため、戦場では、臨機応変に対処しにくくなる。
世界の普通の軍隊は、禁止事項以外は行って良い法体系のため、臨機応変に対処できる。

自然権に基づく場合、法律に書込む内容は、時の政権の思うままになりかねず、
好戦的な政権が法整備を主導したら、自衛権の範囲はどこまで拡大されるか分からない。
これを縛るのは、憲法の役割。

第二警察として法整備されてきた自衛隊の限界はこの点だと、小林教授の解説で分かります。
自衛権を憲法に明記するのと、明記せず自然権と解釈するのでは、違いが大きいですね。
 参考 【え?】改憲派が斬る!96条改正に異議あり! 2013.6.8
     「憲法96条改正問題」小林節 慶応大学教授 2013.6.17 (特に1時間18分50秒〜)
     米の言いなりの集団的自衛権行使に苦言 2014.5.16 (約1年の間に変節された?)
                            - - - - - - -(以下2行、2015年6月22日追記)
 参考 米軍と原爆が在ってこその憲法9条 2015.4.24
     憲法9条を大切にすることは良い事ですね 2015.4.17


【ちょこっと解説】           - - - - - - - - - - -(2012年10月30日〜’16年1月19日)

思いやり」とは、一般には、同情したり優しく接したりですが、それだけではありません。
本当に、相手との関係をより良くしようと思うなら、
あえて、距離をおき、手助けしないで見守った方が、
相手に自力がつき、相手の成長を助ける事がありますね。
相手の望むことを、いつも先回りして、やって上げていては、相手の成長を阻害します。
距離をおいていても、見守っていれば、相手が自力だけでは危険な時、直ぐに助けられます。

相手と敵対している場合も、同様に思いやりです。
優しくするということでは、ありません。
相手を知り、相手の本音に思いを巡らせることにより、
長期的な関係改善の道筋を探る事ができます。
 参考: 上杉謙信の愛弟子、直江兼続の思いやり - - -(2013年1月19日追記)
                         - - - - - - - - -(以下14行、2014年12月31日追記)
また、「思いやり」は、日本の国柄を特徴づけている真髄です。
天変地異の中でも、暴動など起きず、人々が互いに思いやる姿に表れていますね。
この魂が根付いたのは、多様な人々が共生し始めた縄文時代です。
 参考: 日本の原点、文化と時代  縄文の心と魂

今、日本の「おもてなし」が注目されています。
この根本には、お客様への思いやりがありますね。
これが、日本の商品作りが世界有数の品質を達成する原動力になっています。

社会を動かし機能させている原動力が、資本主義になっている現代でも、
思いやりは、社会が健全に機能するために必要な、もう一つの原動力になっています。
資本主義は、倫理道徳と車の両輪になって初めて人間的に機能するものであり、
この倫理道徳を為政者と国民が共通の規範とする必要があります。
私利私欲一辺倒で、政治まで捩じ曲げられるようになると、社会は荒廃してしまいます
 参考: 【仁本主義の時代へ】
      小室直樹氏談話・資本主義講座(途中から) - - - - -(2016年1月19日追記)

もし、思いやりがこの国から消えてしまったら、日本は消滅してしまうでしょう。


【異文化理解の鍵、分かち合いの輪】            - - - - - (2015年10月30日追記)

他の人に喜ばれる事が、自分の喜びにもなるという『分かち合いの輪』は、*
人類の根源的特徴であり、人類進化の重要な原動力です。
『直立二足歩行』と車の両輪になり、人類を進化させました。
この『輪』は、『家族』という集まり方から始まりました。
 参考:家族の由来と未来⇒ https://youtu.be/Oq9U2iHqofQ
     サル化する人間社会・解説⇒ https://youtu.be/gH_AxEwMa48
                         - - - - - - - (「*」1行、2016年1月11日加筆修正)
家族という輪は、数人からせいぜい十数人単位の大きさしかありません。
この輪が、幾つもの輪と連結しあるいは重なると、集落や地域社会になります。
日本では、天皇を結び目の象徴にしてこの輪をつなげ、国民国家をつくりました。

こうした『輪』から外れている人に対しての態度は、民族の文化によって大きく異なります。
大抵の国々では、輪の外に対しては冷淡で、時には冷酷、残忍にさえなることができます。
ところが、日本人には、輪をつなげよう、輪に入ろう、入れようとする傾向があります。
つまり融和的であるということです。

この融和性にともない、日本社会は、諸外国に比べ極めて安心安全!
外国人には、違う惑星に来たかのように、信じがたいようです。
(『日本という名の惑星』というテレビ番組があるくらいです)

お隣りの漢人や韓国人にとっても、常識をひっくり返される驚きのようです。
日本を訪れた漢人旅行者の驚きも、話題になっています。)
日本を訪れた韓国人旅行者の驚きも、話題になっています。)

漢人や韓国人が思い描く蛮行は、冷酷さ、残忍さの点で、普通の日本人の想像を絶します。
彼らが捏造した『日本の軍や官憲による蛮行』とは、彼らの中に眠る残忍さの投影です。
だから、日本社会を直に見たこともない漢人や韓国人は、
事実と異なっていても、モットモらしいとさえ思ってしまうのでしょう。

これを見ると、人間の中に眠る冷酷さ、残忍さを知ることが出来ます。
このような冷酷さ残忍さを、長い歴史の中で強めた社会と弱めた社会があり、
日本は、最も弱めた社会の一つです。

なぜ、このような違いが生まれたかと言えば、歴史の違い。
繰り返し異民族が大量に流れ込んでは、武力支配された社会と、
細々としか流れ込まず、融和させることができた社会との違いでしょう。

しかし、こうした日本社会の良き伝統が、今、崩れかけています。
働き方、学び方、遊び方の多様化で、家族の中のすれ違いが増えているからです。
どのように変わろうとも、この伝統を守っていきたいものです。
この伝統に世界中が憧れれば、融和的な人生観が広まり、
ひいては、世界平和にも貢献できるでしょう。


【安全保障の形は、経済の方向を左右する】

第2次世界大戦終結後、日本の安全保障は、アメリカにオンブにダッコでした。
安全保障をそっちのけで、経済建設に邁進出来ました。
いつの間にか、それが普通であるかのような感覚に陥っていました。
その歪さに気付かせてくれたのが、中国です。

反日教育で育てられ、暴徒化した中国の若者。
軍事力を使いたくてウズウズし、いつ暴発するか分からぬ人民解放軍。
民衆の暴徒化を恐れつつ、軍に突き上げられ、対日強硬路線しか選べない中国共産党。
今の日本の安全保障体制の歪さを、彼らに、教えてもらいました。

その歪さを是正しないまま、中国に対抗しようとすれば、
対米隷属化の深化を、『日米同盟の深化』と言いくるめて、
TPPへ邁進するしかないのでしょう。
(参照「なぜ野田さんはTPPに前のめり?」)

しかし、アメリカの威を借りて対抗しようとしても、
アメリカの財政事情では、期待に応えられないでしょう。
だから、アメリカは、中国を警戒する国々との協力で、軍事負担緩和に努めているのであり、
もうこれ以上、日本に甘えてもらっては困るというのが、本音では?

歪さを是正し、日米同盟を維持しながら、日本の方でも抑止力を高めるなら、
TPPに前のめりになる必要は、全くありません。
自国の安全保障に、もっと正面から取組む必要に迫られています。
この為には、まずは憲法前文の改正です。
これだけでも、中国共産党幹部には、十分な暗示効果があるはずです。


参考:
渡部昇一著、「民主党よ、日本を潰す気か!」(第4章)2011年、徳間書店
苫米地英人著、「日本人よ、目を覚ませ!」2011年、サン出版
英正道著 「『憲法前文試案』―君は自分の国をつくれるか」2001年、小学館文庫
 (同書要旨 他国憲法前文事例 著者の試案 衆議院憲法調査会平成15年7月3日配布)
 (参考人意見陳述及び質疑応答 同要点 衆議院憲法調査会平成15年7月3日)
 (参考人意見陳述及び質疑応答 参議院憲法調査会平成16年4月21日)
衆議院憲法調査会関係資料(平成12年1月20日〜平成17年4月15日)
参議院憲法調査会関係資料(平成12年1月20日〜平成19年8月6日)
その他、これまでのコラム全般

<参考書籍>                              ・・・・・・(2012年12月25日追記)
石平著 「尖閣問題。真実のすべて」2012年、海竜社

いつまでも、米軍ばかりを頼っては、いられません。
いつ、何をきっかけに、日本周辺での米軍の力が後退するか分かりません。
尖閣諸島は、軍事的に重要な戦略地点であり、
中共軍にとっては、東シナ海、ひいては西太平洋全域を支配する橋頭保になります。
米政府や米軍は、パワーバランスの原理を承知し、中共軍を充分に警戒していますが、
    参考⇒ http://blogos.com/article/140321/
アメリカの一般庶民は、ほとんど何も分かっていません。
有権者におもねって、肝心な所で弱腰になり、中共軍の暴発を誘発する事態もあり得ます。
また、大統領選にも、幼稚で愚劣な側面があり、大衆迎合に落ちる危険性があります。
    参考⇒ https://youtu.be/TcQ-ZCrZ7nA
                             ・・・・・・(以上10行、2015年10月22日追記)


【問題の捉え方を間違えているのでは?】      ・・・・・・(2013年5月24日〜6月2日追記)

●橋下発言の過ち
歴史を振返り評価するには、今も昔も変わらない、価値観の軸が必要です。この軸は、憲法にも通じます。「日本維新の会」共同代表で、大阪市長の橋下徹氏の発言をきっかけに、今ふたたび、いわゆる「従軍慰安婦」の問題が蒸し返されています。

橋下発言は、なぜ異様なのでしょう?正当な主張と時代錯誤が入り混じっているからです。いつもながら、未整理のまま安易に発言してしまいました。弁護すべき部分と正すべき部分を間違えています。法律論としても、道徳論としても。

事実を捻じ曲げ、悪印象をばら撒く反日宣伝に対抗しようとしたのでしょうが、逆効果でした。正当な主張部分まで怪しい印象になってしまいました。反日宣伝の罠は、生易しくありません。かえって、罠の深みにはまってしまいました。

法律論
法律論として見た時、弁護できる部分と正すべき部分は、どこでしょう?後で作った基準で、時代を遡って罰することはできません。当時の国際基準でどこに過ちがあったかを見直してみましょう。

実は、「従軍慰安婦」という、 この呼び方自体が、戦後の捏造であり、当時の状況を故意に貶めようとするものだったのです。千田夏光(せんだかこう)という小説家が戦後に名付けたものです。かつて、さんざん戦争を煽っていた老舗マスコミが、当時の全てを批判することで、正義漢ぶって今の自分を肯定・鼓舞しようと、「反日宣伝の罠」に加担したのです。

軍隊に従属させられていた意味を持つ「従軍慰安婦」は、当時、存在しませんでした。意味としては「戦地公娼」であり、正式には「軍慰安所従業婦」と呼ばれていたようです。また、国民総動員体制の下で、若い女性による「女子挺身隊」と言う勤労奉仕団が結成されました。強制的に職場を換えさせられ、軍需工場などに動員されたり、保母や看護婦にさせられました。この女子挺身隊や従軍看護婦と一緒くたにして、人数を水増しし、反日宣伝に使われることもあるようです。

民間業者が経営する売春宿を、戦場の近くに開設し、兵士の性病予防の為に、衛生管理状態を軍隊が監視していたようです。占領地域で、兵士による婦女暴行を予防する為、兵士がこの売春宿を利用することを、軍隊が公認していた模様です。これが「軍慰安所」というもので、中には、建物を軍隊が用意し、民間業者に貸与していたものもあったようです。

当時、民間業者が売春宿を経営する事は、世界各国が一定の条件の下で合法とし、認めていました。戦地でも同様です。これを捻じ曲げて「従軍慰安婦」という呼び方をすることにより、国家が女性を強制連行してきて公娼に仕立て上げたかの様に印象付けています。

日本と言う国家が、当時の基準で見ても非道な事を、さも行っていたかのように、世間を惑わし、反日宣伝しています。それが分かっていながら、なぜか、日本のマスコミは、いまだに呼び方として「従軍慰安婦」を使います。しかも、このマスコミに反論している政治家までが、不用意にこの呼び方をします。

更に、その先で、政治家は問題の扱い方を間違えてしまいます。

正確な呼び方をすることにより、そこで起きていた事を正当化しようとか、国の責任を回避しようとか、そう受取られるような言い回しをしてしまう。だから、またしても、「反日宣伝の罠」にはまってしまう。

売春宿だから、何も違法な事は無かったかと言えば、そうではなかったと推察します。中には、業者に騙され、あるいは借金のカタとして近親者に騙され人身売買されてきた女性、軍法違反の兵士が誘拐して連れ去ってきた女性もいたかもしれません。騙して人身売買したり、誘拐して連れ去るのは、当時も犯罪です。

犯罪者は逮捕して刑罰に処し、被害者は助け出し損害賠償されるのが基本です。当時もこれに気付き、取り締まろうとしていたようです。(軍慰安所従業婦等募集に関する件・・「2 背景と関連資料」)ですが、この基本を徹底できなかった部分もあると推察します。これは、治安を預る国家の責任です。戦争と言う混乱の最中であっても、国家が機能している以上は、社会の治安は国家の責任です。

国家が犯罪行為をしたのと、国家が犯罪取り締まりを徹底できなかったのとは、全然違います。これを曖昧にしたまま、政治家が感情に任せて発言するから、ふたたび「反日宣伝の罠」にはまるのです。

●道徳論
では、道徳論として見たとき、弁護できる部分と正すべき部分はどこでしょう?

社会という人間集団は、自分達らしさを保ちながら進化します。これに合わせて、社会の価値観や道徳も変化します。逆行は時代錯誤となります。

社会の価値観・道徳観は、当時と現代では大きく違います。当時の日本社会は、貞操観念が強く、自由恋愛を不道徳としており、また、多くの人々が困窮していました。そこでは、社会の安定上、公娼は必要な役割を果たしており、合法でした。しかし、現代の日本社会は、当時ほど困窮しておらず、売春は違法で非人道的とされ、自由恋愛は不道徳ではなく、条件さえ整えばむしろ好ましいものとされています。

過去の行為の善悪は、一旦は、過去の価値観・道徳観で、考えるべきです。そうしないとその人の心の優しさも酷さも推察できません。ただし、その価値観・道徳観をそのまま現代に持ち込むのは、誤りです。社会の進化と逆行するからです。時代が変わっても保つ部分、状況に合わせて変えていく部分とがあって、集団としての魂・価値観・道徳観は全体として進化します。そうでなければ、根なし草のように漂うか、あるいは衰退するだけです。

「勝てば官軍、負ければ賊軍。」という言葉があります。古くから日本の歴史で繰り返されてきた事です。約150年前の明治維新でも繰り返され、敗軍は、公正な評価が受けられませんでした。ようやく最近になって、賊軍とされた会津藩も見直され、大河ドラマにも取りあげられるようになりました。日本は、大東亜戦争の敗戦により、東京裁判で同様な目に会いました。まだ敗戦から約70年の現在、国際的な再評価には至っておりません。

また、敗者を更に叩くことで、自分は勝者側なのだと、優越感を誇示する者もいます。事実を捻じ曲げてまで、際限なく叩きづけます。日本国内にもこのような輩がいます。隣国では、政権基盤が怪しくなってくると、これを行い、自分達の正当性を印象付けようとします。

こんな仕打ちを受けても、一々むきになって頭に血を上らせたり、オロオロしては、相手の思う壺です。感情に任せ、不適切な反論をして、上げ足を取られるようでもいけません。冷静に論点を押さえ、落ち着いた態度と、底力を見せながら、論理的に簡潔に考えを表明すれば良いのです。

●日本の軸
過去の価値観・道徳観をそのまま現代で振り回す政治家は、あまりにも稚拙です。現代にも過去にも通用する価値観・道徳観を、自分達の軸とすべきです。それは、日本特有の価値観「思いやり」だと、私は思います。

国家による犯罪ではありませんでしたが、犯罪取り締まりという基本を徹底できなかった面は恐らくあると思います。国民や占領地の人々に対する思いやりが、もっとあれば、基本を徹底できたのではないでしょうか。そう言えば、世間も納得でき、国際的にも筋が通るのではないでしょうか。

そもそも、満州事変や支那事変が起ころうとする頃、さらに遡り韓国を併合しようとする頃、自国民を含めて、東アジア全体の人々に対し、思いやりをもっと持つことで、国家としての対応が、全く違ったものになっていたはずです。その後の歴史も変わっていたと推察します。

アジアのほとんどの国々が欧米列強の植民地にされていく中で、日本は、明治維新を経て、独立を維持しながら近代化を果たし、日露戦争に辛くも勝ちました。アジアの頼もしい同胞のように思い、植民地解放のリーダーとして期待した人々も多かったはずです。その日本が、植民地獲得政策に転換した事を「裏切り」と思い、激しい怒りを感じた人々もいたでしょう。

欧米には、初めから期待はしていないから、植民地化されても怒りは抑えられたのでしょう。日本には、内心期待していただけに、反感が強まった面もあると推察します。単に、日本より自国の方が優れていると思っていたのが、日本に先を越されたという、妬みだけだと言う人もいますが、それだけではないと思います。

表立っては表明しない本音と、体面を保つために表明する建て前的な言葉。二つの間に、ギャップがあるのが、国際関係においても普通でしょう。自分の意思を表明する際、話の切り出し方やこちらの姿勢によって、相手の受止め方や理解が大きく左右されます。例えば、論理的には同じ事でも、素直な言い方と逆説的な言い方、どちらが効果的なのか、大きく変わるようなものです。相手次第でも違いますね。

相手の本音を察知していれば、自分の意思表明に対する相手の受止め方や反応を予測することが出来ます。これにより効果的なアプローチができます。常日頃から相手を良く観察し、言動のパターンや生い立ちを把握していると、相手に思いを巡らせた時に、相手の本音が推察できます。これが「思いやり」には必要です。単なる優しさや独りよがりの一方的な善意(独善)とは違うモノです。

どんなに情報を集めて来ても、その情報を活かすには、このような思いやりを持っていないと、宝の持ち腐れです。独善的な為政者の所へ集まる情報は、恐怖政治にしか利用できません。思いやりのある為政者の所へ集まる情報は、少ない情報量でも、信頼される政治の為の参考にできるでしょう。

当時は、弱肉強食の帝国主義の時代でした。この中で、日本だけが、思いやりを国是として掲げるのは、かなり難しかったと思います。でも、敢えて、今も昔も通用する価値観で、当時を反省するとしたら、その難しい事に取り組むべきだったと思います。(弱肉強食のTPPに揺れる今の時代状況とも重なる部分が多いように感じます。)

だからこそ、世界の恒久平和を願う日本国憲法には、対外的な国際関係においても、「思いやり」を国の理想として明記すべきであると思います。そうすれば、次第にアジアのリーダーとして、慕われる存在になっていくのではないでしょうか。


【河野談話が残した禍根】                     ・・・・・・(2013年8月5日追記)

当時、官僚機構トップの官房副長官、石原信雄氏のインタビュー記事が、昨日の新潟日報4面に掲載されていました。『軍慰安所従業婦』、いわゆる『従軍慰安婦』を巡る問題です。(平成25年8月4日は、「河野談話」発表から20年。)

記事にはこう書かれています。
「強制性を直接裏付ける資料は見つからなかった。」にもかかわらず、強制性を認めた理由は。「最終的に宮沢喜一首相や河野官房長官の判断(中略)彼女たちからすれば、明らかに意に反する形で慰安婦にされた人がいるということ。未来志向の日韓関係を築くため、韓国側も納得する形で決着させたいとの気持ちもあった。(中略)国民の協力をいただき、善意の見舞金を差し上げようとした。首相のおわびの手紙も届けた。フィリピンやオランダなどでは役割を果たしたが、いちばん念頭にあった韓国では受け取り拒否があり、不完全な形で終わった。非常に残念だ。(以下略)」(鍵カッコ内は、石原氏の発言です)

なし崩し的に決着できるだろうと高をくくって、安易に妥協し、見通しを誤ってしまったのです。政治は結果責任を問われるのに、二人の政治家は、自分達の失敗に口をつぐんでいます。この失敗の原因は、韓国側の本音や底意の読み違えです。二人とも、相手の本音や底意を読み取る能力には疎かったのでしょうね。多分、「思いやり」にも疎いでしょう

「思いやり」は、単に良かれと思うことをして、優しくすれば良いと言うモノではありません。性格も価値観も異なる相手であっても、本音や底意を察知する。その上で、先々の関係改善につながる、将来への布石となる配慮をするのが本当の思いやりです。

韓国側は、日本側の妥協を逆手にとり、要求をエスカレートさせてきました。どんなに非を認めたとしても、譲るべきでない一線までなし崩しにしてしまったら、かえって、将来に禍根を残してしまいます。河野談話は、まさに、そんな例の一つです。その点、ドイツは上手ですね。ナチスの犯罪と国家責任や企業責任をある一線で分け、その線を死守しています。
参考:「ドイツによるナチス・ドイツを原因とする賠償

理屈抜きに、こちらが譲れば相手も譲り、心がつながって関係改善するのは、日本国内では通用するでしょう。(私は、良いことだと思います。)でも、外国には、ほとんど通用しないということですね。相手国が民主主義を建て前にしているなら、相手国の国民感情の傾向を読取り、その対策も慎重に見定める必要もあります。「思いやり」という言葉は、奥が深いのです。

ユーチューブに掲載された解説
http://youtu.be/stMZ4TVmvRE 出演:田原総一朗、池田信夫、ケビン・メア、片山さつき


【人道は憲法典に優先する】                ・・・・・・・(2015年7月29日追記)

憲法や法律の条文は、神が与えたものではなく、人間が考えた不完全なもの。
だから、健全に機能するには、時代に合わせ変える必要もあります。
薬や生鮮品みたいなモノですから、世の中が変われば消費期限もきますし、鮮度も重要。
時代が変われば、利点だった事が欠点になり、腐臭漂う事態にもなりかねません。

ところが、憲法は、容易には改正できない、硬性憲法と呼ばれる仕組みになっています。
国民が主権者として定め、為政者に守らせるのが建前であり、
為政者の都合で、国の根幹が簡単に変わるのは困るという理由です。

法律の建前は、国民を規制したり、行政の権限を明らかにするものですが、
憲法の建前は、国民の権利を保障する為に、行政・立法・司法の三権に枠をはめるものです。
為政者に憲法を守らせる為に、国民の側が憲法を作るという建前ですが、
現実問題として、全国民の手で作ることは、不可能に近いです。

現実には、幾つかの政治勢力が、妥協を重ねて何とか合意できる最小限の範囲を決め、
それを後々まで、簡単には変えられないようにするのが、憲法です。
この妥協の過程で、国としてのまとまりを保てるか否かという根本問題にぶつかるから、
国としての伝統や道義的慣行などにも立ち帰って議論する事になり、
結果として、自国民が長年に渡り実践して成功し、定着しつつある事については、
伝統が尊重された憲法となり、大方の賛同が得られる訳です。
あるいは、多くの国民が理想とする国々に学ぶことも賛同を得るでしょう。

妥協の産物なので、未来の理想を憲法に書込むというのは困難です。
一勢力が、独裁的に押し切るなら、自己の理想を憲法の根幹に据えるのも可能でしょうが、
複数の政治勢力の妥協となると、大抵の国民が当然と思う事しか書けないはずです。
未来の理想に基づき、その枠組を憲法に採用するのは、大変危険です。
この点で失敗したのが共産主義国家であり、無理な空理空論を求めたという事です。
結局、憲法は、後追いの産物であり、夢想的なことを書くのは危険ですらあります。

日本では、現行憲法も旧憲法も、硬性憲法ですから、
賞味期限切れになっていても、改正が間に合わない事態も予想されます。
でも、憲法は国の最高規定であり、これに反する法律は無効だと、教わってきました。

私も以前はこんな風に考えていました。
『憲法の条文は厳格に守るべきであり、
現実の環境変化に適応して法律を改正する際、憲法に違反するようなら、
憲法改正を先行すべきである。』と。

しかし、この方法で憲法を運用するのは限界があります。
硬性憲法を守りながらでは、現実の環境変化に追いついていけない事態も起こり得ます。
今までも、朝鮮戦争などの事態に対応し、憲法条文の厳格な運用は破られてきました。
現実の事態に即し、国民保護の立場から、政府が憲法の条文を解釈し直してきました。
今また、明日にも中共の経済が崩壊し、いつ軍が暴走してもおかしくない事態です。
かと言って、時の政権が、勝手に解釈して良いというものでもありません。
解釈の幅には、限度があります。

その限度を考える上で、重要になるのが、憲法の条文より優先するものがあり、
これに沿って憲法を解釈するという考え方です。

憲法学業界の権威である長谷部恭男氏でさえ、次のように語っています。
『(憲法の条文の中でも、)国によって異なる理念や制度は、普遍的な近代立憲主義の理念と両立しうる範囲内に止まっている必要がある。特定の人生観や宇宙観を押しつけることは、憲法に基づいても、認められないことになる。』
と言って、憲法典が最上のものではないことを認めています。
参考⇒ https://youtu.be/njlmIhQ-dFE (10分35秒〜)

憲法の条文より上位にある観念を想定する必要があります。
これは、明確な文章になっていないものがほとんどでしょう。つまり、不文律です。
一方で、憲法の条文で使っている用語をどう解釈するかという問題などもあり、
国際的な議論の積み重ねや国際法、諸条約、国連憲章などの国際基準も参照すべきです。
憲法は、条文になっている憲法典と、不文律や国際基準と合わせて機能します。
つまり、「憲法=憲法典+不文律+国際基準」ということになります。

これを前提としない限り、憲法典は上手く運用できないまま、機能停止に陥ります。
明治22年1889年に公布された大日本帝国憲法は、56年間一度も改正されず、
昭和20年1945年の敗戦を迎えました。
大日本帝国憲法が理想としていた、君主制の下での立憲政治、憲政の常道は、
昭和7年の5.15事件、昭和11年の2.26事件の辺りで頓挫してしまいました。

特殊で一時的な事態に対処するための対策として、
広く深く検討する事もなく、軍部大臣現役武官制を復活してしまいました。
参考⇒ ウィキペディア
内閣が軍人に牛耳られるという縛りが復活しました。
軍人の権限については、強める事は容易でも、弱めることは大変だったようです。
旧憲法に書かれいた「天皇の統帥権」の問題がずっと尾を引いていたからでしょう。
参考⇒ ウィキペディア
後の時代から見ると大変な禍根になりました。

一旦、中共の軍が暴走を始めたら、現行憲法の従来の解釈では、国民を守れません。
昭和21年1946年に公布された日本国憲法にも、機能停止が近づいています。

憲法典の上にあり、憲法典の解釈を助けてくれる不文律の最たるものが、
「人道」や「道義」、「判例」、「条理」などです。
だから、「人道は憲法典に優先する」のです。


【憲法前文の改正試案の修正】                ・・・・・・・(2015年7月29日追記)

人道は、不変で普遍的なようでも、国や地域の文化により、バラツキがあり、
大変抽象的で曖昧模糊としています。
だから、法律では、大部分の全国民が認める人道には反しないよう考慮されています。
憲法典においても、為政者を縛る為の人道的配慮は、出来るだけ明文化すべきです。
これを前提として、憲法前文の改正案も冒頭のように修正しました。

参考(修正前の改正試案 @ - - - 2012年10月30日記載)
様々な違いを超えて、相手を知ろうと努め、思いやることは、人類誕生以来の古い道徳である。日本は、この思いやりが、理想の一つとして今も息づいている麗しい国である。日本列島は、豊かな自然環境に恵まれている反面、自然災害も多く、思いやり助け合うことが、生き残りのために欠かすことができなかった。
数万年の間、様々な人種が海を渡り日本列島に移住し、複数の文化圏を形成しつつ、影響し合い、洗練され、固有の文化が醸成された。(旧石器時代に、既に特有の文化が形成されていた痕跡も残っている。これらの根幹をなすのは、和解の心根、進取の精神、沈着冷静、三つのバランスである。)(カッコ内は、省略しても支障ありません。・・・'13年3月20日追記、'14年12月31日カッコ範囲修正)
国際社会には、多様な民族、思想、文化、風土、伝統が混交している。日本の歴史上、自らを知り、他国や他民族をも深く知り、思いやろうとする努力がなおざりになった時、為政者も国民も、対外的な対応を誤った。
日本国民は、日本の風土・文化・伝統・独立を尊ぶと共に、他国や他民族の人々が同様に自国や自民族を尊ぶ思いをも尊重し、国際社会の恒久平和と発展に寄与することも願いつつ、ここに主権が国民に存することを宣言し、全国民にとって暮らし易い社会を築くため、諸法律の根本であるこの憲法を制定する。

参考(修正前の改正試案 A - - - 2015年7月29日記載)
日本列島には、過去数万年に渡り様々な種族が徐々に渡来し、影響し合いながら洗練された豊かな固有文化が醸成されてきた。豊かな自然環境にも恵まれている反面、自然災害も多く、思いやり助け合うことが、生き残りのために欠かすことができなかった。
日本には、この思いやりが、理想の一つとして今も息づいているものの、自らを知り、他国や他民族との背景の違いまで知った上で思いやらず、対外的な対応を誤った苦い経験もある。
日本国民は、自国の風土・文化・伝統・独立を尊ぶと共に、他国の人々が同様に自国を尊ぶ思いをも尊重し、国際社会の恒久平和と発展に寄与することも願いつつ、ここに主権が国民に存することを宣言し、暮らし易い社会を築くことを求め、この憲法を制定する。


【集団的自衛権は違憲か?】             ・・・・・・・(2015年7月29日〜8月4日追記)

私の結論:予め味方を増やし、総合力で相手を圧倒する「集団的自衛権」は、
       相手からの攻撃を抑止する、最も有効な手段の一つ。⇒【戦争抑止力
       自衛権は「集団的自衛権」も含め、自然権として保有している。
       しかし、憲法第76条第2項により軍法会議を持てなかった為、
       ネガティブリストで兵士を縛る法整備が間に合わないので、
       当面は極度に限定した運用しかできない。

参考:【人道は憲法典に優先する】 「憲法」=「憲法典+不文律+国際基準」

参考:憲法と安保法制、日本記者クラブにおける講演
@2015.6.15小林節氏、長谷部恭男氏 https://youtu.be/PtXwyXTW12s
A2015.6.19西修氏、百地章氏 https://youtu.be/O4CICeSwDIc

参考:倉山満氏・和田正宗氏対談2015.7.17  https://youtu.be/YpGHf6JFpuw
(10分30秒〜)集団的自衛権は自然権。昭和24年にも政府は認めていたが、昭和47年時点では国際情勢を見て必要性が低いと政策判断した。これを国際情勢の変化で元に戻したに過ぎない。

現在の自衛隊は、装備は軍隊並みでも、行動制限は警察の延長です。
いわば、高度な武装警察であり、軍法(軍刑法)も軍法会議も不要です。
憲法第76条第2項の規定により、軍法会議を持たせてもらえません。
だから、憲法第9条第2項の表現にも配慮し、軍隊ではない形で発足しました。
参考(ウィキペディア)⇒ 陸軍刑法、 海軍刑法

なぜ高度な武装警察では不十分なのかと言えば、
自衛隊員の職務行動も、隊としての作戦も、ポジティブリストに基づくものです。
「行うとされる行動」が主眼に規定されています。
許された行動かどうか、ポジティブリストと照合する煩雑な判断が事前に必要です。
これだけはやってはいけないという単純なネガティブリストの判断の方が、
素早く、臨機応変な戦い方ができるのですが、そうなってはいません。
詳しくは⇒ http://ameblo.jp/bj24649/entry-11989447611.html

仮りに個別的自衛権の範囲で敵と戦うとしても、ポジティブリストでは、非常に不利です。
同じ装備や戦力でも、ネガティブリストで戦えた方が、強い抑止力になります。
戦勝国側の極東軍事委員会は、日本の弱体化を先々まで考えていたのでしょう。
憲法第76条第2項の規定には、そんな意図もありそうです。
抑止力を高めるには、早急に改める必要があります。

現在は、ポジティブリストでしか戦えませんから、軍法(軍刑法)も軍法会議も不要です。
隊員の行動で問題が起きても、内部処分と普通の裁判手続きなどで充分対処できます。
しかし、ネガティブレストで戦う事を許されたとき、これだけでは不充分です。
隊員の行動で問題が起きたとき、問題の要因も責任の所在も格段に複雑化します。
問題が起きたら、どんな時でも現場や関係者などをも充分に調べ、
これを公明正大に裁く仕組みが必要になります。
これが、軍法や軍法会議に相当する軍法の裁きです。

ネガティブリストで戦える体制にするには、軍法の裁きが必要です。
個別的自衛権の範囲であろうとも、自衛の為の軍隊として強化するには必須です。
集団的自衛権についても、効果的に運用するには、軍法の裁きは必須です。
自衛隊員は、問題が起きたときも、軍法に基づく公正な裁きを受ける事ができます。

軍法違反を監視し、厳正に裁く仕組みを持たないと、
他国から見たとき、何をするか分からない、暴力集団やテロリストと同様にみなされ、
捕まっても軍人に与えられる捕虜としての正当な処遇を受けられない恐れがあります。
軍人として認められたとしても、戦争犯罪を疑われた時の反論が即答できません。

たとえば、自衛隊に不埒者が紛れ込み、けしからん事件を起こしたら、
自衛隊は、ナラズ者集団だというデマが流れても、説得力ある反論ができません。
公明正大な手続きで、不埒者を摘み出し処罰する仕組み、即ち軍法の裁きが必要です。
自衛隊員のモラルの高さも、作戦の立案や遂行の能力も、世界有数ですが、
モラルが高くはない外国軍隊を見慣れた人達には、軍法の裁きが一番説得力を持ちます。

現状では、海外に出て戦う事態は、極力避けるしかありません。
海外に出るとしても、ポジティブリストで縛られた戦闘は、迅速に動けません。
他国の軍隊に守ってもらうことはあっても、他国の軍隊を守れはしないでしょう。
普通の国の軍隊にとっては、足手まといになり、共同作戦は無理。
米軍くらいに強力な軍隊なら、自衛隊に一部分の任務を与えることはできるでしょう。

戦闘に及ぶ恐れが強い場所での活動は避けるべきで、
戦闘が止んだ場所での警察活動や補給活動などに限定すべきです。
だから、集団的自衛権は持っていても、実際に使えるのは、ほんの一部しか無いのです。

今の自衛隊では、集団的自衛権といっても、相手にしてくれるのは米軍だけ。
でも、米軍のアジア展開部隊が弱体化しても、何とかなるように、
本当は、東南アジア諸国との間で、集団的自衛権が成り立つようにする必要があります。
それには、ネガティブリストで動ける自衛隊に、変身しなければなりません。

抜本的な法改正をせずに可能な集団的自衛権とは、個別的自衛権に毛が生えた程度です。
ポジティブリストでも、足手まといにならず活動できる範囲内に止まるからです。
主な項目としては、次の4つ位でしょう。(@は、個別的自衛権の範囲です)

@個別的自衛行使の作戦に参戦協力中の同盟軍への攻撃に対する反撃や同盟軍への補給。
A自衛権行使の為に、同盟軍と連携して実施する共同作戦。(この場合、中核は米軍)
B同盟国民の避難協力や同盟軍への補給。但し、戦闘中の区域を除く。
C同盟国圏内へ向け攻撃準備中のミサイルなど攻撃装置に対する迎撃や先制攻撃の補佐。
本来の集団的自衛権は、同盟軍と効果的に共同作戦を行えますが、現状では困難です。
他の同盟軍の足手まといになる事は避けなければならないからです。

  

【憲法第9条改正案】      - - - - - - - - - - - -(2018年1月13日再追記)

憲法改正が現実味を帯び始め、2017年秋に私はそれ迄の考えを見直し、2つの案を提案しましたが、その年の暮れに改めて考え直す機会を得て、新たな提案をいたします。

考え直す機会になったのは、2017年12月20日のラジオ番組です。
この日に開かれた自由民主党の憲法改正推進本部の全体会合で、提示された中間取り纏めに対し、青山繁晴氏がその場で新提案をされたとの内容でした。以下、これを「青山案」と表現します。
 参考⇒ ラジオ番組での青山氏の説明 https://youtu.be/0uLL3e0O154?t=3m57s
 青山案⇒ 第9条第3項として『本9条は、自衛権の発動を妨げない。』を追記。

青山氏の思いを尊重するとしても、もう一歩だけ先に進む必要を感じました。
そこで、言葉を補った私案<改正案B>を考えました。
<改正案@>保守系政党の改憲案を修正する形の私案(2017年9月27日)
<改正案A>現行条項に、第3項を付け加え@に近づける私案(2017年9月27日)
<改正案B>第9条第3項として、次の文言を追記する私案(2018年1月13日)
        『前二項は、必要かつ充分な自衛権の発動を妨げるものではない。』
           (「前二項」とは、第1項と第2項の二つの項)

以上の三つの案の中で、最も現実的なものとして、改正案Bを推奨します。

1 改憲に立ち塞がる壁 

憲法改正に前向きな国会議員が多くなっており、衆参両院の三分の2以上の賛成が得られる可能性は高まっています。しかし、最終決定は国民投票にかかっています。各種世論調査を眺めていると、国民投票で否決されかねません。過半数の国民の支持を得るには、現状では、かなりの努力が必要になりそうです。

最近の選挙結果を見ていて分かることは、世論の行方、有権者の投票行動が、テレビのワイドショー番組の論調で大きく左右されているという実態です。マスコミの大半は左寄りであり、彼らは、国民投票での否決に全力をあげてくるでしょう。

本来であれば、憲法に盛り込む方が望ましいと思える事項は、多々あります。
自衛の為の戦力の保持、集団的自衛権、文民統制や最高指揮権に関する事項、意思決定において扇動や情報工作の影響を最小限に食い止める為の仕組み、国民国家としての意思確認、盛り込みたい事項は少なくありません。

これらを国民に訴えて、どれだけの人達が冷静に判断できるでしょうか?
国民各層の安全保障の認識は、まだまだ不充分です。認識の改善には時間が足りません。そして、現状を考慮すると、こうした事項を取り上げるのは、左寄りマスコミの格好の餌食になり、世論を混乱させて収拾がつかなくなる危険性が高いでしょう。

青山氏の考えは解りませんが、テレビ、新聞、雑誌などのメディアを使った広報活動だけでは、この難局は突破できません。更に別角度からの啓蒙活動も必要になるでしょう。しかし、今の安全保障環境の下では充分な時間は残されていないと、私は考えます。

2 青山案をもう一歩進めるべきと考える理由 

青山案を文面通りに解釈すれば、実態としては現状を踏み出していません。
政府は、自衛権は現状でも憲法上認められていると解釈しており、自衛権の行使を、『わが国を防衛するため必要最小限度の実力を行使すること』と表現しています。
 参考⇒ 防衛省ホームページ『憲法と自衛権』…『(4)交戦権』
      http://www.mod.go.jp/j/approach/agenda/seisaku/kihon02.html

つまり、警察権の延長のように、ポジティブリストによって抑制された『実力行使』を自衛権の行使と定義しています。必要最小限の自衛権は既に行使できますから、自衛権の発動は現状でも妨げられていないのです。現状を追認するだけに止まります。

青山案について説明しているラジオ番組やネット番組のUチューブのコメント欄では、現状を追認するに止まることを理解した視聴者は少ないです。国際標準の軍隊を持てるかのように喜ぶコメントもあります。軍隊アレルギーの国民がまだまだ多い現状を考慮すると、この青山案ですら、多くの国民が誤解に基づいて反対しかねません。左巻きマスコミが国民世論をミスリードする危険性もあります。

 参考⇒ https://youtu.be/0uLL3e0O154
       https://youtu.be/68NlSIUyJBM
       https://youtu.be/RUI3SWRc2UY
       https://youtu.be/dnkkJfeefo4
      https://youtu.be/Oz_oaXK8_0M

青山案のような現状追認の改正案が否決されたら、大混乱です。
国民投票の見通しは楽観できません。万一否決されたら、自衛隊の現状まで否定されることになりかねません。改正案と言うからには、現状から一歩でも半歩でも踏み出した解釈が出来るようにしておくべきです。

現状から少しでも前進し、国際標準に近い自衛権と解釈できる余地を、予め確保しておきたいと考えました。その為には言葉が足りません。言葉を少し補い、『必要かつ充分な自衛権』としてみました。

『必要』を入れることで、敵方と互角に渡り合うだけの戦力を持ち、
『充分な』を入れることで、敵方に劣るような運用制限は加えないと解釈できます。
逆に言えば、不必要な戦力の保持を防ぎ、また、不充分な戦力に甘んじなくて済みます。

日本が置かれている安全保障環境次第で柔軟に解釈できます。
周辺に侵略意図を持った国があれば、国際標準の「ネガティブリストで実力行使する」道も開かれますし、個別的自衛権で不足する状況なら集団的自衛権を認める道も開かれます。

3 二段構えの改正手順 

今回の改正では、欲張らず、現状から少しだけ進めた条文とし、
懸念のある事項については、何年後かに条項を追加していくこととします。

第一段の憲法改正が実現したら、先ずは、自衛隊法の抜本的改正を行い、運用実績をつくります。その後、国民に運用実績を見てもらいながら、安全保障についての正しい認識を広めた上で、更に憲法に盛り込むべき事項について冷静な議論を積重ねていきます。まとまった段階で、第4項、第5項と言う具合に追加していけば、理想的な条文に近づけていく事ができるはずです。

4 広報活動と啓蒙活動について 

単純明快な条文にしたとしても、改正は容易ではないでしょう。
「1改憲に立ち塞がる壁」で述べましたように、国民の認識はまだ全然不足しており、左寄りマスコミの一方的な情報で揺さぶられると、アッと言う間に不安になってしまうでしょう。

改憲を発議した政党が中心になり、種々の広報活動を展開されることでしょうが、パンフレットや質疑応答集などの印刷物やインターネット、講演会等、一方通行的な広報活動だけでは、過半数の有権者から理解と賛同を得るのは難しいと思います。

何となく反対している人は、どこかで思い違いをしているものです。
確実に過半数を確保するには、こうした「何となく反対」という人達からも理解と賛同を得る必要があると思います。予想外の所でこんがらがっている場合も少なく無いでしょう。そうした一人ひとりの疑問に、丁寧に答えながら、解きほぐしていく必要があります。

辛抱強く話し合いながら、疑問を引き出し、答えていかねばなりません。
こうした体制を整えるには、膨大な人材が必要になるはずです。改憲を発議した政党の政治家や有能な党員だけでは不足するでしょう。広報活動には、改憲賛成派の国民もボランティアで参加する必要があると思います。日本史上、初めての取り組みになるかもしれませんね。


       - - - - - - - -- - (以下、2015年7月29日追記、2017年9月27日修正)
<改正案@>
現行憲法第9条を全面的に改正
第9条 日本国は、国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使については、自衛及び集団的自衛の場合を除き、永久にこれを放棄する。
2 日本国は、その主権と独立を守り、国際的な平和活動に協力するため、軍を保持する。
3 軍の最高指揮権は、内閣総理大臣に属する。軍に対しては、政治統制の原則が確保されなければならない。
4 軍を他国の領土や領海、領空(*1)に派兵するとき、並びに、防戦を越えて開戦(*2)するときは、参議院の事前承認を必要とする。ただし、防戦における武力行使や(*3)相手国の事前承認がある派兵については、この限りではない。
5 軍の組織及び統制に関する事項は、法律でこれを定める。
    - - - -(上記「*1」印の下線部の言葉を「領域」から変更。2017年10月3日)
    - -(「*2」印の下線部の言葉を「武力を行使」から変更。2017年10月19日)
    - -(「*2」部分の変更に伴い「*3」印の線引部を削除。2017年10月19日)


主旨:
 前述の問題点を解消する為の全面改正です。第4項以外は「日本のこころを大切にする党」が発表した憲法草案を大部分引用しています。第4項を入れたのは、大東亜戦争を教訓として無節操な戦線拡大を防止するためであり、法哲学者井上達夫氏の言説も参考にしています。
 参考:井上達夫氏言説⇒ https://youtu.be/1X34EQIssAM?t=6m42s
 大東亜戦争の教訓⇒ 【大東亜戦争での最大の誤り】

 また、外国との紛争が生じて自衛隊を動かすとき、どのように制御するかと言う、『シビリアンコントロール』の定めが、現行の法体系の中では、充分ではないと言う指摘もあります。
 参考:三浦瑠璃氏言説⇒ https://youtu.be/tbZRv59HccI?t=28m22s
                 - - - - - - -(この段落、2017年10月19日追記)

 第4項に「国会の事前承認」ではなく、「参議院の事前承認」とした理由は、衆議院には解散という空白期間があることと、議員の身分が不安定で落ち着いて国防について勉強している環境ではなく、軽薄なマスコミ論調や感情論的な国民世論に煽られてしまう議員が多いという事情を考慮したためです。衆参両院にしなかったのは、あまりにも時間がかかり過ぎて、時機を逃してしまう心配が高いからです。

 開戦を感情に煽られて決定することがあってはなりません。沈着冷静に、多角的な観点から意見を集め、論理矛盾をできるだけ減らし総合的に判断しなければなりません。どうも、日本人はこうした判断は一般的に苦手なようです。国会議員も同様です。参議院の方がやや良好のように思います。

 大東亜戦争での最大の誤りは、こうした冷静な判断を経ないまま、支那事変を拡大させてしまったことです。実質的な戦争を事変と言い換えて誤魔化し、延々と引きずったことは、深く反省すべきです。このような誤魔化しを許さないよう、「戦争」という言葉の定義についても、法律で定める必要があります。(以上2段落、2017年10月19日追記)

 「防戦」、「開戦」などの用語は一般的に通じる意味で用いるものとし、厳密な定義は、法律で定めます。開戦決定後の武力行使には、防戦を越えた相手国への攻撃も含まれます。必然的に、開戦決定前であけば防戦までしか憲法上認められない事になります。なお、防戦には、我が方の領域を侵すものに対する攻撃や、我が方を攻撃してくる敵に対する反撃と直前攻撃を含むものとします。(この段落は2017年10月19日修正)

<改正案A>
現行憲法第9条に次の第3項を加える。
3 自衛権及び集団的自衛権の行使については、第1項の目的に反しないものとしてこれを認め、前項で否定する(*戦力や)交戦権には該当しないものとする。この権利を行使する為に自衛隊をおき、内閣総理大臣が最高指揮権を持つ。なお、自衛隊を他国の領土や領海、領空(*1)に派遣するするとき、並びに、防戦を越えて開戦するとき(*2)は、参議院の事前承認を必要とする。ただし、相手国の事前承認がある派遣については、この限りではない。
    - - - - - - (「*」印部分2017年10月2日挿入)
    - - - -(上記「*1」印の下線部の言葉を「領域」から変更。2017年10月3日)
    - - - -(上記「*2」印の下線部の言葉を追記。2017年10月19日)

主旨:
 現在の運用実態は、憲法典の上には表現されていません。自衛隊の存在は憲法違反であると言う憲法学者が過半数を超えていると言う、情けない調査もあると聞きます。なので、単に、運用実態を憲法の条文に明記するだけの改憲だけを行おうとする動きもあります。この場合の条文の例をAとして考えてみました。
 参考:潮匡人氏言説⇒ https://youtu.be/qGdJdrKWcPs?t=1h32m06s

 なお、「*」印部分を挿入すれば、自衛隊は強力な警察的組織という位置づけから、自衛のための軍隊としての位置づけに変わり、改正案@に近づけることも可能です。(2017年10月2日追記)

<現行規定>
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

(課題)
 現状の運用実態としては、自衛隊を戦力ではないとみなし、重装備の警察や国境警備隊のようなものとしています。憲法典より上にある概念や国際法、自然権の解釈などで補強し、運用しています。しかし、これは日本国内だけでしか通用しません。国外に出れば、自衛隊は軍として扱われます。(2017年10月23日、「重武装の警察」を下線部の言葉に修正)

 軍人は、国外に出れば他国の法律には縛られず、自国の軍法に縛られ、犯罪や軍事犯罪を犯せば自国の軍法会議で裁かれますます。それなのに、日本には軍法も軍法会議もありません。自衛隊法は行政法規のようなものであり、隊員の犯罪については日本国内の刑法に基づき、日本の裁判所で裁かれます。命令違反には行政処分が下されます。国外では日本の刑法は適用されませんから、他国ではあたかも無法者集団のように扱われかねません。国際的にみても最高の規律を保っている自衛隊であるにもかかわらずです。

 自衛隊が警察権を延長した法体系しか持たないのは、過去を清算していない名残りです。大東亜戦争が泥沼になった根本原因を曖昧にしていた為に抱く、漠然とした不安感が、自衛隊に対する過剰な拒否感になっています。過去を清算していないツケが尾を引いています。過去の失敗の原因を究明して再発防止を考えていないから、漠然とした不安が高まるのです。

 自衛隊は、朝鮮戦争時の国内の警察力強化として警察予備隊を設置したことに始まります。警察予備隊とその後継機関である保安隊の任務は治安の維持でした。これしか行ってはならないと言う警察流「ポジティブリスト」によって始まった法体系です。1954年の自衛隊発足時に、軍隊に近づくネガティブリストに変えなかったのは、当時の世論にはまだ軍隊に対する拒否感が残り、政治的妥協により諦めたのでしょう。それが、ズルズルと現在まで残ってきた訳です。

  なお、現行憲法で言う『国際紛争を解決する手段としての、戦争、武力による威嚇、武力行使』について考えてみます。領土領海領空や権益など国家間での支配権が平和裏に確定している状態を基準にします。これが不安定化するのは、支配権に曖昧な部分があるか、あるいは、支配権を一方的に拡大したり、双方で拡大しようようとするからです。

 一方から要求を突きつけ他方が拒絶しているだけでは国際紛争とは呼びません。要求を拒絶するだけでなく反対の要求を出している状態、あるいは双方から相容れない要求を突きつけ合っている状態が、国際紛争です。

 この解消には、幾つも方法があります。このうち、相手より先に武力を繰り出してけりを付けることを放棄しているのが現行憲法です。相手が先に繰り出した武力に均衡するよう、自分も武装して構えるのは、『武力による威嚇』には当りません。

<以上の振返りと追加説明>
 現行法体系下で戦闘が起きたら、手足を縛られて戦うようなものであり、圧倒的に不利です。これだけは行ってはならないと言う「ネガティブリスト」の法体系に改正できれば、我が国を狙う敵の動きに対し、自衛隊も、臨機応変に動けるようになります。
 漠然とした不安感や過剰な拒否感をぬぐえば、「ネガティブリスト」の軍隊にできます。上記の改正案@のように明文化すれば、可能になるでしょう。

 なぜ、初めから改正案@のように明文化しなかったかといえば、憲法典の制定は、軍事占領下でGHQの草案に基づき行われたものであり、更に、他の戦勝国の横やりがひどかったからです。
 戦勝国にかろうじて認められるよう、草案を修正し、何とか滑り込ませたのが、芦田修正と呼ばれる『前項の目的を達するため、』という部分でした。
参考⇒ https://youtu.be/O4CICeSwDIc (西修氏と百地章氏の説明、特に7分〜12分)

 日本としては、最初から、上記改正案@のようにすれば良かったのに、武力で脅されている占領下では、ストレートな表現にできなかった訳です。占領終了後も、占領軍のお先棒を担いで得をした国内左派勢力が幅を利かせ続けた為、修正できないまま現在に至っている訳です。

 今なら、ストレートな表現に修正しても、何も問題は無いはずです。更に、国力に見合う国際平和への貢献を考えれば、改正案Aよりも@の方が相応しいです。

 現行憲法第9条第2項を削除し、第1項だけにしても、侵略戦争は起こせず、今の日本の国民世論からしても、侵略戦争などとうてい起こせないのに、憲法改正を議論しようとすると、おっかなびっくりで、1ミリも進まなくなってしまうのは、大東亜戦争へ向かった本当の原因を隠され、捏造された原因に振り回されているからです。

 大東亜戦争へ向かった本当の原因は、時系列で並べれば次の3つであると推察します。
1.権益目当てに巨額の海外直接投資を行い、武力で保全するのが世界の趨勢だったが、日本もこの趨勢に乗り遅れまいと、南満州鉄道の経営に乗り出し、派兵した。

2.満州に傀儡政権を樹立した事に対しては、国際連盟の仲介により紛争を収拾できたのに、譲歩を拒絶し、武力を背景にして欲を張り、我を貫いた。

3.盧溝橋事件、通州事件、第2次上海事変など、中共軍を中心とした度重なる挑発に乗り、 日本軍の前線は行動を激化させ、近衛首相までが事態の収拾に逆行する指示を重ねた。

 こうした『我欲的な国益と我流で一方的な正義感』で世論を煽ったのは、当時のマスコミです。政治家の大部分は、民衆を説得する事を諦めて迎合するポピュリストになっていました。国の将来を大局的に考え、地に足の着いた議論が、政治中枢から排除された末の対米開戦です。戦後の軍事占領や属国支配を容易にする為、日本人は捏造された歴史で洗脳されています。

参考:【GHQによる洗脳支配】 【共産党による洗脳支配】 【大東亜戦争での最大の誤り】

 ただ単に、第9条から第2項を削除したり、運用実態に合わせた改正でも充分ですが、これでは不安だというなら、積極的平和志向の改正案@または、現状追認のAに書き替えたら如何でしょう?
 これなら、亡霊のように近衛文麿首相が現代に復活しても、侵略戦争は起こせません。

 こうした人道的配慮や道義的目標を為政者に課すのは、近代立憲主義とも矛盾しません。困った人や困った国を見たら、その隙に付け込んで自分を有利にしようとするのではなく、むしろ、助けようとする人道主義は、他国では少数派の特殊な理想論かもしれません。
 少数派の特殊な理想論の押付けは、憲法典に書き入れても無効でしょう。しかし、大部分の日本国民にとっては、こうした人道主義は、むしろ当然のことですから、日本国憲法に入れる事は、決して押付けにはなりませんし、無効にもならないはずです。

<余談1>
尖閣諸島が中国に上陸されても、心配無用という憲法学者もいますが、大間違い。
参考⇒ https://youtu.be/M6WqsxfCFMc
国際司法裁判所に提訴すべきだと言う共産党の主張も、大間違いです。
中国共産党や中共軍を利するだけです。

 我が国の領土の一部ですから、中国の侵略に対し武力を使っても自衛できるのですが、いったん、領土か否か係争していると認めたら、憲法上の『国際紛争』の地になります。そうなると武力行使は出来なくなってしまうのは、北方領土や竹島の例でも明らかです。だから、中華人民共和国に対しても、中華民国に対しても、上陸を許し、実効支配させてはならないのです。

東シナ海全域を実効支配する橋頭保を中共軍に与える事になってしまいます。
まったくナンセンスな軍事感覚です。

<余談2>
左翼勢力は、アメリカの手伝いをするのが集団的自衛権の主目的だと宣伝しています。
主目的は、強大な軍事大国の脅威にさらされている諸国が互いに協力し合う事です。
中華人民共和国は、従来の防衛白書では、核の先制不使用を主張してきたのに、
2012年の防衛白書から、この記述を削ってしまいました。
参考⇒ http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/37679

核兵器で先制攻撃をするかもしれない中国と、正面切って米軍が何処まで動けるのか、疑問。
中国の脅威に曝され困っている諸国同士で、協力し合う必要性が高まっています。
参考:中共は習近平個人の独裁体制へ舵を切った(2017年10月26日追記)
  ⇒ https://youtu.be/N-XKJLsZif0?t=30m04s

<余談3>       - - - - - -(2015年8月2日追記、2017年9月27日修正)
憲法制定当時は、米軍の占領下でした。
講和条約を締結して独立を回復しても、安保条約に基づき米軍の駐留は続きました。
世界最強の米軍がいるのに、攻撃してくるバカな国はありませんでした。

 だから、憲法の前文には、次のように書き、諸国民、すなわち国連加盟諸国に安全をゆだねた訳です。『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。』 憲法第9条第2項も、あんな条文なのに、国の安全は保障されていたと言う訳です。
 しかし、現在は、想定もしていなかった程、中共軍や北朝鮮軍との軍事バランスは大きく変化してしまいました。日本国憲法上は、中共や北朝鮮までもが『平和を愛する諸国民』であるという、笑うに笑われない状態になっています。


【憲法第76条を改正しなくても対応可能】    - - - - -(2015年7月29日追記)

軍刑法は必要ですが、軍法会議でなく一般の裁判所で裁けば、第76条第2項の改訂は不要。
軍事機密に当たる部分は、特定秘密保護法により、非公開にしたら良いだけです。

2.26事件の軍法会議を取上げたドキュメンタリーを見る限り、
軍法会議が、防衛省だけで完結すると、問題の原因追究が不徹底なまま結審しかねず、
より大きな問題の種を将来に残すと言う事態も予想されます。
早いうちに、抜本的な対策を講ずることが、本当の意味で自衛隊を強化するはず。
なので、仮に軍法会議を設けても、最高裁判所を上級審に位置付けるべきと考えます。
参考⇒ 2.26事件東京軍法会議
 その1 https://youtu.be/pxIbl44r4s8
 その2 https://youtu.be/UC70y1UWEew
 その3 https://youtu.be/URRVC6jQtxM

現在の自衛隊は、ポジティブリストで行動規制され、言わば、高度な武装警察と同様です。
勤務時間に限定して武器使用や実力行使が許されていますが、
ポジティブリスト以外の事を行うと、基本的には不法行為です。
また、勤務時間外は、一般国民と同じです。

実力行使は、国の機関が独占的に行うのが法治国家です。
たとえば、自衛隊員が勤務時間外で北朝鮮工作員による拉致事件を目撃しても、
一般国民と同様の権能しか持たない為、被害者を助けられない可能性があり、
仮りに傍観していたとしても、何の責任も問われないことになります。

臨機応変に敵と戦うには、ネガティブリストで行動規制した方が、実戦的です。
また、在職中は勤務時間外でも、自己判断でその場で職務復帰できるようにすべきです。
では、一旦、ネガティブリストで行動規制した場合、どのように不当行為を処罰すべきでしょう?
現在の自衛隊の法体系の中では、罰則を伴う服務規定があるそうですが、
これを改訂するだけでは不徹底になるように思います。
在職中の全ての期間を対象にした、特別な刑法を作る方が合理的です。

交戦を伴う作戦を遂行するとなれば、上官は部下の命を預かって命令を下す訳であり、
命令の重みは、他の職業世界とは格段の違いがあります。
上官に背かぬよう、要所要所で、上官の権威を高めておく必要があるようです。
米国の軍法会議(参照3)は、軍判事が単独で審理するか、被告の上司が複数で行い、
階級を問わない軍人の陪審員が参加し、会議の招集権者が結果を承認して有罪が確定。
旧日本陸海軍(参照5)も、判決を左右する所に、被告の階級と同等以上の将校を据えました。
軍事に関わる特殊性の観点や、自衛隊内部の命令秩序の維持という観点から、
被告の上司が裁判に関与する何らかの仕組みは入れるべきかもしれません。

軍法会議を設けるべきか否かは、また別問題です。
国内で行動している限りは、軍法会議によらず、一般の裁判所でも対処できると思います。
現に、ドイツではそうしているようです。
しかし、国外に出たら、捜査や証人喚問、隊員以外の被害関係者への対応などの必要から、
法廷を現地の近くに移した方が合理的な場合も出ると推察します。
ところが、PKOで海外に出る機会も多くなっている現在でも、この必要は生じていません。

何故かと言えば、ポジティブリストで行動規制されており、
実質的には交戦できない武装警察のままだからです。
他国の軍隊から守ってもらいながら活動しているのが実態(参照1)だそうです。
なので、部隊外部との関係で司法判断が必要になる可能性は、実質的に極めて低いのです。

これをネガティブリストで行動規制するようになれば、
他国の軍隊から守ってもらう必要は無くなるのですが、
部隊外部との関係で司法判断を迫られる可能性が増します。

ドイツの場合は、国外に出る場合は、NATO軍の一員として出る(参照2)為、
NATO軍の軍法会議に委ねることになります。
米軍では、裁判には当たらない「査問委員会」(参照3)が軍法会議の前に開かれています。
第一審に相当し、不起訴でも懲戒処分に処す事ができ、起訴する場合に軍法会議にかけます。

米軍の査問委員会の制度を自衛隊に取り入れたら、
現行憲法の枠内でも、様々な要求に応えられるものと推察します。
自衛隊内には、捜査と逮捕の権限を合わせ持つ警務員が警務隊を組織して常駐し(参照4)
隊員や基地内での秩序維持に当たっているそうです。
隊員の行動規制をネガティブリストに変えたとき、捜査・逮捕まで警務員が担えそうです。
軽犯罪や軽度の事故なら、査問委員会の処分で裁判の代わりにしても良いと考えます。
現地における速やかな処分により、一罰百戒を示す必要にも答えられるでしょう。

査問委員会が起訴を決めたとき、すなわち、重大犯罪や重大事故のとき、
隊員以外の被害関係者が現地にいないなら、法廷を国内に移して審理できるでしょう。
隊員以外の被害者が現地にいる場合は、現地で法廷を開くべきでしょう。

法廷での裁判官や検事、弁護士の役割となると、自衛隊員の職務の延長では困難で、
海外で開廷するには、国内の裁判官や検察、弁護士の出張が必要になるものと推察します。

また、国内の裁判所と現地を高速通信回線で結んで裁判を進める研究も行うべきです。
                  - - - - -(上記1行、2017年10月2日追記)

参照1⇒ 自衛隊員の本音、PKO活動の現場
参照2⇒ ウィキペディア 「ドイツ連邦軍」任務
参照3⇒ ウィキペディア 「軍法会議」各国の軍法会議「アメリカ合衆国」
参照4⇒ http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1031692750
参照5⇒ ウィキペディア 「軍法会議」各国の軍法会議「対日本帝国陸海軍・半士制度」


 




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